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テレビ画面ではまるで本物と見紛うような巨大な怪獣が二体、激しい炎を吐き出したり、光線でビルを焼き払ったりして、ぶつかり合っていた。それはもちろんただのフィクションで、現実には起こり得ない場面なのだが、画面を通して見ているといつしか自分がその巨大な怪獣と対峙している感覚に陥る。いくらそのビルがミニチュアの玩具だと分かっていても、本当に人がいて、中のオフィスで仕事をしている自分たちが死という恐怖にさらされていると感じてしまうのだ。それくらい、その画はリアルだった。
けれど、私はその怪獣の姿に、恐怖よりもどこか懐かしさを感じてしまうのだ。隣で何度も目を伏せる妻に対し、私は小さなコップに注いだ発泡酒の泡がもうほとんど残っていないのに口をつけながら、ある友人のことを思い出していた。
小学校は三十人程度のクラスが三つあったと記憶しているが、私が彼と同じクラスになったのは三年生に上がった時だった。その頃すでに彼は学校内の悪い意味での有名人で「あいつは嘘しか言わない嘘つき野郎」だと、誰に聞くでもなく自然と耳に入ってくる、そういう類の有名人だった。
ただ私は彼のつく嘘が意地の悪いものでもなければ、誰かを傷つけるためのものでもなく、純粋に彼が楽しんで嘘を創作しているのだと分かり、そこまで非難するようなことはないと考えていた。
彼の嘘というのはとにかく大袈裟だった。例えばある日、彼は道端で拾ったといって大切そうに一本のタンポポを持ってきた。でもそれはどう見ても玩具のタンポポで、みんなはそれを「ゴミ」だと言ってさっさと捨てるように言ったのだけれど、彼はそれがある惑星から地球へとやってきた花の国のお姫様で、元の姿に戻れなくなって困っているのだと言い張り、彼女を助けるためだと言ってコップに水を入れてその玩具の花を立て、授業中もずっと、自分の机の上に置いておいた。
けれどその日、彼はその玩具のタンポポを持って帰るのを忘れてしまい、翌朝やってくると、コップもタンポポも綺麗に片付けられてしまっていた。おそらく警備員か担任の先生か、事務のおばさんか、そういった人の手によってどこかに捨てられてしまったのだろうけれど、彼はそれを「元気になって元の星に戻っていったんだ」と言い張った。
一事が万事そんな具合だから、それなりに面白いと思って付き合ってあげれば良かったのだろうが、私と同じクラスになった時には既に彼に対して「腫れ物には触るな」という空気が醸成されてしまっていた。子どもたちにとってその「空気感」というのは何とも厄介なもので、一度それが生まれてしまうとそう簡単には抗えない。だからクラスのみんなが本当に彼に対して「嫌だ」とか「あいつはダメだ」と考えていた訳ではないと思う。ただ、もうその流れは止まらなかった。
せめてもの救いだったのは、彼に対して暴力で対処しようという人間が現れなかったことだろう。イジメにもいくつか種類がある。私もちょっとした無視や、悪戯くらいなら何度か経験があるが、幸いにして、というべきか、不登校に至るまでエスカレートすることはなかった。それは私が小さい頃から既に他人との距離感や処世術といったものを身に着けていたからで、有り体に云えば目立ったことをしないように振る舞っていたし、そうあるように付き合う人間を選んでもいた。
対して彼はといえば、誰でも彼でも構わずに自分の嘘を投げつけては、いつも何がおかしいのかというくらいに笑っていた。ひょっとするとその笑顔も彼にとっては嘘だったのかも知れない。
その彼のことを、私は傍観者として教室の端の席から観察している一人に過ぎなかったのだが、そんな安穏とした関係性が崩れたのは二学期に訪れた班替えという制度によってだった。
小学校のクラスは三十人を五人ずつ、六つのセットに分け、それを「班」と呼んで、何かしらの作業をさせることが多かった。あれはあまりよくない制度だと個人的には思っているが、その制度がなかったなら、私と彼が接近することはなかった、という意味においてだけ、歓迎すべきものだと云えるだろう。
ともかく、二学期が始まった九月から、私の周囲はにわかに慌ただしくなり始めた。噂の彼と同じ班、しかも私の右隣という席に彼がやってきたのだ。
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