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知りたい、先輩のきもち
気持ちも落ち着いてきたところで、先輩に借りたハンカチで涙を拭う。それ以上、涙は溢れなかったため、私はハンカチを丁寧に畳んで鞄に仕舞った。
「すみません、ご迷惑おかけして」
「いや」
居た堪れない気持ちで謝ると、もう平気なら良かった、と颯斗先輩は笑った。その笑みがいつもの明るい笑みだったから、私は少し戸惑ってしまう。さっきの声は、私の勘違いだったのだろうか?
何にせよ、そろそろ家に帰らなくてはならない。先輩のジョギングの邪魔にもなってしまうし。
「じゃあ、先輩」
「おう。また明日な」
先輩が笑って言う。
また明日。その一言だけで、明日が来るのが楽しみに思えた。
決行日を決めよう。
作戦会議と題されたお昼休み、先輩が言った。もう作戦は充分立てたし練習もした。あとは気持ちを伝えるだけだ……と。
作戦はシンプルだ。まず阿刀田先輩を呼び出して、まっすぐに、気持ちを伝える。告白の言葉も、散々颯斗先輩で練習した。緊張して逃げ出してしまうなんてことはないはずだ。
「いつがいいだろなー」
空を見ながら考え込む颯斗先輩に、決行日はなるべく先がいい、と思った。告白してしまえば、もう先輩と一緒にお昼を食べる理由などなくなってしまうから。
「何だ、緊張してんのか?」
俯いている私を見て、颯斗先輩が言った。私は短く「いえ」と答える。私の中で、憧れと恋について、まだ結論は出せないでいた。
「明日はどうだ? 晃成は部活休みだし、丁度いいんじゃねーか?」
「……はい」
「何だよ、元気ねぇな」
颯斗先輩が私の頭をがしがしと撫でながら、困ったように笑う。乱暴だけれど大きくて温かいその手に、私はいつの間にか心地良さを感じるようになっていた。
私の本当の気持ち。分かりかけてきた気がするけれど、まだ、結論は出せないままだった。
「じゃ、決行は明日の放課後!」
颯斗先輩は、私のことをどう思っているんだろう。その明るい笑顔からは何も察することが出来ない。もどかしくて不安で、先輩の態度も、私の決心を鈍らせている要因のひとつなのかもしれなかった。
脳裏に蘇るのは、あの寂しそうな声。私の気のせい? それとも……。そもそも、世話焼きだからって、ただの後輩にこんなに優しくしてくれるもの? ただ優しい人柄なだけ? それはあるだろうけど、でも……。
私は、自惚れてもいいのだろうか……?
「なんで、そんな顔してんだ……」
颯斗先輩がいきなり言い出したものだから、私はびっくりして先輩を見た。あの時と同じ、寂しそうな声音だ。
「そんな顔すんなよ。晃成に告白すんだろ? だったらそんなしょぼくれた顔すんな。正々堂々、笑ってろ」
先輩が両手で私の両頬を包む。無理矢理口角を上げられ、私は苦笑してしまった。先輩は笑っていたけれど、少し悲しそうにも見えた。
「……はい」
ねぇ先輩。先輩はどう思ってるの? 先輩の気持ちが聞きたい。けれど……。
もしも、私のことを少しでも恋愛的な意味で好いてくれているのなら、他人への告白の後押しなんてするだろうか。
翌日、私は廊下で阿刀田先輩に話し掛け、放課後の約束を取り付けた。阿刀田先輩と話すのはやはり緊張して、勇気が必要だったけれど、後押ししてくれた颯斗先輩のことを考えると勇気も自然に湧いてきた。
私と颯斗先輩は、放課後、屋上に集まった。最後の「作戦会議」。これが終われば、私と颯斗先輩は……。
「晃成、もう行ってると思うぜ」
「はい」
「頑張ってこいよ!」
「……はい」
相変わらずの笑顔に私は少しだけ狼狽したけれど、悟られないよう細心の注意を払い颯斗先輩へ笑顔を向ける。
廊下で話した阿刀田先輩を思い浮かべる。王子様みたいにきらきらしていて、強い眼差しは相変わらずかっこいい。かっこいい阿刀田先輩。大好きな阿刀田先輩。今日この日の為に、今まで颯斗先輩と作戦会議をしてきたのだ。
くしゃくしゃになったラブレターを、ポケットから取り出した。これを書いたあの日の思いは消えないままだ。
できる。
告白しに行こう。
私は屋上のドアにそっと手をかけた。
「すばる……っ」
背後から、颯斗先輩の声がした。振り向くと、先輩は自分でも何故呼んでしまったのか分からないといった様子で、困ったように慌てている。
「あ、その……頑張れよ!」
「はい」
私は言うと、もう振り向かずに、屋上を出た。
私は廊下を歩き、阿刀田先輩が待ってくれているであろう校舎裏へと向かった。ラブレターは持ったままだ。くしゃくしゃになったラブレターを眺めると、あの日の出来事がつい先程のことのように思い起こされる。
あの日の思い。大好きな阿刀田先輩。
でも。
この期に及んで脳裏に浮かぶのは、優しい颯斗先輩の笑顔だった。このラブレターを颯斗先輩から受け取った時、丸められてついたはずの皺は伸ばされていた。
私の想いを、気持ちを、大切に扱ってくれたのは……。
どっちが憧れで、どっちが恋か
涙が溢れてくる。私は足を止め、それを拭った。伊織ちゃんは分かっていた。私よりも先に。
けれども私は臆病で、こうなるまで、結論が出せなかった。言い出せなかった。ずっと前から、私の前に転がっていたそれを、私はあえて見ないようにしていた。
「脈が無いかもしれない」「乗り換えが早いと、嫌われるかもしれない」、そんな、今となってはちっぽけな理由で。
颯斗先輩は私を引き止めなかった。私のことをただの後輩と見ているのだと思うと、少し悲しかった。その自分勝手な気持ちを戒めるが、引き止められることを期待していた自分がいたこと自体は、素直に認めたい。脈ナシだの脈アリだの、どう思われるかだの、そんなことを考えていた臆病な自分が恥ずかしくなってくる。
阿刀田先輩のことは大好きだ。かっこいいし、尊敬している。でも……でもそれは、「憧れ」なんだ。恋をしたことが無い馬鹿な私は、それを恋だと勘違いしていた。勘違いした挙げ句暴走して、阿刀田先輩に手紙を送った。それは丸めて捨てられてしまったけれど……。
それから颯斗先輩と過ごして、分かった。颯斗先輩への想い……これこそが「恋」なのだと。想うだけで胸が温かくて幸せな気持ちになる、これを恋というのだと。
たとえ颯斗先輩が私のことを何とも思ってなかったとしても、それでも、私は……。
私は再び走り出した。校舎裏に、背の高い人影が見えた。
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