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指輪が運ぶLucky
私たちは誰もいなくなったベンチに座った。すっかり太陽が西に傾いている。冬の暮れは早い。
「あぁー。なんだかどっと疲れました。」
「ははっ。私もです。いやー、成園くん。お見事でした。さすが探偵さんですね。いつあの小柄の男が泥棒だって分かったんですか?」
「いやぁ、橋本先生。芝居に付き合ってくださり、ありがとうございました。ですがね、あの小柄の男の左ポケットに懐中時計が入っていると分かったのは、橋本先生のお陰なんですよ。」
私は目が点になった。
「えっ! 私のですか?」
驚いて声を上げベンチの背もたれから起き上がった。
「えぇ。あなたの所にやって来た美女の幽霊二人が話していたんです。あの小柄の男は、盗んだ懐中時計を左のポケットに持ってるくせに何なのかしら。図々しいわ。憎たらしい。って。だから、橋本先生のお陰なんです。先生はどうも、幽霊を引き寄せやすい人のようだ。それも美女の幽霊をね。」
「えっ・・・」
私はぞっとして後ろを振り返った。
「はははっ。もういませんよ。何処かへ行ってしまいました。橋本先生は、幽霊にオモテになりますね。」
「やめてくださいよ。成園くん。でも船の中で、あなたが話していた意味が分かりましたよ。幽霊探偵というのはつまり、今日のような仕組みなのですね。」
「えぇ、そうです。私が探し出す訳ではないのです。近くにいる幽霊や関係者の幽霊が教えてくれるんですよ。私はその通りに探して見つけるだけなんです。」
「なるほど。よく分かりました。それも授かった才能を使っての人助けですね。」
「えぇ。そうでありたいと思っています。時には人だけでなく幽霊を助ける事になったりしますがね。」
成園くんは、ロンドンっ子のように手を振りながらウインクして見せた。それがなかなかキュートで様になっていたので、私も思わずウインクして返してしまった。
「ところで橋本先生。さっきのチーズは高いと思っていたんですか?」
「あぁ、いや・・・ そうだね。私の普段の生活からしたら買わない値段だったね。それにナッツが欲しかったのも本音だ。」
「なーんだ。そうだったんですね。実を言うと私も、ちょっと贅沢だと思っていましたよ。私だって普段だったら買わない値段です。だけどクリスマスですし、最後の晩餐ですから。
私はもうすぐロンドンを発たねばなりません。このクリスマス休暇が終わったら、日本へ帰るんです。だから、橋本先生とロンドンでの最後に、美味しい物を食べようと思い切って手を伸ばしたんですよ。」
「なるほど。ちょっと安心しました。そうですね。旅の思い出に二人で美味しい物を食べましょう。それに、結果的にナッツも手に入った訳ですし、やっぱり私たちは Lucky Guys だ。」
「はははっ。そうですよ。私たちはツイている。はははっ。これも橋本先生に幽霊がくっついて来るお陰ですね。」
成園くんはそう言って私の頭上を見た。
「おや。あの美人の貴婦人がいらっしゃらないようですが・・・」
「やはりそうですか。実はあの日、成園くんとカルムさんが部屋に来てくれた夜から話し声がぴたりとしなくなったんですよ。」
「そうでしたか。どうやら貴婦人は、あなたから離れてしまったようです。日本の幽霊はやはり夏が出番なんですかね。」
「ははっ。なるほど。それは一理あるかもしれませんね。」
私たちはベンチから立ち上がり、幽霊のいなくなった私のアパートへ歩き出した。
私たちは、それから三日かけて丸ごと一羽のチキンを食べワインを飲み最後の晩餐を楽しんだ。そしてクリスマス休暇が明けた頃、成園くんは日本へ帰って行った。私は成園くんに天宮校長への手紙を託し港で見送った。
再び学校が始まり平穏な日々に戻った私は、アルバート先生以外の授業も見学できるようになった。
さらに、各授業の中の十分間を受け持つようになった。それは、その日の授業に出てくる構文を使って、日本の事を生徒たちに紹介するというミッションでもあった。
生徒たちは見知らぬ国の文化について話す私に輝いた目を向けてくれた。頷き興味を持って聞いてくれる子もいた。私は幾つもの小話をノートに用意し授業に臨んだ。
そうだ。日本に帰ったら逆の事をしよう。そう思いついた。イギリスについて、ロンドンについての小話を幾つも書き溜めておこう。それを日本の授業で話すのだ。私はそう決めて新しいノートを一冊買った。
やがて春の花々が盛りを越えようかという頃になり、学校では創立五十五周年の式典が開かれた。式典は華々しく重厚な次第で執り行われた。そして滞りなく終わると、賑やかなパーティーへと移行した。パーティーには、たくさんの来賓が集まっている。町の有力者や寄付をしてくださっている事業家の方々が主なゲストのようだ。
その中で私は、隅っこの方で会場の様子を眺めるようにして大人しくしていた。やはり慣れていないせいかパーティーというのは苦手だ。そうしていると一人の紳士が近づいて来た。
「失礼ですが、もしやクリスマス休暇の頃に公園でお会いしませんでしたか?」
品のよい話し方の紳士は、そう言って懐中時計を見せた。
「あぁ、あの時の。えぇ、そうです。お会いしました。あなたはこの学校に寄付をしてくださっている方でしたね。」
私は懐中時計を指差しながら答えた。
「えぇ。ですので今日もお招き頂きました。五十五周年、おめでとうございます。あなたはこちらの先生でしたか。」
「あぁ、えぇ。今は。私は、日本から半年だけ交換留学の教師として来てこちらの学校でお世話になっているんですよ。その任期もあと二か月程ですが。」
「そうでしたか。では、お戻りは年度末ですかな?」
「えぇ。ですが卒業式の前に出る船に乗る予定になっています。日本での授業の始まりに間に合うように戻るのです。あっ、失礼。私は橋本と申します。」
「あぁ、いや。こちらこそ失礼を。私は、ギルネスと申します。あの時は本当に助かりました。家に帰って妻に話すと、好い人に出逢ったと喜んでいました。今年は、忘れられない妻の誕生日になったと私も感謝しました。改めてお礼を、ありがとうございました。
私はこの町で食器問屋をしております。きっと橋本さんが日本へ戻られる船でも、私の会社の食器が使われ積荷にも入っているはずです。」
「そうでしたか。それはそれは大成功なされたんですね。おめでとうございます。あの時も、この懐中時計は奥様と歩まれた事業の証だと仰っていましたね。帰国の船では、食器にも注目しましょう。乗船の楽しみが増えました。」
「えぇ、ぜひ。楽しい船旅を。あの時ご一緒だった方はご友人ですか?」
「はい。こちらへ来る船で知り合いまして。今は友人です。日本に帰ってもまた会うと思います。彼は、三か月程前に帰国しました。」
「そうでしたか。では、ご友人にもよろしくお伝えください。その指輪、付けてくださっているんですね。」
「えぇ。幸運の指輪ですから。私に幸運を呼び込んでくれます。あの時も、買えなかったナッツを運んでくれたんです。ありがとうございます。」
言い終わった私は、いっちょ前に気取ってウインクをして見せた。ギルネス氏は微笑んでくれた。
それからしばらく、私とギルネス氏は立ち話をした。日本の食器の話や船旅の話で盛り上がり、その勢いに乗じて奥様とのなれそめや創業当時の苦労話まで聞けた。彼もあまりパーティーは得意ではないようで、私たちは気兼ねない二人の話に花を咲かせ思わぬ再会を喜んだ。
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