至るべき地点

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至るべき地点

   鬱蒼とした森の中。残酷な暗澹たるセカイには数多の樹木が覆い隠すように根を張っている。木々の間を埋める様にして闇がこちらを覗いている。 そんな空間に孤独な白い影が一つ天を仰いでいる。 【■■■■■■■■】  暫くの間、昼とも夜とも取れぬ曖昧な色をした空を恨む様に見上げていたが、突然意を決したようには立ち塞ぐ草木に向かって歩み始めた。  森に(しるべ)となる道は無かった。ただ草木が疎に生えているだけ。おそらくここには、いまだ文明は辿り着いていない。  木は異様な形に曲がっている。あの木も、向こう見える木も枝の先まで様々な角度に捻れている。まるで狂気に溺れているようだ。奇怪な世界だ。これを創ったヤツは相当良い趣味の持ち主だろう。  (ここは、どこ?)  彼女が最初に考えたのは、そんな極々ありきたりな、この状況では全ての人がそう思うであろう疑問を浮かべた。少女は疑問を脳内では無く、口で放ったつもりだったが、何故が口は全く動かない。というか、この身体はそもそも呼吸を必要としていないようだ。これは人間らしくない。  まさか死んでしまったのか、私は。  身体を押し潰す様な恐怖心が私を縦に裂くように走る。全身から血の気が引いていく。  いやいや、昨日は夜更かしはしたが、しっかりとベッドに入って寝たはずだ。もし殺されたとするならば、それは私と相部屋の彼女しか出来ないが……。もしかすると昨日彼女のお気に入りのムキムキマッチョぬいぐるみ(等身大)を「気持ち悪いから」と言って外に放り投げたことが存外、彼女の怒りを買っていたのかもしれない。  身体は動き続ける。全くもって無駄がないというか、迷いがないというか。目的に向かって最短距離で歩いている様だ。雫の乗った茂みすら掻き分けて進むので、衣服が濡れて不快感を覚えずにはいられなかった。しかし、この身体はロボットの様に一つも反応を見せない。  背後に気配を感じる。人ではない、鳥だ。それも猛禽類だ。この身体が前に進むたびに、パタパタと羽を動かして背後の木に止まる。どうやら、一定の距離を保っているようだ。もしかしたら、監視しているのかもしれない。  ぽちゃり。  妨げる森の圧力にも、そこに住み着く生物たちの眼差しにも、なんの関心もなかったこの身体は突然足を止めた。もちろん、動きを止めたのは私では無く、今し方踏みつけた混じり気のない透き通るような水溜りだった。それが気に障ったのか、初めて視界が下を向く。  異様な角度に湾曲した木とその上に止まり、首を傾げてこちらを見据える赤い瞳が水面に映し出された。  そこで初めて猛禽類の正体が梟だと気付いたのだが、私の脳内では既にそんなことはどうでも良くなっていたのだ。私の脳内ではただ、在るべき者が視えない事への恐怖だけが胸中で蟠っている。  (どうしてだろう)  この森はオカシイ。全てが間違っている。童話の様な何処か可愛らしい不思議では無く、荒廃した世界の果てに突然立たされた様な不安が、私の正常な人間の倫理観を内側から焼き切ろうとしている。  水溜りを超えると、地面の色が様々な輝きを持って光っていることに気が付いた。熱を帯びてそうな、しかし、凍えそうな色をしている。けれど、私には感覚は一つも伝わってこない。 (あぁ、なんだ。ここは夢の中なのね)  とどのつまり、これは明晰夢なんだと少女は理解して、安堵した。胸を撫で下ろす動きをしたつもりだが、やはり身体は動かない。私の身体はいつもの寮の角部屋の中で、優雅に寝返りをうっているのだろう。  そう考えた少女はこの貴重な体験を楽しむことに決めた。  だが、そんな楽観的な彼女を否定する様に身体は森の茂みを抜けて、平原に出た。  思わず声が出た。まぁ、この身体は相変わらず何の反応もしていないが。それでも声なき感嘆が漏れてしまいそうなほどの絶景が目の前に広がっていた。  一面は圧倒される程の緑と青が満ちた空間だった。真ん中の大陸を覆う様に海がある。あらゆる生命、あらゆる因果、あらゆる叡智がそこにはあったのだろう。まさに万象を保有する様な、世界の創造を目の当たりにしているかのような。  幻想的で(致命的で)美しい(ちなまぐさい)、世界がそこにあった。  地平線のように横並びの林が、こちらを瞬きせずに見つめている。何かを訴えるような咎めるようなその目線が、とても気持ち悪い。  一歩、踏み入る、その空間に。先程海と言った場所は、実際には足首程の深さと一歩分の幅しかない。あまりにも現実離れした景色を前に、正しい感覚は遠くに消えてしまったらしい。  一体、どうすれば。  どうすれば、あんな。  どうすれば、あのようなモノが生み出されるのだろうか。 「どうすれば、終わりが無い夢から抜けられるのだろうか…………あれ?」  思わず喉を触った。いや、喉を触った? どうやって、だって、この身体は私のものじゃない。私の意思で身体が動くはずがない。  いや、違う。最初から同じだったのだ。この身体も私の身体も、この精神も私の精神も。  これは夢じゃなかった。いずれ迫りくる事態を未来に追いやっただけのこと。つまり、先延ばし。定められた運命は、それに行き着く過程を知ったところで変わらない。 「なんて、悍ましいのかしら」  一つ、眼窩を覗かせ翅を毟られた人の形の虫。  二つ、首から上を失くし槌を片手に握った小さな少女。  三つ、肉の代わりに骨を着飾り項垂れた髑髏。  四つ、満遍なく切り刻まれた幼子。  ■つ、そこには何が在る。  ■つ、そこには誰が居る。  ぐしゃりぐしゃりと血祭りだ。脳漿が漏れ出て、臓物が散らかり、肉の腐臭が私の五感を殺しに来る。私は口を抑えてその場に膝を付いた。  その時、無いはずの身体が震えた。ジリジリと脳が焼き焦げる音が響く。物語の終わりを告げる鐘が遠く鳴り響いた。  あれには、一体どんな意味があるのか。  沈みゆく世界の中で少女は考えた。しかし、分からない。考えれば考えるほど、脳を内側から焦がす音と鐘の音がうるさくなる。  ジリジリジリ、ガンガンガン。    もう止まらない。もう終わらない。  この終わりを予期できない。  一一一一一一一一  【これはおよそ人の身では理解できない物語】  いや、もはや物語とも言えないかも知れない。だって、全ては始まりにして終結している。  なら、これば回顧録か後日談なのかもしれない。
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