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 母の実家であるおばあちゃんの家は、私の住むマンション付近の都市から飛行機で一時間以上、そこから電車で約一時間、さらにそこから車に乗って十五分ほどかかる田んぼのど真ん中に建っていた。  田んぼばかりで見渡しがいいと思ったら大間違いで、家の周りには林……といっていいのか、そういうのが所々にあって案外見通しはよくなかった。少なくともおばあちゃんの家以外の民家は見えない。少し歩けばひょっこりとお隣さんの家が現れる、そんな感じ。  そして同じように北側に海、南側に山、その間に川が見える場所もあり、自然界のありとあらゆるものを備えているような場所だった。  私の住むマンション近くは住宅街で家ばかり。田んぼも畑も海も山もない。家庭菜園や、かろうじて大きな川が近くを流れているのが癒やしともいえる。  仙人がこの世に存在するならば、おばあちゃんの住むこういう場所なんだろうなあと思った。仙人という単語を現実で使うことがあるとは、おばあちゃんの家に来るまでは思ったこともなかった。  すぐ見える民家はないが、裏に林を挟んで小さな神社と小さな公園というか広場があった。ぐるっと林を外側から回って歩くと五分か十分ほどかかるのだが、おばあちゃんの家の裏庭から行くと一分ほどでたどり着く。午前中に夏休みの宿題をして暇になると、毎日のように神社に行ってぼーっと座ったりごろごろしたりして過ごした。  ほとんど人はいないのだが、一度裏の近道を歩いているとき神主さんに注意されたので、それ以来こっそり見つからないように裏道から潜り込む。一分でたどり着けるのに、わざわざ回り道をして五分も十分もかけることが時間の無駄に思えた。  おばあちゃんの家に来て何日目だったろうか。賽銭箱の横に座り日向ぼっこをしていたら、うとうとと眠くなり、ちょっと横になったら本当に眠ってしまったことがあった。  横になったときに触れた板の柔らかな感触、木の目のささくれ、日光と外気に温められてほんの少しカビたような匂い、霧のように漂う埃、全てが心地よく感じられた。  長い長い夢を見ていた気がする。  どれくらい時が経ったのか、ふと目を開けると境内の方から物音が聞こえて耳を傾ける。神主さんだったらどうしようかと内心気が気ではなかったが、私の背中の後ろで床が軋む音がピタリと止まったので、私は体を横にしたまま恐る恐る顔を上げた。  
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