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クリスマス休暇を楽しむ
学校がクリスマス休暇に入って三日が過ぎ、成園くんが私のアパートを訪ねてきた。大きなチキンと酒を持って。そこで私たちは、パンを買いに街へ出た。
市場はクリスマスの雰囲気で満ちている。人々は挨拶のようにメリークリスマスと口にする。あなたに愛が届きますように。私にはそんなふうに聞こえた。
私たちはチーズやワインを買い込んで、休息がてら少し公園に寄ることにした。ベンチに座って休もうと空いているベンチを探していると、三つほど向こうのベンチ辺りに人だかりが出来ているのを見つけた。私たちは顔を見合わせて、つい野次馬根性で近づいて見た。
すると、人だかりの先で二人の男が口論していた。
「私の懐中時計を返してくれないか? あれはとても大事な物なんだよ。」
背の高い初老の紳士が言う。
「おいおい、言いがかりはよしてくれ。私が盗んだと言うのかい?」
少し小柄の男が手を広げて言う。どうやら背の高い紳士の懐中時計がなくなったようだ。
「私はこのベンチに座って本を読む前に、時計を見て時間を確かめたんだ。その時には、このポケットにあったんだ。その後、このベンチに腰掛けたのがあなただ。そして今、立ち上がって時間を見ようとしたらないんだよ。」
「だからって、私が盗んだと言うのかい? よく確かめてみろよ。本当に時計なんて持っていたのかよ。」
小柄の男が負けじと主張する。
「えぇ、持っていましたよ。時計を見て帰るにはまだ少し早いと思って、ここに座り本を読んでから帰ろうとしたんです。
そしてしばらく読んだ所で、今日は妻の誕生日だと思い出した。だから花を買って帰らなきゃと焦って、時間を確かめようとしたんだ。それで時計を取り出そうとポケットに手を入れたら無かったんだ。
あの時計は、クリップが少し弱くなっていてね。少し引っ掛かっただけで簡単に外れてしまうんだよ。」
「それはお気の毒様。じゃぁ、落としたんじゃないのか?」
小柄の男に言われて、背の高い紳士はベンチの周りを探すが時計は見当たらない。
「ない。何処にもないぞ。困った。何処にも無い。本当に君は持っていないのかい? 頼むから、もし持っているのならすぐに返して欲しい。」
背の高い紳士は、小柄の男に頼み込んでいる。だが、小柄の男は持っていないの一点張りだ。
その時、成園くんは小さな声を聞いた。声は、橋本先生の頭上から聞こえてくる。ふとそちらへ顔を向けると、橋本先生の頭上で女性が二人手を振っている。二人とも幽霊だ。
成園くんは愛想笑いをして女性たちの会話を聞いていると、どうやらあの小柄の男が泥棒らしい。彼の左のポケットには、あの紳士の懐中時計が入っていると話している。幽霊たちは軽蔑した口調で話し、小柄の男を睨んでいる。
「橋本先生。どうやら背の高い紳士が言うようにあの小柄の男が泥棒のようです。ここは一つ、私に合わせて芝居を打って頂けませんか?」
成園くんが持ち掛けてきた。
「芝居ですか? 私に出来るかどうか・・・」
「とても簡単な芝居です。橋本先生は、私を責めながら歩いてくれればいい。私は責められながらあの小柄の男にぶつかりますから。」
「分かりました。何とかやってみましょう。」
私はいつもより、自分が大胆だと思った。成園くんと一緒だからなのか? 旅先だからなのか? 理由は分からなかったが、成園くんの提案が面白そうだと思ったのだ。私と成園くんは顔を見合わせ一つ頷くと、紙袋を抱えたまま芝居を始めた。
「だから言ったんだよ。あのチーズは高すぎるって。あのチーズを買わなければ今頃は、ナッツだって手に入っていたんだ。」
私は日本語で成園くんを責めながら詰め寄った。すると成園くんは、後ずさりしながら人込みをかき分けベンチの前の二人の男の方へ近づいて行く。
「何だよ。俺のせいだって言うのかい? 先生がそんなにナッツを食べたかったなんて知らなかったよ。だったらあの時、チーズを買う前に言ってくれればよかったじゃないか。」
成園くんも日本語で返した。
「私は君に気を使ったんだ。クリスマスだし、きっといつもより良いチーズを食べたいんだろうなと思って。それでもまだ少しはナッツも買えると思ってたんだ。」
私は成園くんを責めながら微妙に方向を調整して前に進む。成園くんは、やはり勘のよい男でそれに合わせて方向を変えて後ずさりちゃんと小柄の男にぶつかった。
「あっ。これは失礼。先生に責め立てられましてね。慌ててあなたにぶつかってしまった。申し訳ない。あっー Sorry.Sorry!」
成園くんは、日本語で小柄の男に詫びながら彼のジャケットを撫でた。そして、男のポケットに手が当たると、
「おや、ポケットに何か入れてらしたのですか? ぶつかってしまって大丈夫でしたか?」
と大げさに言って、さっと男のジャケットの左ポケットに手を突っ込むと、中にあった懐中時計を取り出した。すると背の高い紳士が
「あぁ、それは! それは、私の懐中時計です。やはりあなたが!」
と懐中時計を指さした。
「何を言っているんですか。これは私の懐中時計ですよ。言いがかりはよしてくれ。」
小柄の男が少し慌てた様子で言った。すると背の高い紳士が
「その懐中時計は、私の会社が軌道に乗り余裕が出来たので、ある学校に寄付をし続けた証なんだ。子供のいない私たち夫婦が、何か子供たちの為になる事をしようと妻と相談してね。
その学校が五十周年を迎えた記念の時に、長年の寄付のお礼にと配られた大事な物なんだ。蓋の裏に、その学校の校章が入っている。青年よ、見てください。」
と必死に訴えた。
成園くんが懐中時計の蓋を開けると、そこには紳士が言うように帆船の図柄が刻印されていて五十周年の記念の文字もあった。間違いない。これは背の高い紳士の物だ。
成園くんは確証を得ると、懐中時計を高く掲げ集まっている野次馬に見せた。
「皆さん。ここに帆船の刻印があります。50th. Anniversary 五十周年記念の文字もあります。この時計は、あちらの紳士の物に間違いありません。」
野次馬から拍手が起こった。その瞬間、小柄の男は踵を返し逃げ出した。それを血気盛んな野次馬が追いかけて行き、残った野次馬は成園くんに拍手を贈り安堵して解散していった。
「いやいや、お二方。ありがとうございます。私と妻の大事な懐中時計が手元に戻って来ました。本当にありがとう。よかったらこれを。先程お二方は、ナッツとチーズの事で揉めていた様だ。」
紳士はチャーミングに目配せすると、小さな紙袋を成園くんに渡した。開けてみると中にはナッツが入っていた。成園くんと私は、顔を見合わせて微笑んでしまった。紳士は、とても満足そうにしている。
「それからこれを。今はこれしかないんだ。私からの感謝の気持ちです。もしくは、ロンドンのサンタクロースからだと思って受け取って欲しい。どうか・・・」
そう言って紳士は、指にしていた金の指輪を二つ外して私たちに一つずつくれた。成園くんには黒い石が付いた物を、私には黄色の石が付いた物を掌に載せてくれた。
「いやいやいや。こんなに高価な物を頂けません。ほんの少し二人で芝居をしただけですから。」
私は丁寧に断った。けれど紳士は首を横に振り
「この懐中時計は、私と妻にとって生きてきた証なんです。二人で事業を始めて大きくした証なんです。とても大事な物なんですよ。その二つの指輪よりもずっとね。」
とウインクした。成園くんはそれを見て
「Thanks London´s Santa Claus! Merry Christmas!」
とウインクして、金の指輪を指に付けて見せた。そして私にも付けてみろと手で合図して微笑んだ。
「私はこれから妻への花を買って帰らなきゃならない。今日は大事な妻の誕生日でね。これで失礼します。お二方、本当にありがとう。よいクリスマスを。」
紳士は懐中時計をしまった胸ポケットに手を当てると、一礼をして公園を出て行った。
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