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約束通り、土曜日の午後に「藤袴の君」は来た。やはり紫のお高祖頭巾をかむった姿であった。
瑞香はひょいっと店の外に首を出してみる。案の定、ねえやさんらしき人がそこに立っていた。女学生姿の瑞香に手招きされて、怪訝な表情で店に入る。
「悪いけど、あなたはここで待機していただける?」
椅子を勧め、橙色のランプを掲げると、ぐにゃりと景色が歪む。
「な、なんですか。ここまでってどういう……うちのお嬢様になん……」
言いさしのまま、ぐたりと首を垂れ、ねえやさんは椅子にもたれて眠ってしまった。
「ふう。姉様、このランプって何度使ってもヒヤヒヤするわ」
瑞香はごめんなさいませと呟いて、ねえやさんが椅子から落っこちないように、壁に寄りかからせ、隙間に座布団を詰めた。
その間、清香は店の戸を閉め、表には「支度中ニツキ」と札を出す。
「え? え? うちのおタキさんは、大丈夫ですの?」
藤袴の君は不安げに問う。無理もない。
「ええ、お疲れなのでしょう。今日はお客様貸し切りにございますから、幻燈室にご案内いたしましょう」
こともなげに言って、着物に襷を掛けた清香が先に立つ。
大丈夫大丈夫と声をかけながら、瑞香も藤袴の君を案内した。
三和土の通り土間を奥に進むと、酢酸の臭いが鼻につく。土間に沿う引き戸には『現像室』突き当たりのドアーには『幻燈室』の札が見える。これだけ見たら怖くて回れ右したくなるわね、と瑞香は密かに思った。
藤袴の君は頭巾の端をぎゅっと握りしめて問う。
「あのう、本当に、あの道化人形に込めた思い出が見られますの?」
「殿方目線のね」
清香が言い、真鍮の取っ手を引いた。
部屋は真っ暗闇。普通の人ならばここで引き返すだろう、と瑞香は同情した。
だが気丈にも、藤袴の君は歩を進める。
「では参りましょう。席に案内していただけますかしら、暗くてよく見えませんの」
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