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人もピアノも生きている。でも、いつまでも誠実でいられるのは、ピアノではないだろうか。
湿度に左右されれば音は変化するし、弾き手の気持ちによって奏でられる音も色を変える。
もちろん、ピアノだって調子が良くないときがある。そのために調律をして、ピアノの機嫌を良くしてやる。調律師さんがピアノのことをよく、「この子」と言って話していたのが耳に残っている。調律師さんの仕事は、ピアノとの細かい対話のようなものだと思っている。
ピアノに向き合うならば、弾き手も誠実でいなければならないし、自分をさらけ出すつもりで椅子に座らないといけない、というのが私の自論だ。
私はまだ、ピアノというものがどういう性格をしていて、どうやって弾き手の気持ちを汲み取って音にのせてくれているのか、完璧に理解はできていない。それでも、歩み寄ることが、一緒に音楽を作ることへの第一歩であり、人間が誠実になれる第一歩でもあるのだと、我ながら思う。
ピアノという生き物を通して、作曲家とも対話ができる。どうしてこんな曲を書いたのか、何を伝えなかったのか。解説されていても腑に落ちないメロディーやハーモニーはあるのではないだろうか。たとえ言葉で説明できない「何か」があったとしても、音楽の上では、ピアノの上では分かり合える。作曲家と弾き手の想いを、時代を超えてピアノが繋いでくれるのだ。私たちの想いが作曲家に直接は届かなかったとしても、ピアノを愛した作曲家たちはきっとどこかで演奏を耳にしているだろうし、そんな演奏じゃないと怒っているかもしれない。夢みたいな話だけど、想像しただけで楽しいからいいんだ、と言い聞かせる。
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