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硬い声。逃げるという行為がどういうものか、アトレ自身の感覚でははっきり分からなかったが、それが悲しいこと、屈辱をともなう時もあることだと、理解はできる。父がアトレの実の両親について語る際、きっとそうだったろうと教えてくれたから。
「だから今はまだ帰れない。申し訳ないが、しばらくここに居させてもらえるだろうか。傷が治ったらなるべく早く出ていくから」
アトレは正直、迷った。
平穏を乱されたくはない、だが困った人間を見過ごせるほどに薄情にもなれない。父以外、他の人間にはほとんど会うことなく過ごしてきた自分であっても、それなりの情は持っている。
足に傷を負っているとはいえ、さほど深いものではないと思うし、彼は若いから回復も速いだろう。そう、長い日々の話ではないはずだ。結論づけ、アトレは答えた。
「わか、りました。ヴォル、ギル」
日々は、予測に反して、静かに過ぎていった。
数日過ごすうちに、アトレは会話をすることにだいぶ慣れたようで、途中で言葉がつっかかることも少なくなった。話題は自然と、彼女の生い立ちや暮らしのことが出る。
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