一日目 とてもありふれたモノ その3

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一日目 とてもありふれたモノ その3

 夕暮れが教室を茜色に染めていた。窓の外からは運動部の掛け声が薄っすらと聞こえる。物音がしない校舎にはその声がやけに寂しそうに響いていた。風香はそれを細い目で見下ろしながら、やがて視線を外した。  教室にはもう一人。舘内雅乃が居る。閉め切られたこの空き教室には、私と雅乃の二人しか居ない。  という行為には、必ずしも隠匿するものがあるということの裏付けにもなる。ならば、彼女たちにも、人には決して言えないような秘密を隠しているのだろう。  ならば、それは何か。  「【風よ】」  誰の耳にも届かぬ独り言は茜色の教室を彷徨う。開かれた窓から春の陽気が、肌を撫でるように優しく心地よく吹く。まるで、御伽噺の国に招かれてしまったような。不思議な感覚が風香を覆う。しかし、彼女は雰囲気に気圧されることなく、まるで彼女が童話の姫であるかの様に美しく溶け込んでいる。  それは、飛んでいた。  浮いているのではない、鳥の様に自由に上に上がったり、下に下がったり。蝶が踊るようにして、先程まで風香に握られていた小さな人形が自由自在に飛んでいた。  人形は風香の周囲を懐いた鳥の様に回ってみせる。満足したのか、今度は雅乃に周りを塒とぐろを巻くようにゆっくりと回る。そうして、天井に向かって急上昇し、激突して力無く地面に落ちた。  パチパチパチパチ。  雅乃驚いた様に手を叩いた。 「流石ね風香。そんな細かい動きが出来るなんて」  風香は自分の手の平を見つめていた。そして、寂しそうな自虐的な微笑を浮かべて言った。 「こんなの、まだまだよ。お母様に比べらたら」  遠い世界を懐かしむような声に雅乃は一瞬、困った顔をした。自分はあくまでも正直な感想を述べたつもりだったが、藪蛇だったらしい。  少女達の秘密。それは、魔術師である、ということだ。  科学が世界を支配する現代。魔術という概念は、有り得ない事を言う代名詞になってしまった程、その存在は薄れ、形状を変化させていた。  神話へと昇華された魔術という概念。しかし、実際には遥か過去、西暦を数え始める前では世界を支配していたのは科学では無く魔術なのだ。魔術があったから、人間は火を理解した。魔術があったから、人間は言葉を介するようになった。しかし、近代になり科学によって魔術は代用されることになった。その神秘を、原初の神秘である人間、その文明により消されてしまうのは何とも皮肉な話である。    魔術は元来、隠匿するべきものである。それらは今までもこれからも、最優先で守らなければならない。解明できない謎を前にすると、人間は是が非でも解きたくなる存在だ。それ故に、魔術の正体が世間一般に知り渡られてしまったら、その歴史は終わりを迎えるのだろう。  現在我が日本では、魔術は四つ巨大な派閥によって支配されている。【風】【火】【水】【土】いわゆる四大元素と呼ばれる魔術を保有している家系が、それぞれの地域を支配している。  人形を拾い上げる。柑橘色に染まった髪の毛が茜色の輝きを浴びて、輪郭を帯びる。太陽のような髪の毛とは真反対の闇を纏った紫色の瞳。  彼女こそ、四大元素を保管する魔術師の家系『橘家』の一人娘。橘風香その人である。 「今日はもういいや~~。雅乃は練習しなくていいの?」 「私はーーいいのよ。日常的に使ってるし」 「へーー、どんなときに」 「…………食べ過ぎた時に、ダイエットとして」 「……これは憶測だけど。この広い日本の中で、魔術をダイエットに使ってるのは雅乃だけだよ」 「う、うるさい!! 使えるものを使ってるだけよ!! 上から押し潰すわよ!?」  雅乃は真面目なのだろうが、時々奇想天外な行動をするから、奥ゆかしい雰囲気が漂ってしまうのかもしれない。  「なんて物騒な物言い」                      「魔術の練習が終わったなら、とっとと寮に戻りましょ?」  雅乃は踵を返して、教室の扉に向かう。その後ろ姿を見ると、何故か寂しくなった。どうしてだろう。だって、彼女とはこれからもずっと一緒だ。この後寮に戻ってもからも、これから始まる高校二年生も三年生も彼女とはずっと…………。 「いや、違う」   教室を後にする雅乃とは対称に、風香は自分の髪の色と同じに輝く、オレンジ色の光を窓越しに見つめた。まだ少しだけ肌寒い日の夕暮れ。この日が、一年で最も邂逅と離別を意識させる。 「高校を卒業すれば、離れ離れ。雅乃は大学に行って、私は、私は何をするんだろう」  一筋の雫が頬を伝ったことに、風香は気付いていない。ただ、呆然と半身を地平線に沈めた赫奕かくやくたる太陽を見つめている。そんな様子の親友を不審に思った雅乃は、声もかけずに廊下で待っている。たまに起こる症状に似た行動にもう慣れ素振りで、雅乃は温かい目で風香を見守っている。 「…………おほんっ」 「あ、ごめん、雅乃」 「いいのよ。別に急いで何かないし、人生急ぎ過ぎると転んじゃうもの。たまにはゆっくりしないとね」  そんな親友の優しさを感じた風香は、思わず顔をほころばせる。 (でも、それはあと二年後の話)  少女は、小さく呟いて、雅乃の下に駆け寄った。  限られた時間を憂える暇があったら、楽しまなきゃ損だもんね。  前向きな少女の思考は、人間として生きる上で正解の行動と言えた。人間迷っている暇があったら、行動して、失敗する。それを自信に繋げられる人間は間違いなく無敵だ。それが人間の処世術であることを、橘風香は本能的に気付いていたのかもしれない。  そうして、風香が雅乃に抱き着いた時だった。違和感が風香の脳内を過った。雅乃の背に両腕を回して彼女を捕まえるが、何故が雅乃は反応せず、風香の身体に寄り掛かった。  そして、ずるずると、滑り落ちていった。 「み、雅乃!?」  荒い息が風香の腹にかかる。過呼吸に近いその様子を見て、風香は一瞬たじろいで、すぐに彼女の両肩を揺すって、 「大丈夫!? 雅乃!?」  意識があるのか分からないので、かなり声を張った。廊下に響いたが、校内に全く人の気配はしない。 「はぁはっ、はぁ。…………平気。ちょっと眩暈がしただけ」 「ほ、ほんとう……?」 「えぇ、……………………何よ。朝起こす時はあんなに嫌な顔を見せるのに、随分と心配してくれるのね」 「当たり前でしょっ!! ばか!!」  風香の腕の内に抱かれた雅乃の顔はとても驚いた様な顔を見せた。大声に驚愕したのか、真剣な眼差しに驚愕したのかは分からない。やがて雅乃は押さえつける両腕を退かして、立ち上がった。 「も、もう平気だから」  立ち上がった雅乃は何故かこちらに顔を向けずに、訥々とした声で大丈夫だと呟いた。耳の先が真っ赤に燃えているのは、眩暈の副次的なものなのかは医学の知識に乏しい風香は分からない。もっとも、この場合に必要な知識は、方向性が違うが。  そうして、二人は言葉を交わさずに寮へと戻った。
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