朝顔邸の主へ

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朝顔邸の主へ

   青年に案内され着いた所は、丘の上の教会の隣に在るお屋敷だった。あの朝顔邸の貴婦人が住んでいたお屋敷だ。  その一角に若旦那の工房があるようで、青年はお屋敷の中へずんずん入って行く。そして応接室に私たちを案内すると、若旦那を呼びに工房へ向かった。  私と成園くんは、テーブルに向かった椅子に座り若旦那の到着を待った。 「お待たせ致しました。あの物件の管理責任者の東堂です。あれ・・・ 橋本先生ですか?」 「えぇ、橋本です。お久しぶりです。お元気そうで何より。」 「えっ? あの物件を借りたい方というのは、橋本先生ですか?」 「えぇ、私なんです。実はこの一年、学校の方針で教師の交換留学というのがありましてね、私はイギリスへ行っていたのです。その出発前に住んでいた家は手放し、帰国したばかりの今は家がなく、彼の事務所に仮住まいをさせてもらってまして。」 「初めまして。成園と申します。」 成園くんは動じもせず、さっと名刺を出した。東堂くんは、名刺を見るなり怪訝な顔をした。すかさず私は 「星野・・・ あっ、いや東堂くんでしたね。どうかあの家を私に貸してくれませんか? 今年も見事に青く美しい朝顔が咲いていました。また、あの朝顔を見ながら過ごしたいと思いましてね。」 「あぁ、えぇ。あの朝顔はとても強くてね。主が居なくてもしっかり咲いてくれました。まるで強い生命力と意志があるようにね。いやぁ、橋本先生なら大歓迎ですよ。ぜひ、あの家に住んでください。懐かしいなぁ。一緒に縁側で飲みましたよね。」 「えぇ、あの縁側で。楽しかったですね。あれからあなたは大出世なされて、今は東堂の一翼を担っている。」 「いやいや、運が善かったのですよ。お陰様で今もこうして好きな家具を作り続ける事ができ、それが大きな商いにもなっている。幸せな事です。」 「まさにLucky Guy ですな。」 「ははっ。えぇ、Luckyです。」  それから東堂くんは、家の契約書を用意させ私と共に署名した。そして二人の名が紙面に並び安心した様子で、部屋の戸口で控えている朝顔邸の掃除をしていた青年に、 「それで、いつからあの家に入れますか?」 と聞いた。 「はい。ちょうど今日、家の内も庭もきれいに掃除をしたところですので、明日からでもお入りになって頂けます。」 「それはいい。ありがとう。そういう事ですので橋本先生、明日からでも住んで頂けますよ。」 「それは有り難い。では明日、荷物を運び入れます。と言っても、当面はトランクが三つですがね。」 「おや、家具などはお持ちではないのですか?」 「あぁ、ちゃぶ台や椅子があるには有るのですが、今は友人宅の離れに預けてありまして。その離れをイギリスから来た教師がまだ使っているんですよ。私の家具ごとね。」 「そうでしたか。では、よろしければ私が作った試作品のちゃぶ台やロッキングチェアが工房にありますので、引っ越し祝いに差し上げましょう。ぜひ、使ってください。」 「いやいや、そんな。今をときめく家具工房の若旦那さんが自ら作った家具を頂くなんて。」 「いえ、試作品ですから。販売の家具より少し劣ります。申し訳ない。ですがちゃんと使えますし、私の夢を形にした最初の物ですから縁起は良いと思います。」 「はぁ・・・ では有り難く頂戴いたします。」 「ぜひぜひ。では明日の朝一番に家に運び込んでおきます。その後、橋本先生が引っ越してこられた時に鍵をお渡し致します。」 「はい。よろしくお願いします。いやぁ、善かった。ありがとう。東堂くん。」 私たちは固い握手を交わした。その間ずっと、成園くんは黙って見守っていた。  そして無事に契約を済ませ東堂のお屋敷を出てから、やっと彼は口を開いた。 「橋本先生、彼女がとても喜んでいますよ。」 「彼女・・・?」 「えぇ、あの貴婦人です。白い着物の美人。あなたが言う、朝顔邸の美人ですよ。」 「えぇっ? また現れたんですか? 今も?」 「えぇ。あなたが東堂さんと契約を交わしている間ずっと、嬉しそうに見ていましたよ。」 「成園くん。それでずっと黙っていたんですか?」 「えぇ、まぁ。契約に関しては、私が特に口を挟む事もありませんし。今も私たちの会話を、すぐ後ろで嬉しそうに聞いていますよ。」 私は思わず後ろを振り返った。すると成園くんは吹き出して笑った。 「なんですか?」 「はははっ。橋本先生が後ろを振り返っても彼女はあなたと一緒に向きを変え、またあなたの後ろにいますよ。はははっ。」 私はなんだか遊ばれているようで面白くなかった。 「それで彼女は、いつから私の後ろに居るんですか?」 「朝顔邸を出る時からですね。確か。」 私たちは歩きながら話を続けた。 「成園くんは、彼女が現れても少しも驚かないんですね。他の幽霊の時もそうです。ロンドンの公園の時だって。私の後ろに集まっている事を教えてくれなかった。  それだけじゃない。ちっとも変わらない様子で私と話している。幽霊が突然現れて驚いたり、怖いと思ったことは無いんですか?」 「いやぁ、ありますよ。時々、傍若無人な奴もいますからね。だけど私からすれば、幽霊の方が純粋で素直で接しやすい。生きている人間は、しがらみや建前で色々と複雑ですからね。  幽霊はそういったものがないからとても素直です。大概の幽霊は自分の想いに真っ直ぐにいる。」 「なるほど、確かに。我々こちら側に生きる人間は、何かと面倒なことも多いですから。裏腹な事も多いですしね。」 「えぇ、本当に。幽霊たちは純粋に願いを叶えているだけ。生きていた時に出来なかった事をしているだけです。基本的に幽霊でいられるのは四十九日だけですからね。少し急がなければなりません。幽霊はそこそこ忙しいんですよ。  その願いを叶えるために好きな人に寄り添ったり、行きたかった場所に行ったり飲みたかった酒をこちら側の人の手助けを得て飲むとかね。  その為に誰かの傍にくっついたりしているんです。そして時々、感度の高い人に見つかる事があるという訳です。」 「そうですか・・・ 生きていた時に出来なかった事ですか・・・」 「えぇ。後悔です。ですがどうやったって人は、全てをし尽くして完全燃焼なんてあり得ない。どうしたって、やり残した事や後悔は生まれるんです。最期にきれいさっぱりなんてない。だから天は猶予をくれた。  この世に残された生きてる方も心を和ませてゆく為のお別れの時間になる。それが四十九日だと思うんです。  幽霊になった者は、その間に出来る限り叶えてから渡っておいでって。  それでも時々、猶予を過ぎてもこちら側に残ってしまう者達がいる。そういう者達が幽霊のまま人や場所、物にくっついたまま残ってしまう。彼らは意志やこだわりのとっても強い者達とも言えますね。」 「なるほどねぇ。」 私は、成園くんの話にひどく納得してしまった。 「だから橋本先生にくっついている美人は、結構な頑固者だという事です。だってもう、すでに四十九日をとうに過ぎていますからね。」 「なるほど、確かに。何か理由でもあるんですかね?」 「さぁ、どうでしょうね。あぁ、着きました。我が事務所です、今日はここでの最後の晩餐ですね。夕飯はどうしましょうか?」 「そうですね。チキンという訳にもいきませんから、焼き鳥でも買ってきますか。」 「はははっ。それはいい。では、チーズやナッツも買いますか?」 「いやいや、それは。また喧嘩になりますよ。何か別の物にしましょう。ただし、今晩は成園くんの事務所で最後の晩餐で、明日は私の新居での引っ越し祝いの宴ですからね。」 「あははっ。いいですね。そうだ、東堂家からも引っ越し祝いで何か届くかもしれませんしね。」 「成園くん。あまり期待しない方がいいと思いますよ。すでに引っ越し祝いで家具を頂くことになっていますから。」 「えぇ、まぁ。ですが私たちはLucky Guysですから。」 「はははっ。」 私たちは事務所の前でそんな話をして、中には入らずそのまま最後の晩餐の買い出しに出かけた。  両手に荷物を抱え買い物から戻ると、私は荷物をまとめ引っ越しの準備を済ませた。とはいえ服や身の回りの物だけなので、すぐに終わった。  トランクを三つ抱えて来てトランクを持ち出すだけの、また旅に出るような引っ越しの準備だ。その後は、男二人の宴会が始まり語らいのうちに夜は更けた。  
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