船上レッスン

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船上レッスン

 翌日から私は、成園さんの英語の先生となった。幽霊探偵というのは、よほど儲かるのか? それとも実家の援助が大きいのか? 彼は一等船室の住人だった。昨夜の食堂だって、彼の招待がなければ入れない一等専用の食堂だった。    英語のレッスンは毎日、午後に三時間という約束になった。しかも彼は、レッスンの後に時々私を一等の食堂に招待してくれた。思いがけない報酬付きレッスンとなった。    成園さんは元々の勘もよく、英語はめきめきと上達していった。  元々の勘の良さという点で云えば、学校の生徒たちはバラバラで差がある。そのバラバラな閃き感度を持って座っている生徒たちに同じ授業をするのは、なかなかに難儀な事である。と私はずっと思っていた。  だから成園さんへのレッスンに私は、学校で教えるより楽しくわくわくし面白味を感じていた。もちろん学校で勘の鈍い生徒にも理解してもらえるよう工夫する事も楽しい。そうして理解された時の喜びはとても大きい。だが、成園さんの飲み込みの速さとすぐに実践する度胸は、見ていて気持ちがよかった。    そうしてレッスンにも彼との関係にも少し余裕が出来てきた頃に、私は思い切って聞いてみた。 「それにしても幽霊探偵というのは、随分と羽振りがよいのですね。この長旅に一等船室だなんて。」 「いやいや。実はね、これにはカラクリがあるんですよ。そのお陰で豪華な旅が出来る訳なんですよ。」 「ほう。カラクリですか。それは一体どんなものです?」 「えぇ、実はね。私のような仕事をしている者は珍しいですからね。世の中にそうそう居るわけじゃない。中にはペテン師もいる訳です。お困りの方はまず、本物や正統を見つけて依頼しなければならない。」 「ほう、なるほど。確かにそうですね。」 「えぇ。それでやっと見つけた本物に依頼に行く。その依頼というのは、通常の探偵には頼み辛い事や、そこでは結果が出なった事が多い。依頼を受けた私は、誠意を持って調査する。するとね、世の中には秘密にしておきたい“お家事情”とか、色々と出てきてしまう訳ですよ。」 「それは・・・ スキャンダル?」 「えぇ。決して公表できないスキャンダル。そうしますとね、依頼者は謝礼として結構な金額を置いていくんですよ。調査料金とは別にね。もちろん私は断りますよ。“料金以外は結構です”とね。  ですがあちらさんは、決まりが悪いし暗に陽に口止めもしたい。だから守秘義務の契約があるとはいえ、強引においていくんですよ。最も私は、そんなお金を頂かなくても決して口外などしませんがね。」 成園くんは、私にウインクして見せた。風貌と似合わぬそのウインクが、私にはまたひどく愛嬌のあるように見えた。 「なるほど。そういう訳ですか。」 「えぇ、そういったお金は、あちらさんでも出金の記録を残せないお金でしょうし、こちらとしても困ってしまう。だからこういう形で海の藻屑と化して失くしているんですよ。ですからあまり気にせずに。何ならこの部屋で大半を過ごして頂いても構いません。私は、橋本先生なら大歓迎ですから。」 成園くんは、そう言って西洋人のように両手を広げて見せた。これまた風貌に不釣り合いなジェスチャーだったが、とても様になっていた。 「いやいや、さすがにそれは。こうして英語のレッスンの度に、こちらへ来られるだけでも恵まれているというもの。私もLucky Guy ですな。はははっ。」 私も負けじと西洋人さながらに、高らかに笑って見せた。つられて成園くんも笑った。      こうして日課となった成園くんへの英語レッスンのお陰で、単調な大海原の旅も瞬く間に過ぎていった。次第に私たちは、英語だけでも随分と会話が続くようになっていた。いやはや“センス”というものは、恐ろしいものだと感じた。  そういえば、霊感やとびぬけた閃きの事を第六感というが、西洋人はそれをセンスと言ったりする。なるほど、センスというのはそういうものかと、私は一人で妙に納得してしまった。    ついに明日はイギリスの港に入港し下船するという晩、成園くんは私に日本酒を誘ってくれた。私たちは、しみじみと日本酒を飲んだ。次に日本酒を飲めるのは、きっと帰国後だろう。しばらくはこの味ともお別れになる。 「いやぁ、橋本先生。すっかりお世話になりました。お陰様でだいぶ話せるようになりましたよ。後はもう、勇気を持って前進するのみです。」 「いやいや。お世話になったのは、私の方ですよ。私だけでは見る事の出来なかった場所へ、こうして立ち入らせて頂きました。それに成園くんは勘がいい。英語のセンスがある。教えていて、わくわくしました。こちらこそ楽しい時間を、ありがとうございました。」 私は心からの礼を言った。成園くんは嬉しそうにグラスを掲げている。私もグラスを掲げ互いのグラスを寄せカチンと鳴らすと、私たちは笑顔で飲み干した。 「ところで成園くんは、向こうではどちらにお泊りで?」 「あぁ、私は友人の家にとりあえず。向こうには三か月程しかおりませんので、きっとそのまま友人の家にお世話になると思います。彼は少し日本語が出来ますし安心ですから。」 「なるほど。それはいい。私は、こちらの学校にお世話になります。学校がリチャード先生・・・ 私と交換で日本へ行った先生なんですが、その先生のアパートを使ってくれというものですから、住まいはそちらに。」 私は、テーブルのコースターの裏にロンドンの学校の名前と住所、自分の名前を書いて渡した。 「ありがとうございます。もしよろしければ、クリスマス休暇の時は学校もお休みでしょう? 私も一人になってしまいますので、一緒に観光でもしませんか? 英語の先生が一緒なら私も心強い。」 成園くんは、子供のように無邪気な笑顔を見せた。 「そうですね。向こうはクリスマス休暇を大事にしますもんね。ご友人もご家族と過ごされるのですね。いいでしょう。ぜひ、ご一緒しましょう。」 私たちは、そう約束して船での最後の晩餐を楽しんだ。成園くんは、私が書いたコースターを手帳に挟むと羽織の裏の隠しポケットにしまった。
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