三日目 さようなら、私の日常 その1

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三日目 さようなら、私の日常 その1

 ーーいつも思い出す。  ーー去年のことを思い出す。  ーー遠くで、近くで、風が吹いている。  ーー地上は枯れ果てている。空は朽ち果てている。  ーーやはり、風が吹いている。  ーーごぉごぉ、と鳴いている。  ーーそれが罪の意識を芽生えさせる。  ーー前に進みたくない。  ーー血だまりが罪悪感を濃くする。  ーーこの先は、どれだけの死体が散乱しているのだろう。  ーー膝が泣いている。  ーーそれでも人である以上、動いたのなら進むしかない。  ーーそれにしても…………あぁ、全くなんて気持の良い日なのだろう。  ーーさようなら、私の日常。 一一一一一一一一  また、朝が来た。微睡の時は無く瞼は完全に開き、脳は睡眠と覚醒を切り替える。重たい頭をゆっくりと上げて、虚ろな瞳で部屋を見渡す。  あるべきものが、あるべきところになければならない。 「雅乃」  返事は無かった。静寂が木霊する。風香は時計を一瞥する。秒針を絶えず回しているそれは、現在の時刻が風香が普段起きる時間よりも少し遅い時刻なことに気が付いた。やはり、目覚まし時計は鳴っていたようだ。私は遂に寝ている間に身体を動かす能力を会得したらしい。 「……………………?」  長閑な朝日に向けて、風香は疑問符を浮かべていた。雅乃から今朝も返事が無い。近寄って紫色の布団を剝ぎ取る。やはりそこには、何故か数を増やした趣味の悪い人形が二つ置かれていた。親友の顔は見当たらない。部屋を見渡す。制服はやはり無かった。しかし、今朝はどうやら置手紙も無いようだ。 「あれ?」  ベットの横に置かれた真っ白な机。その上に、彼女の一抹の不安を爆発させるような起爆剤が置かれていた。  あぁ、まったく脳が焼き焦げそうだ。 「財布に、保険証……………………忘れてったの?」  千切れた糸が繋がったような、脳が一瞬で洗浄されるような、断片的なパーツが集まって、本来の形を取り戻したような。  知らず、私は寮を飛び出していた。すれ違うお嬢様達が呆気に取られたようにこちらを見ている。それもそうだ。寝間着の花柄のキャミソールの上に白いカーディガンだけ。とてもお嬢様だとは思えないラフな格好をした人間が勢い良く玄関を飛び出していくのだ。  しかし、そんな恥ずかしい姿をした少女の真剣な眼差しを察してか、誰一人として笑うものは居なかった。心配そうに彼女を送り出す。 「ねぇ、雅乃。……………………今何してるの?」  荒れる呼吸の合間に、そんな独り言を虚空向けて問う。既に校門を抜けて、外に走り出している。  街中に飛び出す。駆け出した脚はもう止まらない。止まれない。  疑問は確証に。理解は鮮明に。  舘内 雅乃は理由も無く、親友を置いて一人で何処かに消えた。  もしかしたら、全て間違っていて親友はちょっとした散歩に出かけただけなのかもしれない。全ては私の妄想で、舘内 雅乃は平然として部屋に戻ったのかもしれない。そうして今頃、居なくなった私をさがしているのかもしれない。 「違うっ…………」  それでも私の五感が違うと叫んでいる。舘内 雅乃は外に出ている。私から離れて、遠くに向かっている。彼女の魂が、私の魂から離れていく感覚を、全身が感じ取る。  離別の時が、近づいている。  地獄への錠が無情にも開かれる。そんな気配が何処からともなく感じる。  全身が震え上がる。昔から悪い出来事の前には、必ず予感が現れた。それは突然思考に流れ込んでくる情報による一種の天啓のようなものだ。しかし、今まで予感を的中させても、悪い出来事を止めることは叶わなかった。やはり、既に定められた星の巡りは、人間如きの力では変えようがない。私はただ、絶望を嚙みしめながら、その出来事を傍観することしかできなかった。  今回も、何もできないのかもしれない。けれど、行動しないまま終わりたくはない。 「せめて、せめて、雅乃だけはっ…………。私の唯一の親友だけは、お願いだから奪わないでくださいっ!!」  誰に向けるわけでもなく、少女は祈った。  車道を走る車が急かすように私を追い抜かす。振り返るともはや校舎は見えない。すでにかなりの距離を走ったと思う。 「まだ、あと二キロはある……………」  よろよろの両足。たらたらと垂れる汗。ボロボロな脚。風香は体力には自信があるが、最初から全速力で走っていれば、流石に息が切れる。  脚が縺れる。視界が揺らぐ。脱力した体躯は積み上げたジェンガのように脚からくずれていく。肩が激しく動く。喉が水分を求めている。  舘内 雅乃が居る場所は見当が付いている。半年ほど前、些細なすれ違いで喧嘩した後、怒った雅乃は寮を飛び出していった。渋々探しに行った私だが、喉が渇いたので目の前にあったカフェに入った。  カフェの看板には英語が綴られていたが、看板自体は和風が染み出る木彫り。摩訶不思議というか頓珍漢というか、もしかしたら、私はそんなものに知らず釣られてしまったのかもしれない。躊躇いも無く入った記憶がある。そうして、そこには涙目で寛ぐ親友と彼女を慰める赤髪短髪の渋い店長らしいオジサンが居たのだ。 「そこに雅乃は居る、はず」  それに、しても、無闇矢鱈に走り続けたせいで、呼吸がままならない。 「でも、急がないとっ…………」  膝に手をつけながら前を見据える。中々に急な勾配が中々に長い距離続いている。これを今から駆け上がるのかと思うと、冗談じゃなく死にそうになる。私は平凡な田舎のお嬢様であって、夏に向けて走り込む陸上選手じゃない。  それでも、歯を食いしばって走るしかない。覚悟を決めて脚に力を込めると、突然太陽が怯えた様に雲に隠れ、一帯は薄暗い闇に落ちた。  ひーとーつ、闇に隠れし妖精の~。羽根を千切って貪り食らう~~。  ふーたーつ、首無し冥途の土産~~弟子の頭は軽く伽藍洞~~。  みーつ、骨の外套を脱げば、血が出る、肉出る、内蔵もつも出る~~。  不快になりそうな程、下手くそな詩うただった。リズムも無い。まるで、お経でも唱えているかのような不気味な声は坂の上から。楽しそうにステップを踏んで下ってくる。  その様は、まるで天国から地獄への階段を走り降りる奇怪な堕天使。  それは着物姿の少女だった。背丈からして小学生だろうが、どうして、こんな時間に、こんな場所で、こんな格好をしているのか分からない。地面に擦りそうな程の振袖、その隙間から襦袢じゅばんらしきものが見える。草履の音がコンクリートに響かせる音からは、何故か一切の人間味を感じとれない。 「よーーつ。……………………って、あれれ?」  すれ違う瞬間、少女は足を止めた。息を切らす私を少女は不思議そうに見上げている。 「お前、……………………なんでそんなに疲れてるのだ?」 「なんで、と言われまして、も、走って来たから」  荒れた呼吸によって途切れ途切れの私の言葉に少女は更に首を傾げた。 「お前は何処に向かってるのだ?」 「この道を真っ直ぐに、進んで、行き止まりの脇道の、小さな路地裏にある、カフェまで。どうして、そんなことを?」  「ふーーん。……………………なら、連れてってあげるのだ」 「えっ」  感情の無い顔に突然悪魔の様な笑みが浮かんだ。  鈍い鈍器の音が脳に直接響いた。頭が縦に横に一回転する痛みと重度のアルコールを飲んだような酩酊感。それらは全て一瞬の間で、意識と共に遠のく。  橘風香は死んだようにその場に倒れ込んだ。
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