センセイの教室

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 突然何の話をし始めるのだろう?まさか、マウントを取りたいわけでもあるまいに。  困惑する私に彼は続けたわ。 「そんな僕と先生に、校長先生が“三キロ泳げるようになれ”って命令したとします。僕と先生は、同じだけの努力で泳げるようになりますか?違いますよね。先生はきっと、僕の何倍も頑張らないといけないし、ひょっとしたら百倍頑張っても泳げるようにならないかもしれません。……そんな先生を見て、あっさり三キロ泳いだ僕が“やる気がないから泳げないんだ、もっと頑張れ!”って言ったら。先生はどう思いますか?」 「!」  目が覚めたような気持ちになったわ。  私は心の中で、勉強や授業態度なんてものは“努力すれば誰でもできて当たり前”だと思っていたのよ。それをやらない人間はやる気がないからに決まってるって。だって私にはできるようになったんだもの、って。  朝、早起きをすること。  学校に来ること。  授業中じっとしてること。  居眠りをしないこと。  テストで百点を取ること。  そのために必要な努力の量は人それぞれ違う。だってみんな、生まれ持った素質や特性、力量が違うんだもの。私はそんな当たり前のことさえ気づいていなかったのよね。 「先生は、僕たちに立派な大人になってほしいっていつも言うけど。大人になるための道って、本当に一種類しかないの?」  可愛らしい顔をした小学生の男の子は。私よりずっとちゃんと、子どもたちのことを見ていたし、彼らを知る“努力”をしていたの。 「僕は、そうは思いません。みんな違う人間だから……大人になるために、それぞれ全然違う道を歩いたっていいと思う。学校は、それを教えてくれてもいいんじゃないのかな」  教室で、子供達に大切なことを教えてもらうのは、先生も同じ。  ここは“センセイにとっても教室”だった。私はそんな当たり前のことを見失っていたのよね。  みんな違う人間だからこそ、違う道を歩んでいい。  学ぶための方法は、バラバラでもいいはずなんだ、って。  ねえ、沙代里。  孫の貴女が教師になってくれて、私は本当に嬉しかったのよ。貴女の志は立派だわ。だからこそ、忘れないで頂戴ね。  貴女はこれから、子供達にかけがえのないことをたくさん教えてもらうことができる。  貴女もまた、授業を受ける立場であるということ。
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