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「すみません、警部」
検死の職について間もない新人が声をかけてくる。こいつはいつも頓珍漢でドジだから、日々の仕事の苛々を増幅させてくる。最近はパワハラなんかに五月蝿い世の中なので、下手に態度悪くも接することができない。だからといって、ニコニコやれる現場でもない。比島警部は微妙な無表情で彼を見る。
「いま、よろしいですか」
「あぁ」
表情が緩む。こいつにとって、人に話しかけるだけでも相当なハードルなのだろう。
「えっとですね、これ人がやったものじゃないです」
なんてことだ。とうとう殺人現場でファンタジーを編み始めた。ミステリー劇場と勘違いする輩も困るが、このパターンは前例もないからなお困る。もはやイラつきを抑えずに聞き返す。
「人じゃないだぁ?」
「はい、人だったらとてもつかないような切創があります。男性の方は綺麗に首が飛んでいますし」
「あのなぁ、ここは都内で、マンションばっかりで、野山なんて近くに一切ない。動物がやってくるとしたら、だいぶ長旅になるぞ」
比島が呆れ顔で言うと、検死は困ったような表情で返す。
「そんなこと言われても」
「そんなこと?おい新人、警部殿にその口調は感心しないな」
横から妙齢の男性が割り込んでくる。同じく現場検証をに加わっているベテランだ。腕や勘は良いのだが、口が臭いので、死臭とコンボで酷いハーモニーを生み出す。
相変わらずの口臭を撒き散らしながら、
「だが警部殿、こいつの言うことも一理あるんですよ。どうも並大抵の人間じゃ作りえねぇ有様でね」
「どういうことだ」
「こいつの言った通りっすよ。死体は確かに切り付けられてるが、おかしいんです」
「おかしい?」
「大きすぎるんですよ」
単純な形容だ。しかし、あまり現場では聞かない。細かなところばかりに目がいく我々にとって、スケールの大きすぎるものは困惑の対象だ。
「あの体の裂け具合じゃ、日本刀どころの騒ぎじゃない。切れ味抜群で4メートルはあって、相当重いはずの大剣。モンハンとかで出てくるやつの少し大きい版だ。あれを素早く、勢いよく扱える人間がいるなら、この死体について説明ができる」
バカみたいな話だ、とも思った。しかし、この口臭テロ常習犯は現場検証において嘘も冗談も言わない。明確に状況を説明してくれることで有名な男だ。
その男から、こんなバカげた話が出る。比島は目を瞑り、額に手を当てる。もう少しで脳がショートして熱が出そうだった。
少し外す、と伝えて比島は外に出る。1階まで降り、駐車場の端まで行って、煙草を咥えて、火をつける。一服しないと、耐えられない状況だと思って逃げてきた。
主流煙をゆっくりと肺に取り込む。ニコチンは優秀で、さっきまでパンクしそうだった頭をぼやーっとぼかしてくれる。比島はそのまま上を見上げた。
青い空があった。雲ひとつない晴天だ。そこを飛ぶ鳥たちは、少しでも蛇行すれば地上の人間皆にその様を見られてしまう。目立ってしまう。それほどまでに、均一で何もない、青い空だった。
比島は、息子が横にいる日々を思い返した。そして、今日のこの空の下でキャッチボールやらサッカーの練習やらをできたら、どれだけ人生に満足がいくだろう等と考えた。
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