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アパートの一室の片隅。無造作に積まれた段ボール箱を眺める。この部屋の広さから言って、はるかに数が多すぎるだろ? とため息が漏れる。
「こんな狭い部屋に、よくもまあ、こんなたくさんの物があったもんだ」
しかし、これを全部、新居に運ばなくちゃいけない。しかも、自分の車で。節約のため、引越し業者には頼んでいないのだ。
「さぁ、早く運んでしまおう」
一つの段ボールを持ち、玄関近くに置いて扉をすこしだけ開ける。お尻で扉を押しながら屈んで段ボールを持つと、後ろ向きで扉を押して外に出た。
その時、背中に強い衝撃を感じ、持っていた段ボールを下に落とした。
「きゃあ、ごめんなさい!」
「うわっ!」
ドサリ、と落ちた段ボールは二つ。側面には僕のもの同じシロクロのパンダが印刷してある。
「あれ、お隣さんもお引越しなんですか?」
聞き覚えある声に顔を上げると、そこには隣人の女の人が笑っていた。よいしょ、とパンダの段ボールを拾いあげる彼女。
「えっ、君も引越し? 僕は今日、引越しなんです」
「はい、奇遇ですね。色々とお世話になりました。お元気で」
段ボールを持ったまま、頭を下げる彼女の髪が前方に揺れる。フワッと香るシャンプーの匂い。ゆかりと同じ香りだ。すれ違うたびに思っていた。一緒だなって。でもこれも今日で終わりなのか。
「こちらこそお世話になりました。お元気で」
僕もペコリと頭を下げた。鼻腔に心地よい余韻を感じながら、彼女の背中を見送る。彼女も自分の車に荷物を乗せるみたいで、手伝った方がいいのか? と思いながらも、自分の大量の箱たちを思い出す。うんざりして、またため息が漏れる。
「さぁ、日が暮れる前にさっさと運んでしまおう」
僕はパンダの段ボールを持ち上げた。
※
「はあぁ〜疲れたぁ……」
新居に運んだ頃には、外はすっかり夜の影を落としていた。玄関先に積まれた段ボールを追いこし、僕はソファーになだれ込む。家具や電化製品は、引越し業者に頼んで一足先に引越しをしている。
とりあえず、腕が痛い。それに眠たい。
瞼が鉛のように重くなり、眼球に張り付いていく。それに合わせて、身体も深く深くソファーに沈み込んでいく。
荷解きをしなくちゃ、と思いながらも、明日も休みだしなぁ〜と、自分の一日に幕を下ろしたいと思ってしまう。まぁ、起こしてくれるアイツもいないわけだし。いちいち起こされないからいいや。
でも、そんな思いとはウラハラに、瞼の奥にはアイツがまだ棲みついている。
チャラン、チャラン、あの音色。
近付く、鈴の、音。
部屋の外から足音と共に近付く。ゆかりが来た合図だった。彼女が僕の部屋の合鍵に付けていた根付の音。アレを聞くと、自然と僕の心臓はざわつき、落ち着きをなくした。
僕はゆかりが大好きだった。
でも、僕が荷造りをしている時、合鍵を返された。別れよう、と言われて。まさかの出来事に動転した僕は、出て行く彼女の背中をただ眺めているだけだった。ハッと気付いた時には遅く、「ゆかり!」と叫びながら玄関に走った。荷造り途中の段ボールに躓き、僕は床に倒れ込んで天井をながめた。痛かった。ただ苦しくって、泣いていた。
「あぁ、そう言えば、ゆかりの合鍵ってどうしたんだっけ?」
鉛のように重たい上半身をおこす。
あの日、僕は合鍵を受け取ったのか? 覚えがない。それだけ、精神的な打撃を受けたからかもしれないが。それか……もしかして。
首をひねり、玄関先に重なり合うパンダの箱をながめる。あの中のどこかにあるのか? 今更もう、彼女の合鍵の行方なんてどうでもいいのかもしれない。だって、見つかったって、彼女が戻ってはこないのだから……。
チャラン、チャラン。
今もなお、頭の中にこだまする鈴の音。
精神を支配する彼女の香り。
瞳。鼻。耳の形。肌の体温。絡まる小指。
はぁ、ダメだ……気になって仕方ない。アレが見つかれば、見つかれば、もしかしたら、終わるかもしれない。この重たくどうしようもない恋の荷物。それからようやく、荷解かれるかもしれない。
「よし、彼女の合鍵を探すために、荷解きをしていこう」
僕は立ち上がり、重たい体を引きずりながら段ボールの山に向かう。ドカ、と一つの荷物を床に置くと、ポケットからカッターナイフを取り出す。ジリジリ、と刃先を滑らせてから、段ボールを一直線に切った。
自分の荷物のくせに、ドキドキした。もし彼女の合鍵が見つかったら、なんだろう……彼女に会える気がしたから。アレは彼女が僕の〝恋人〟だったという証だから。それを早く見つけたかったから、こんなにも荷解く手が震えるのかもしれない。
カタカタする指先で両開きの蓋を開ける。手をつっこむと、新聞紙に包まれた手のひらサイズの塊が顔を出した。食器類の荷物だったか。
新聞を無造作に解いていくと、中身はマグカップだった。それもかわいらしい薄ピンク色のマグカップ。見るからに女物である。
はて、こんなもの入れたか?
その下も探ってみる。すると、少し濃いめのピンク色の歯ブラシと、短めの箸が見つかる。小さめのお茶碗は、ピンク色の水玉模様だった。全て女物だ。
ちょっと、待てよ。確か今朝、前のアパートで隣人の女の人とぶつかって、荷物を落としてしまったよな。彼女はすぐに荷物を持ったけど、そこで入れ違った? だから、ここに女物ばかりの荷物があるのか? だったら、僕の荷物が彼女のところに?
頭を押さえて、はああ……と深いため息を吐く。面倒なことになった。不動産屋に連絡したら、彼女と連絡が取れるだろうか。とりあえず、明日電話してみよう。それよりも、彼女の合鍵を探すのが先だ。僕は取り出したピンク色のものたちを仕舞うと、段ボールを隅に寄せた。次の段ボールを下ろし、カッターをシャッと滑らせる。
んんっ?
出てきたものを指先で摘んで、目の前に広げる。薄ピンク色のチェック柄の布地。真ん中には縦一列に並んだ白いボタンがある。
「どう見ても、女物のパジャマだよな……」
その下から同じ柄のズボンが出てきた。またその下には、もこもこの上着みたいなものも入っている。いかにも女子が好きそうな感触と淡い色合いだ。その箱を漁ると、全て女物の衣類が入っていたのだった。
「おかしい……だって、入れ違ったのは一つだけのはずだぞ?」
飛び出した衣類を段ボールに詰め込み、次の段ボールに手を伸ばす。おかしい、おかしい、おかしいぞ。
紛失した合鍵。入れ違った隣人の荷物。
確か、隣人の彼女は僕の一ヶ月ほどあとに引っ越してきたはず。どんな所で働いていて、彼氏がいたかどうか知らないが。唯一知っていることと言えば、料理上手なことぐらいだ。
時々、僕が帰ってくるのを見計らっていたかのようにチャイムを押し、おかずのタッパーを持ってきたのだった。「作りすぎたからどうぞ」と笑って。少し気持ち悪いなって思ったりもしたが、そのおかずはどれも美味しくて。家庭的な味が美味しくて。彼女はいい奥さんになるんじゃないか、なんて思ったぐらいだ。
「まさか、僕のことが好きだった……とかじゃないよな?」
ズン、と置いた段ボールはずっしりと重かった。ビュッと開封すると、八切れんばかりに入れてあったのか、幼虫みたいな形の緩衝材が数個飛び出してきた。
隣人の彼女が、僕を好き? まさか。
「そんな事より、合鍵……合鍵」
その時、微量な音を発していたTVの音声が突如、耳の中に襲いかかってきた。
【約二週間ほど前から行方不明になっている若宮ゆかりさんですが、未だに見つかりません。会社を出てから、連絡がつかずに消息を立っています。情報提供はこちら……】
ゆかりが、行方不明?
う、嘘だろ?
二週間前って、確か別れを告げられた日だよな? あの日から行方不明になっている?
僕は床に転がった緩衝材を握りながら、TVをぼーっと眺めていた。その画面には笑顔のゆかりがいる。久しぶりの再会に目頭が熱くなる。でも、でも、なんだ? この湧きあがる違和感は。
脳内がぐるぐるする。正体不明の気持ち悪さを感じながら、箱の中に両手を入れ込んだ。サッカーボールぐらいの大きさの塊で、周りにはぷちぷちタイプの緩衝材がぐるぐるに巻かれている。
ゆっくり持ち上げて膝の上に乗せると、膝枕をしたゆかりの頭を思い出す。なぜだ? 解きたくない気持ちを抱えたまま、ぷちぷちを解いていくと……人の髪のようなものが現れた。
「うわあぁぁぁーーー!!!」
立ち上がって後退りすると、膝からゴロッと転げ落ちたのは……
人の頭部だった。
「そんな、あ、あぁ……あ、ゆかり……? ゆかり、なのか? う、うそ、だろ?」
横向きでこちらを見ているのは、確かにゆかりの頭部で。首をちぎられたゆかりの頭部で。
ヘナヘナと座り込んだ僕は、髪の毛を掻きむしりながら床に顔を押し当てる。
紛失した合鍵。隣人……。
組み立っていくジグソーパズル。
呼吸がひい、ひい、と苦しくなる。
違うかもしれない。違わないかもしれない。よく分からない。でもあの日、僕の部屋を飛び出したゆかりは? ゆかりは、隣人に捕まったのか? 誘拐された? そして、殺された。バラバラにさせられた。
なんらかの方法で合鍵を拾った? 隣人は、ゆかりのバラバラの遺体を、僕の荷造りの段ボール箱の中に入れ込んだ。僕がいない時に。見せつけるため? 処理に困ったため?
「ははは……まさか、こんな残虐なことを、あの子にできるわけ……」
ない? 本当にないのか?
彼女は器用なはず。あれだけ繊細な料理を作っていたのだから。そうだ、刃物の扱いにも慣れていたはずだ。
ふらふらした足取りのまま、僕は次の段ボールに手を伸ばす。だいぶ軽い重量のものだ。これにも遺体が入っているのか?
今思えば、段ボール箱の数が多かったのは、ゆかりの遺体が占領していたからなのか?
「ははは……まさか、まさか、」
トン、と床に置くと
チャラン、と音がした気がした。
まさか? 僕は急いでカッターを握って、段ボール裂いていく。開けた蓋から漂う腐敗臭に、鼻がひん曲がる。腐った人間の匂いか?
急いでカッターを床に置くと、刃先が変な色をしていた。赤黒いというか、錆びているというか……血痕? どうして? 切れ味が悪いとは思っていたが、なぜ、血がカッターに?
幼虫型の緩衝材を必死にどけていくと、蒼白い指先が一本飛び出していた。引っぱりだすと、その指以外はぎゅっと握られていた。
ちぎれた手首。裏返すと手の甲にはかわいらしいホクロがある。僕が好きだったホクロだ。
あぁ、やっと思い出した。思い出したぞ。
あの日、彼女は僕に合鍵を投げつけた。
『別れたいの!』
拾い上げた合鍵を握りしめ、僕は逃げて行く背中を追いかける。
『別れたくないっ!』
合鍵を彼女の手に無理矢理にぎらせた。
『別れたいの! もう、嫌いなのよ!』
ポケットからカッターナイフを取り出し、彼女に向かって切り裂いた。倒れた彼女の頬から真っ赤な血が滲んでいる。
恐怖に歪んだ顔。僕を軽蔑する瞳。
『な、なんだよ、その目は!! 僕をバカにしやがって!!』
そのあとの事はあまり覚えていない。感情が高ぶって、理性が吹っ飛んで。自分が自分ではないようで。切り裂く音と根付の音だけが、頭の中を占領していた。
しかし、以外と冷静だったのか、浴室で解体した遺体を、荷造りの段ボールに隠すなんて事を思いついて。運ぶ途中で損傷しないように緩衝材をわざわざ買って、丁寧に詰め込んだりしていたんだ。
ゆかりを殺したのは、
僕、だった。
「また、会えたね。でも、ごめん、ごめん……ゆかり。愛していたのに、ごめん。どうして、どうして……」
今更後悔しても遅いのに。
こっちを睨みつけるゆかりの眼球に、僕は深く頭を下げる。何度も、何度も、何度でも。
変わり果てた手首を胸に抱きしめると、
チャリン……
腐敗臭ただよう孤独な部屋の中、軽やかな鈴の音が鳴りわたった。
哀しくも、深く、残酷に響いて——。
【完】
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