春待つ彼と消えゆく私

6/13
前へ
/13ページ
次へ
 ただ、そこでようやく掟を思い出す。青年一人と話をしただけなら、ちょっと怒られるくらいで済むかもしれない。けれど、家の中に他の人間がいるかもしれないし、家の中に上がりこんで、あろうことか妖精だとバレた、などという事態になれば、ちょっとどころではないお仕置きが待っている気がする。  誘いに乗りたいが気軽に頷けない、と妖精は困った顔であたりを見回した。人間と関わりを持ったことが、妖精郷の者たちにはバレないかもしれない、でもバレたら困る、と気持ちが右往左往する。  妖精が迷っているのが青年にも見て取れたらしく、彼はクスクスと小さく笑った。 「なにもしないよ。家には僕しかいないし、気にしないで」  家には彼ひとり。思えば一階から物音だってしない。少しだけなら、と妖精は表へ回った。  初めて触れる扉は重く、開けば鈍く軋む音がした。けれど妖精の胸は希望に満ちていた。  間近で見る氷雨色の髪はことさらに美しく、妖精はしばし言葉も忘れて見入ってしまった。そのうち青年が不思議そうに見つめているのに気づき、妖精は慌てて手にしたブーケを彼へ勢いよく差し出した。 「これ! あ――あの、これ――、あなたに」
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加