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約束
「春!」
私は彼に向けて、そう叫んでいた。彼は春輝なのに。
彼のぬくもりが私を抱きしめた時、頭の中で絡まっていた記憶のチェーンを、私は必死に手繰り寄せる。
チェーンが解けて、一本に繋がれた感覚を感じると、私の目の前は真っ暗になった……。
❄︎❄︎❄︎
眼前に雪が降り注ぐ。温かな体温の中、彼は呟く。
「雪乃を一生守るよ」
「ありがとう。春、大好きだよ」
私は力ない両腕で彼を抱きしめた。
あれから何ヶ月過ぎたのか、私は真っ白なベッドに寝転んでスノードームを見つめていた。透明なドームを揺らすと中の雪がキラキラと煌めく。春と一緒にガラス館に行った時に買ったガラス製のスノードーム。私の宝物。淡く儚く散っていく雪のカケラが、もうすぐ消えてしまう自分の命のようだと思った。
コン!コン!
「どうぞ」
病室の扉から顔を出したのは白衣を着た春。彼は私の主治医だ。儚げな笑顔には涙が今日も滲んでいる。
「ごめん、ごめん雪乃……君を一生守ると言ったのに、僕は君の病を治すことができない。本当にすまない。約束を果たすことができない……」
彼は泣きながら、私に頭を下げている。
「春のせいじゃないよ。頭を上げて? 私は春に会えて幸せだった。あなたは私をたくさん愛してくれた。もうその気持ちだけで充分だよ……」
「雪乃……愛してる」
「春、私も愛してるよ」
私たちは心の糸を強く結び合うように、ギュッと抱きしめあった。
その日の夜、私は息苦しくて春を呼んだ。もう、死ぬんだと自分で感じ取っていた。
「外の雪を一緒に見たい」と、私は彼に最後のわがままを言った。
車椅子でやってきた夜の中庭。見上げた夜空には無数の雪粒が舞い降りる。春と永遠の愛を約束した日を思い出した。私は膝に乗せていたスノードームを雪空にかざした。ガラスに当たっては溶けていく雪の結晶。今、二人で見ているこの世界がガラスドームの中みたいに思えた。
「今のこの時間を、永遠に閉じ込められたらいいのに」
「雪乃、どこにも行かないで」
春が後ろから、私を強く抱きしめた。彼の温かなぬくもりを感じながら、息が段々と苦しくなっていく。
「あの日約束したのに、君を守れなくてごめん……」
透明なガラスドームがキラキラと煌めく。強く重なり合った私たちの頭上に降りしきる雪のカケラ。
私の記憶の中にこの幸せな時間を閉じ込めよう。永遠に。
この美しい景色と共に。この美しいガラスドームの世界みたいに……。
「春、ごめんね。ありがとう」
重く閉じていく目蓋に大好きな人の涙が、ポトリと触れた。
「雪乃! 雪乃!」
あなたはどうか幸せになってね……。
❄︎❄︎❄︎
パリーン!
透明な何かが割れた音で、私はハッと意識を取り戻す。あの夢の続き? 私は懐かしいぬくもりに包まれながら、階段下に寝ていた。私を必死に守ってくれた人、それは……。
「春? 春、だったの?」
「……雪、乃?」
「大丈夫? 春!」
「あぁ、大丈夫だ。雪乃」
「あなたが春だったんだね」
「君が雪乃だったなんて」
「まさか、また現世で春に会えるなんて……」
「僕はずっと、あの約束が果たせなくて後悔をしていた。『君を一生守る』という約束を。その強い気持ちが、僕たちを巡り合わせたのかもしれない」
「春、ありがとう。あなたは今、私を守ってくれた。歩けない体を引きずりながら命懸けで。あの約束は今日、この瞬間に果たせたんだよ」
私の瞳から透明な雫が滑り落ちる。それは、近くで割れて散らばったガラスドームのカケラを優しく包み込んだ。
パァーッと白い光が放たれると、涙の膜が丸いガラスの膜を作りあげ、割れたガラスドームを、結ばれなかった想いを、みるみるうちに修復していく……。コロン、と元の姿に戻ったガラスドームのネックレスがキラキラと光り輝く。
目蓋を瞑っていた私たちは、上半身を起こして抱きしめていた腕を離し、バッと離れた。
「春輝くん、ありがとう……」
「良かった……雪菜ちゃんが無事で」
「怪我してない? 大丈夫?」
「大丈夫みたいだ。二人が助けてくれたのかもしれない」
「うん、そうかもしれない」
「雪菜ちゃん、ハッピーバースデー!」
差し出されたのは、美しいガラスドームのネックレス。
「ありがとう。すごく嬉しい」
ガラスを灰色の雪空に掲げ、ゆらゆらを揺らすと、雪の粒やラメがオーロラ色に輝く。そのガラスの膜に舞い降りた雪。
「あ、雪……」と言おうとした瞬間に、手のひらを温かなぬくもりが握りしめる。
「君が好きだ。付き合ってほしい」
私はゆっくり頷くと、腕を伸ばして大好きなぬくもりを抱き寄せた。
不思議な出逢いだと思っていたのは、運命的な巡り合わせだった。それはまるで、ネックレスのチェーンみたいに輪っかになって繋がれた縁(円)のように。
もう一生離さないと、重なり合った私たちの頭上に降りしきるのは……
キラキラと煌めく雪のカケラ。
❄︎end❄︎
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