7人が本棚に入れています
本棚に追加
おまけ
弟の和真があまりにも真剣な顔で、
「あいつを救いたい。」
とか言うもんだから兄としては力になってやりたかった。
が、俺は途中からそれどころではなかった。
「まだデザイン上がってこないのか!」
「先生がまだ粘りたいとおっしゃっていて。」
「もう期日はとっくに過ぎてるんだぞ。」
「すみません~!!」
俺は弟の誘いを断り、有名ブランドに就職した。
主にプレス、広報や宣伝担当を任されている。
この夏に向けてうちのブランドと有名デザイナーのコラボ企画が上がった。
が、肝心のデザインがまだ上がってこない。
デザイナーと連携をとってる梶谷とは同期で助けを求められ、一緒に先生のところに説得に向かった。
偉くお高くとまったおばさんだろうと思ってたが、そこにいたのは白髪でメガネをかけた大学教授みたいな成りのおじさんだった。
「わざわざご足労いただきありがとうございます。赤木静です。」
「男の方だったんですね、俺てっきり。」
「皆さんそうおっしゃいます。」
「広報担当の脇谷龍一です。」
「よろしくお願いします。」
背が高いが、腰は低い。
想像とあまりにも違いすぎた。
「実はこの色とこの色、どっちにしようか考えあぐねいてまして。」
と見せられた二つのサンプル生地は俺からすると同じに見えた。
「やっぱりこっちの方が、いや、でも。」
「俺には違いが分かりません。」
「え?」
「先生、一昔前なら天才は締め切りを守らなくても許されました。締め切りすぎても素晴らしいものを作ってくれたら全て許される、そんな時代でした。でも今は違います。先生が早くデザインをあげてくれないと我々はモデルも広告のデザインも決められません。発売時期もまだ未定のままです。このままだと夏に発売できるかどうかも微妙になってきます。たくさんのお客様が先生の新作を楽しみにしてるのに。それでもまだ悩まれますか?」
一気に捲し立て唖然とする二人の顔を見て、やっちまった!と後悔した。
「その通りですね。申し訳ありません。昔から僕は優柔不断で、亡くなった妻にもよく怒られました。」
「いえ、俺の方こそ言いすぎました。」
「あなたは正しい。謝ることないです。」
先生はそれからすんなりデザインと色の指定をしてくれた。
梶谷に感謝されたし、とりあえず一件落着だと思った。
が、俺は何故か梶谷と交代で赤木静の担当に回されてしまった。
「先生から直々に指名されたんだぞ。」
と上司に言われたが嬉しくなかった。
気に入られても嬉しくない。
それから打ち合わせで先生と顔を合わせることが増えた。
「脇谷さんはなぜこの仕事に?」
「正直いって俺、服には全く興味なくて。ただ、弟の会社で副社長とかはやだなと思って、たまたま見つけた求人が今の会社だっただけなんです。」
「へぇ。でもよく入れましたね。」
「全部正直に言いましたけどね。周りはみんな服が好きで、うちのブランドに憧れて来てる人ばっかだったんでドン引きしてましたけど。いまだになんで入れたのか分からないです。」
「僕には分かる気がします。嘘をつかない人、って大事だから。」
「つけないだけですけど。」
「僕は嘘だらけでしたから。」
「え?」
「本当は女の子になりたかったんです。母親も女の子がほしかったみたいで、よくスカートとか履いてました。でもだんだん背が伸びて、肩幅も広くなって、女性の服が似合わなくなった。この仕事に就いて、自分が着たかった服をデザインしてそれが形になっていくことで満足しようとしてきたんです。」
「満足できなかったんですか?」
「ええ。でもそれでいいんです。妻は唯一、そんな僕を受け入れてくれた。だけど、愛していたかと聞かれると頷けない。」
「愛の形は色々ですからね。それに、満足なんてできたら人間死ぬしかなくなりますよ。つまんなくなって。俺は満足しないまま生きたいです。」
「そうですね。」
家に帰ってふと思った。
あんな話、俺にしてよかったのか?
まだ知り合ったばっかの俺に。
でも秘密を共有したみたいでちょっとだけ嬉しかったのも事実。
ある日、
「俺、あいつのこと本気で好きになってもた。」
と和真が突然うちに逃げ込んできた。
「怖じ気づいて逃げてきたんか。」
「うん。」
「そら覚悟決めなあかんな。本気なんやったら。」
「覚悟?」
「そう。俺がこいつを幸せにしたるっていう覚悟。」
和真は数日間、悩みもがき苦しんだ。
で、結局会いたい気持ちに負けて帰っていった。
そんな和真を羨ましいと思った。
俺は昔からそういうことには冷めてる。
母親が原因かもしれない。
結局信じられるものは自分。
人は一人でも生きていける。
そう思ってきた。
恋愛なんて俺には無縁。
なくても生きていける。
先生の家にいると時間の流れが変わる。
この人の持つ空気なのか、なんなのか。
「脇谷さんは結婚は?」
「してません。多分することはないと思います。」
「何で?」
「俺には必要ないから、ですかね。」
「まだそう思える人と出会ってないだけですよ。」
「もしかしたらどこか欠陥してるのかもしれません。弟が羨ましいです。一人の人をあんなに一途に思い続けられるなんて。」
「欠陥。むしろ僕には脇谷さんが完成品のように見えますが。」
「完成品?」
「ええ。強くて、迷いがなくて。でも、たまに寂しげな顔をする。放っておけなくなる。」
「え?」
「まるで捨てられた犬みたいな。」
「実際、俺は捨てられましたからね。母親に。」
一度も振り向くことなく去っていった後ろ姿を覚えてる。
隣で泣き叫んでる和真をなだめながら、俺は強くなろうと決めた。
和真が寂しくないようにそばにいてやろうって思ってた。
「脇谷さん。」
気付くと俺はソファで寝てしまっていた。
「すみません。俺、」
「いいんですよ。」
「もうこんな時間。帰ります。」
「良かったらご飯食べていきませんか?」
そういえば朝からなにも食べてなかった。
お言葉に甘えてご馳走になった。
家庭料理に縁がなかったから、俺にとってお袋の味はカップラーメンだった。
先生は俺が食べてる様を母親のように見てる。
「脇谷さん、私とここで暮らしませんか?」
唐突に言われた。
「え?」
「私にはあなたが必要です。」
「いや、そんな。俺なんて何もしてないし。」
「何かしてくれるから必要、じゃないんです。僕にとっては何かしてあげたいと思う相手が必要なんだと思います。」
「別に俺じゃなくても。」
「いえ、あなたじゃないとダメなんです。」
先生は穏やかで優しいが、ものすごく頑固だ。
何度断っても会う度に口説いてくる。
早く諦めねぇかなと思ってた頃、先生の家に猫が棲みついた。
まだ子猫で世話が大変な時期だ。
先生は俺のこと猫や犬みたいに思ってたのかもしれない。
前に捨て犬みたいって言われたし。
ちょうどよかった。
俺も広報の仕事が忙しくなり、先生と関わる時間もとれなくなった。
梶谷に後の事は任せておいた。
「先生、お前に会いたがってたよ。」
「猫もいるし寂しくないだろ。」
「それとこれとは、」
「一緒だよ。俺も猫も。」
あの家と先生のいる空間は確かに居心地がよかった。
日常を離れ落ち着ける場所だった。
けど、あの楽園にずっといるわけにはいかない。
いつか出ていかなきゃいけない場所だったんだ。
そうどこかで言い聞かせながら日々を過ごしていた。
仕事も一段落して、ふと気が緩んだ時、俺は意識を失った。
みんなの慌てる声が遠くで聞こえる。
夢の中で先生が微笑みながら何か言ってた。
「脇谷さん!」
目が覚めると先生がいた。
「あれ?ここ、」
「病院ですよ。急に倒れたって梶谷さんから電話いただいて。」
「わざわざすみません。大丈夫ですから。」
「大丈夫じゃないです!だからほっておけない。」
「俺は猫や犬じゃないんで一人でも大丈夫です。」
「誰が猫や犬と同じなんですか。あなたは猫や犬以下です。」
「は?」
「猫や犬でも寂しいときは甘えてくれる。」
「寂しいとか甘えたいとかそんなこと思ってないです。」
「気付かないフリをしてるだけです。あなたは。そうやって自分の感情に蓋をしてきたから分からなくなってるだけです。」
「そんなん言われんでも分かってる。でもここまできて人に甘えるとか簡単にできひんわ。」
「じゃあ俺が無理矢理にでも甘やかしたる。だからもう、無駄に抵抗すんな。」
「え?」
今関西弁喋ったよな?
そう思った瞬間抱き締められた。
「お前みたいなアホ、初めておうたわ。」
「先生、キャラ変わってますけど。」
「言うたやろ。俺は嘘つきやって。」
「...こわぁ。」
「お前まで死ぬんかって思ったら心臓バクバクして俺の方が死にそうやった。」
「そんなに俺のこと好きなんですか?」
「初めておうた時からずっと触れたくて仕方なかった。」
「え?」
「ここ数日、お前のために服作ってた。昨日やっと完成したんや。デザインからパターンから縫製まで全部一人でやった。世界に一つしかない服やぞ。」
「そんな貴重なもの俺なんかが着たら、」
「お前が着んかったら完成せぇへん。服がお前のこと待ってる。」
退院後、服を着るために先生の家に向かった。
その服は夜みたいだった。
「俺のイメージってこうなんや。」
「着てみて。」
見事に俺の体にフィットしてる。
「採寸された覚えないんですけど。」
「寝てる間にやった。」
「寝てる間に体に触ったってことですか?」
「そ、そんな変な触りかたしてないわ。」
「でも触りたいって思ってたんでしょ?」
「思ってたけど、ほんまに触れたいとこは体やなくて心やったから。」
「もういいですよ。どこ触っても。」
「言い方が変態過ぎるやろ。」
「どうぞ。」
俺が両手を広げて待ってると先生は俺を担いでベットに投げた。
「え?」
「ええんやろ?」
「何、そのエロい顔。」
「うるさい。」
そう言われて口を塞がれた。
「50過ぎてまたこんなことなると思ってなかったから、あんま体見るなよ。」
「見ないけど触りますよ、俺だって。」
「...やっぱ今はやめとこかな。」
「ほんとにいいんですか?やめて。」
「その顔やめなさい。」
「どんな顔?」
「煽ってる顔。」
先生が夜の中に入ってくる。
ここの主はこの楽園にふさわしい人だ。
俺は黙ってたって甘やかされてる。
気付いてないだろうけど、俺はとっくにここから抜け出せなくなってた。
彼がここで微笑んで迎え入れてくれたあの日から。
「このシャツ、ここに置いといていいですか?」
「え?」
「シャツだけじゃなくて、俺ごと。」
「ええよ、もちろん。」
「なんで関西弁隠してたんですか?そもそも。」
「隠してたわけやないよ。そっちが関西弁使ったらいつでも戻そうと思ってた。」
「え?俺が関西人やって分かってたんですか?」
「分かるよ。なんとなく同郷の人間は。」
「そんなもんかな?」
「まぁ、俺めっちゃ龍一のこと見てたからね。」
「やっぱ変態ですね。でも変態じゃなかったらこんな服作られへんか。」
「それはちょっと語弊があるというか。」
「いつか自分で着たい服、自分のために作ってください。俺、見てみたいです。」
「すんごいフリフリでも?」
「うーん、でも、着たい服着て幸せならええと思う。」
「ほんまええ子やな。」
「ええ子やったらこんなんせぇへんよ。」
次は俺が彼を飲み込む番。
彼がついてきた嘘を全部脱がしてやる。
最初のコメントを投稿しよう!