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朝日を浴びて
誰も知り得ない世界
そのセカイは、
未来への扉を叩くノックだった、、。
ぼくは、いま、
どこにいるか、わからなかった。
夢、現実の区別が、つかない。
「ここは、どこ」、、、
——-/——————-///////////————
「チューチュー」「カアカア」
初めて耳にする言葉だ。
「ピィー、ピィー」
「チューチュー」
大抵の人が、目覚める前に僕は歩きだす。
「散歩」に出かけるのだ。
早朝の5:30には
こんな、小鳥やカラス、風の音が聞こえる。
車は、トラックしか走っていない、
人は、ランニング。
あとは犬の散歩が、2人くらいだ。
朝だから、味わう事の出来る、
「贅沢な空間」
それら、ひとつひとつが、僕の傷ついた
膝と共鳴しする。
まるで動物達が、演奏会を開いているかの様。
犬や猫、カラス達がパレードしている。
「幸せそうだね」
「楽しいよ」
「人間もいないしね」
「それが最高なのさ」
そんな会話が、聞こえてくる。
僕は痺れ続ける膝を、右手で押さえ
足が多少痛くても、
晴れていて、
風がひどくても
散歩をたのしんでいる。
僕の散歩は、〈リハビリ〉の為。
治療が難しい病気を治すのが目的だ。
「前例がありません」
「病院では、やる事がありません」
複数の医師は、ハッキリ言った。
特効薬がない。
「何もしなければ、寝たきりになる」
ショックを受けた。
事故にでも、僕はあってしまったのだろうか。
そうではない。
ただ、ある日突然に病気に、、、、、、、、
僕の散歩は
「激しい痛み」を伴う。
だから本来は、足に集中し歩く練習をするのが
リハビリとしては、正しい手順。
もちろん、初めは歩くたびに、
イチイチやってくる痛みに数メールしか進めな
かった。
病院で教えられた正しい歩き方を意識してあるく。
だが少し間違えると、雷に打たれた様な痛みが全身を突き抜ける。
散歩に行く前は、いつも憂鬱な気分だった。
散歩以外の時間は、2階のベッドの上に横になり、
TikTokやインスタを見て、痛みを紛らわしていた。
そんな短調な毎日を過ごすうちに、「大事なこと」に気がついた。
散歩の時、足だけに集中していたら、
歩くことができても、わずか400メートルの「コンビニ」に行く事しか
出来ないと、、、、、、
僕は考えた、ベッドに横になっている時
考え抜いた。
その結果出来た答えが、
〈痛みを受け止めずに逸らす事〉
つまり、カンタンにいうと鼻歌を歌いながら歩く
という事だ。
もちろん、激痛と隣り合わせだから、すぐに出来る事ではない。
頭の中をできるだけ落ち着かせ、何かに集中する練習をした。
寝る前に「羊の子守唄」を歌い、赤ちゃんを抱っこするイメージでを心がけて。
朝起きてから、散歩に行く時の準備も体に覚えさせた。
朝起きたら、ストレッチをして、上着を着る。
ズボンの右ポケットには、タバコ、左ポケットには携帯電話と、少しずつ数を増やしていった。
—————————————————3ヶ月前
僕は、重度の難病を患っていた。
一生治らない病気。
今も、これからも変わることはない。
毎日、沢山の薬を飲んでいた。
「もう、終わったな」
「誰にも会いたくない」
「とにかく1人になりたい」
頭の中で同じことを繰り返し、毎日を過ごしていた。
黒いクレヨンで塗りつぶされた世界に住んでいた
ある日、僕はあるサイトをみて「小説家」が天職だと、直感的に感じ取った。
「本気で打ち込めるもの」に出会えたのだ。
黒だけの世界に、少しだけ光が差し込んだ瞬間だった。
ある日、
いつもの様に部屋のカーテンを開け様とすると、
感じた事のない〈衝撃〉に体が吹き飛ばされ、
気がつくと、部屋の真後ろに横たわっていた。
精神が、肉体より先強い痛みを感じた。
「ギャー」「アー」
「ギャー」「ウォー」
【激痛】いや言葉では、表現できない痛みだ。
例えるなら、意識がなくなる痛み、、、、。
5分位経ち、大声を出しながら足に身を向けた。
痛みの原因だけは、ハッキリわかった。
足が通常では、あり得ない形に固まっていたのだ。
右足が180度で固まり、更に左足と交差していた。理解できない形いや、画像だった。
「まずは、足を通常の形に戻さないと」
頭の中から、そんな声が聞こえた。
大声を出しながら、右足を正常な位置に戻した。
自分の意思では全く動かな右足を少しずつ戻そうと手を触れた。
この右足を戻さなければ、
〈失神しそうな痛み〉からは解放されない、
、
、、そう頭の中から声が聞こえてきた。
右足を少し剥がすだけで、更に激痛が強くなった。
ワケがわからない。
結局30分くらい経ち、右足を正常な位置まで戻し、
ベッドに戻る事ができた。
とにかく、足はそんな状態だったのだ。
耐えられない痛みだったから、
整形外科に、整形外科に救急車を呼び、妻と一緒に病院で診察してもらった。
医師が【明らかに困った顔】をしているのが、わかった。
診断名、これからの治療を長々と説明された。
専門用語を使うから、ほとんどの単語は、理解出来なかった。
ただ感覚的に
「前例がない病気」というのは理解できた。
自宅につき、2階によじ登るとベッド倒れ、
家族に気が付かれない様に、泣いた。
産まれたばかりの、赤ん坊の様に、、、、
夜には、母に電話して
「どうして自分ばかり」
「何でこんな目に」
「いや、僕が悪いのか?、」
母は、黙って聞いてくれた。
いや、受話器越しに泣いていたか、。
母さん‼️
ありがとう
ありがとう
【貴方のおかげ】
突然、「もう、一緒走る事できない」
「リハビリしても、歩くこと、、」
とにかく、医師でさえ「お手上げ」だった。
何とか立ち直る事が出来た。
———————————————————-今は
散歩が出来る事が、嬉しい。
外を歩けることが、素直にうれしい。
散歩の距離を少しずつ伸ばし、初めの頃は、
1時間はかかっていた、わずか400mのコンビニ。
今は歩くスピードを変え、途中で電子タバコを吸って、20分で帰って来る事が出来るのだ。
「よし」
「負けたくない」
無傷で、自宅のベッドにつくと、全身汗だくになり、満足感に浸っていた。
コンビニのシフトが分かるくらい毎日コンビニに行った。
短調な、リハビリはいつからか、「つまらなくなった」
僕は散歩を始める時、いくつか「ルール」を決めた。必ずタバコを一箱買う事。
それと、ポイントカードを使い安い筆記用具を買う事だ。
さらに
つまずかずに、散歩出来た時は、
長男や長女が好きな、「お菓子」を
買うことを、自分のご褒美にした。
逆に言えば、「目標」がなければ、耐えられないリハビリだからだ。
普通に、何も考えずに行えば「必ず挫折する」
それが自分でわかってから。
散歩をする際に、1番ネックになるのが、天候である。
〈雨が降る日、風が強い日、曇りの日〉
どれも、〈リハビリ〉には厳しい条件だ。
何故なら、リハビリの担当者には
「転んだら、アキレス腱が切れたり、とにかく大怪我をします」
いつもは、優しい30代の女性もこの時は、真剣な表情だった。
難病に難病を重ね、大怪我をしたら、どうなるのかは考えなくても理解できた、
それ以来、天気予報を毎日チェックするクセがつき、散歩が楽しくなった
この日は、今年1番の晴天、しかも風も弱かった。
初めて5時に散歩に出かけた。
静かだった。地面も安定し少しだけ、足から緊張がとれた。
僕は、そういった至福と痛みの中を、ゆっくり確実に歩いた。
いつしか1kmまで歩くことができた。
1km歩けると、バスを利用できる。
少し、バスに乗り普段と違う景色をみると、
桜が咲き、僕は「桜坂」を口ずさむ。
枯れた桜を見ると、「桜坂」は失恋ソングだった事に気がつく。
桜の儚さに、気がつけば「言葉にできない」を
通行人には、聞こえない位小さな声で、歌い、
頭中でリズムを刻む。
散歩から自宅に無傷で帰り、ベッドに汗だくになり横たわる、、、、、少しほんの少しだけ身体を休めテレビをつける。
僕が住む北海道では、桜前線がまだ20日前だとニュースを見て少し驚く。
こんな田舎の半径3kmほどの地域でも、八分咲き、一軒家の前にひっそりと静かに散っている桜があるのだ。
カレーの味が、代々受け継がれる様に、桜も全く同じ桜はないのだ。
それが、なぜか嬉しかった。
家庭の味は、カレーの作り方は代々引き継がれる
からだ。
—————————————————————-
バスを使い、娘の通帳を作り、コンビニで
タバコをかい、百均で好きなものをかう。
かえりは、ゆっくりと、景色を楽しみ、
体の痛みに
「今のは危なかったぞ」
「桜を見ている場合か」
などツッコミをいれ、少しニヤける。
自宅に着くと、2階に行く前にシャワーを浴びて
浴槽につかる。
何も、ココロは動かない。
いや、感じた事のない、
〈幸せのカタチ〉
僕は、僕は、やっと【小説家】と名乗る決意が出来た、、、、。
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