その恋は密やかに

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 冬休み明け。 「あけおめ」  後ろの席でメガネを拭いている名取に挨拶した。 「おめでとう」  簡潔な挨拶。これ以上会話を続けるつもりがなさそうな名取だったが、俺がそれを許すとでも? 「ヘアショー行ってきたんだよ。クリスマスに」 「はいはい、もういいよ。名無しの権兵衛の話なんか」 「まぁ、聞けって。面白いから」  名取はムスッとしながらも、仕方なく俺の話を傾聴する。 「no name の後釜に黎明のモデルをしないかって、芸能活動してる no name の兄貴に誘われたんだよ俺! すごくね?」 「いいじゃん。やっちゃいなよ」  至極面倒くさそうに言われた。芸能活動だとか、no name の兄貴、なんてワードは名取の耳に届いてもいないようだ。 「やるわけないだろ!」 「そう言うと思った。それなら全然面白くない。お前がモデルになるって決めたなら、腹の底から大笑いの大爆笑。一番面白いオチだったんだけどね」  流暢な物言いに俺はため息をついて項垂れた。 「ほんともうさぁ〜……名取、俺に結構冷たくない?」 「鈴加くんがモデルするって言うなら俺もちょっとは優しくなれるかな?」 「ミーハーっていうんだよ、それ」 「倉本さんと付き合ってる男に言われたくないな」 「それはミーハーじゃない! 告白されたの俺だから!」  弁解する俺に、名取は楽しそうに大口を開けて笑うと、その後少し寂しげに目を伏せた。 「早く席替えしたいなぁ…… no name の話はもう聞き飽きたや」  冗談のつもりだろう。けどその声は寂しそうで、もっと聞いていたかったと言っているようにも聞こえた。 「……バカかよ。席替えしても耳元で言い続けてやる」  卒業まであと少し。  鬱陶しい宣言を言い放ったが、名取はどこか嬉しそうな笑みをこぼした。 「迷惑だよ」  その照れ笑いのような、はにかみのような笑みは、陰キャのモブとは思えぬ可愛さで、俺は思わず顔を背けてしまった。  二学期の後半から始まった名取との交友関係。それまでは本気でただのモブだったのに、急にそんな寂しそうな顔されたら……もう卒業が近いってことを改めて実感させられてしまうじゃんか。お前と no name の話できなくなるのを、突然寂しく思っちまうじゃんかよ。  no name の話を面倒がりながらも聞いてくれる名取の存在はデカイ。  しかし新学期開始三日で席替えになると、体育の授業以外では滅多に会話しなくなった。元よりグループが違うとそんなもんだ。それでも隙を窺って突撃しに行った。  その度面倒がられたけど、名取は毎度俺に言った。 「もう面倒くさいからモデル目指せばいいじゃん」と。  そういうことじゃないんだと、毎度首を振っていたのだけど、例年より早めに始まる春休み前、名取は真剣な瞳で俺に言った。 「モデル、本気で目指しなよ。鈴加くんならきっと上手くいく」  そう言ってまたあの柔らかな微笑みを向けた。no name の話を聞くのが面倒だから適当なことを言ったというわけではなさそうで、名取はメガネの奥から俺へ真剣にモデルを薦めてきた。 「これは冗談じゃないよ。俺、本気で薦めてる」  そう言って優しく笑った。優しく笑って……その後、少しだけ寂しそうに目を伏せた。 「モデルしてくれたらさ、ほら……またどこかで、俺はキミに会えるだろ?」  何を思ってこんなことを言うのか、俺には全然分からなかった。ただ、ぎゅっと……ぎゅーっと胸が締め付けられた。寒い廊下で、たくさんの生徒で騒がしいいつもの廊下で、名取はスクールバッグの肩紐をぎゅっと固く握った。  右手の甲。人差し指と中指の間。小さなホクロが俺の目に焼き付いて、俺はどう返事していいかよく分からないまま、考えておく、なんて曖昧な返事で済ましてしまった。  春休みに入る。次会うのは卒業式──。この息苦しさを抱えたまま、俺は名取に背を向けた。
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