1.藤袴の君

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1.藤袴の君

 海城跡で 午砲(どん)が鳴ったら午後は休みだ。  寮でお昼をいただいてから、瑞香(みずか)は電車通りに向かった。もちろん校外でもおさげの髪と白襟は整え、臙脂の袴を胸高に。今日は姉の店に向かうのだ。母に言えば良い顔をしないから、もちろん内緒だけれど。  ふた駅ばかり過ぎて電車を降りれば、大通りから横町に入る。 「うたた幻燈館」  それが姉のいる店の名前だった。 「今どき幻燈だなんてね」  端香はおさげ髪のリボンをいじくりながら言った。何度結び治しても左右同じにならない。 「動かない絵を見たってしょうがないわ。それより活動写真見に行きましょ、姉様。常世通りの吉祥座に新しい写真がかかっているから、お誘いに来たのよ」 「ふーん。活動写真が『婦徳の涵養』にどう関係あるのかねえ」  姉の清香はボッブヘアーに縞の着物、前掛けといういでたちでレンズを拭いている。 「あるわよ。『良妻賢母を目指すかたがた、日頃より新しき良きものをご覧遊ばせ』って先生が仰ってたもの」 「ほぉ、流石は今様、いや先進だねえ」 「『ヘイジョ』ですもん」  瑞香は誇らしげに胸を張った。  高等女学校令が改正されて以来、地方の町にも女学校は増えていた。  明治期から県庁所在地に建つ高等女学校は、ねえや付きの華族のお姫様や富豪の令嬢が通うような由緒正しき女学校だ。朝夕には校門前に送り迎えの(くるま)がずらっと並ぶ。競争率はおそろしく高い。こちら、地名の『甲亀』をもじって『甲女(コウジョ)』と呼ばれる。  いっぽう、瑞香が通う近年認可された女学校は、同じ県立とはいえ比較的自由な校風で、そこに通う女学生も込みでヘイジョと呼ばれる。これも地名の『丙郡(ひのえぐん)』からきたものだろう。寮生がほとんどだが、通学生に俥の者なんて居やしない。徒歩か電車を使う。 「お友達と停車場でおしゃべりしてたらね、大人のかたから『甲乙丙丁の丙だから甲女にくらべてお程度が』なんて聞こえよがしに言われるのよ。冗談じゃないわ」 「ヘイだろうがテイだろうが、あたしに言わせりゃ女学校に通えるだけ幸せってもんだよ」  姉に言われて、瑞香はしゅんとした。 「ごめんなさい。父様にも言われたわ、女が教育を受けられる家にようようなったんだから感謝せい、て」 「そうだね。父様はご立派だよ。成金と言われようがなんだろうが、ご自分の一代で今の会社を興しなすったんだから」  成金。知らない言葉ではなかったけど、あっさり姉の口から言われると瑞香の心はちくんと痛む。 「姉様は尋常(小学校)を出たらすぐ行儀見習いに家を出されたのよね」 「いんや、高等小学校までは行かせてもらえたよ。それだけでも父様には感謝してる。おまけにこんな妾腹の子に良い縁を世話してくれて、爺ちゃんの店まで続けさせてもらってんだから」 (でも、その『良い縁』の義兄さまは、仕入れだなんだってあちこち飛び回って、年に数えるほどしか帰って来ないじゃないの)  瑞香は言葉には出さず、ぐるっと店を見回した。  ここは清香の母方の『爺ちゃん』からずっと受け継いできた店だと聞く。間口は一間、このあたりによく見るどうってことない町屋だ。『幻燈館 イツデモ上映 承リマス』の縦看板があるにはあるが、古道具の商いのほうが主だという。煤けた行李やら古いランプやら、あまり売れているようには見えない…… 「ごめんくださいませ」  涼やかな声が表から聞こえ、姉妹は声の主の姿に目を瞠った。
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