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憧れと恋
ずっと一緒にいたい。ふとした時に会いたいと思う。よくよく考えてみれば、私にとってそれは颯斗先輩だ。優しくて頼りになって、いつも私を励ましてくれる。お弁当を美味しいと褒めてくれて、私の為に時間をさいてくれて、アメをくれたりする。優しい先輩。
対する阿刀田先輩は、いつもきらきら輝いていて、眩しい存在だ。かっこいいし、運動は出来るし、自分を律するストイックな態度が魅力的だと思う。
もしも、このどちらかが憧れで、どちらかが恋なのだとしたら……どっちなのだろう。
「分かりきってるじゃない」
伊織ちゃんが言う。
夕暮れの教室で、私は伊織ちゃんに相談をしていた。というのは先に述べた、阿刀田先輩と颯斗先輩のこと。
「すばるがさっき言った阿刀田晃成に対しての思いはなんというか……少し抽象的でしょう?」
「そ、そう……かも?」
「対して烏丸先輩は、すばるが彼と接する中で感じていることばかりだわ」
伊織ちゃんが言い放つ。その言葉は私の胸にぐさりと突き刺さって、何かもやもやしたものを置き去りにしていった。
「とにかく、よく考えることね。後悔しないように」
「うん。ありがとう、伊織ちゃん」
「どういたしまして」
こうして相談に乗ってくれる伊織ちゃんは、良い友人だ。厳しいような意見でも、それは私が後悔しないように言ってくれているのだと分かる。本当に、伊織ちゃんと友達になれて良かった。
私も伊織ちゃんが悩んだときは、同じように、相談に乗りたいと思う。私に何かアドバイスができるかは分からないけれど、その時が来たら、私に出来ることを精一杯やりたい。
私と伊織ちゃんは鞄を持ち、教室を後にした。
伊織ちゃんと別れてからの帰り道、私は颯斗先輩と阿刀田先輩のことを考えた。
憧れと恋。明白な答え。私が恋という意味で「好き」なのは……。
「よっ!」
後ろから肩をポンと叩かれ、私は驚いて勢いよく振り向いた。後ろに立っていたのは、うっすらと汗を滲ませた、スポーツウェア姿の颯斗先輩だった。
「そんなに驚かなくたっていいんじゃねーか?」
困ったように笑う颯斗先輩に、先程の思考のせいもあり、胸の奥が締め付けられるような思いがした。
分からない。苦しくて辛くて、涙が溢れそうになる。必死に止めようとするが、もう遅かった。
「……う」
「え?」
涙が溢れ出して止まらない。私は泣き顔を見られたくない一心で俯く。雫が落ちて、地面に吸い込まれていった。
「は、やと、先輩っ」
「ど、どうしたんだよすばる!? 何があった? ああもう泣くな泣くな! タオル……は俺の汗ついてるかもしんねーけど、無いよかマシか」
颯斗先輩はそう言って、私の肩を掴んで顔を覗き込むと、タオルを目元にごしごしと当てた。痛かったけれど、その何倍も嬉しくて、私は「痛いです、颯斗先輩」と言いながらも笑っていた。
私が落ち着くまで、と言って、颯斗先輩は私を近くのベンチまで連れて行った。それから走って行ってしまって、少し経って戻ってきたころには、手にジュースが二本握られていた。
「オレンジと炭酸、どっちがいい?」
「じゃあ、オレンジで」
オレンジジュースを受け取って、ありがとうございます、と言うと、颯斗先輩は頭をがしがしと乱暴に撫でてきた。髪型が崩れると思ったが、嫌ではない。むしろ、心地良いくらいだ。
「で、どうして泣いてたんだ?」
プシュ、と音を立てて、先輩の持っている炭酸飲料の缶が開いた。泡の弾けるしゅわしゅわという音を聞きながら、私はそれをただぼうっと見つめて、少し俯く。どう言えばいいのだろうか?
「なんだか……自分の気持ちが分からなくなっちゃって」
「自分の気持ち?」
「はい。でも、もう大丈夫です」
私はオレンジジュースを一気に飲み干した。甘みが口腔内に広がる。
缶を置いて、なるべく明るい声で、「そういえば先輩は何してたんですか?」と尋ねた。先輩は少し考え込むような表情をしたけれど、いつもの明るい顔に戻り、「ジョギング。体力つけなきゃなんねーからな」と答える。運動部は大変だ。
「今の今まで走ってたから、そのタオル汗臭いかも。けどハンカチって持ち歩く習慣無くてよー……」
「あ、汗臭くないですよ! それより私の涙がついちゃってますから……洗ってお返しします」
颯斗先輩は遠慮したが、それでは私が納得しないといって半ば強引に洗って返す約束をこぎつけた。散々目元を拭ってしまったから、このまま返すのはあまりにも申し訳ない。颯斗先輩は汗臭いかもなんて言ったけれど、タオルはふんわりと柔軟剤の匂いがして、それから颯斗先輩の匂いがした。落ち着く匂いだ。
「……先輩の匂い」
「はぁ?」
「落ち着きます」
「な、な、何言ってんだ、お前!?」
颯斗先輩を見ると、先輩は勢いよく顔を逸らした。ここから見える耳は、真っ赤だ。なんだか可愛らしく思えてしまう。照れているのだろうか?
「そ、そういうこと言う相手は、俺じゃねーだろ……」
颯斗先輩が顔を逸らしたまま言う。語尾は段々消えていくようで、少しだけ、寂しそうな声色を含んでいた。
どうしてなのかは分からない。けれど今は、この言葉に答えたくなくて、私は黙ったままでいた。
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