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私のたとえ話に使ったタマゴには理由がある。それは彼女も知っていた。
「うん。あのタマゴくん」
それは彼の当時のニックネーム。親が医者で進学先は医学部。だけど彼は美術部で絵画の賞も取って本人はそっちが本命だったらしい。つまり医者のタマゴで、画家のタマゴなのだった。
「悪くない選択だったのに」
「だけど、私の想いはタマゴの殻に覆われてるんだ。告白するつもりも無かったし」
「なんで、告らないの?」
疑問の表情を浮かべている。当然高校時代なんて告白のオンパレードだったから。
「なんか、あの時の関係を崩したくなかったんだよね。普通に話もできて、笑いあえるのが良かったんだ。こんな風に離婚してより強く思ってる」
本当に私はあの頃もそう思っていた。友人でも良い。彼とそんな時間が過ごせたら。そういう風に。
「参ったな。あたしも昔の知り合いは少なくないけど、彼のあれからなんて知らないな。医学部には進んだらしいけど」
「そのくらいは知ってるよ。だけど、それで良いんだ。私の大切な恋の思い出。今もタマゴは有る」
納得している私の言葉に、親友の彼女がちょっと驚いていた。
「タマゴ。今も有るの?」
「有るよ」
当然だろう。彼には失恋をする必要が無いのだから。それでも昔の事。
「こうなると尚更会わないと! あたし調べるよ」
「望まないよ。良い思い出のタマゴを壊すつもりはないから」
「そんなこと言うんでないよ」
彼女とのお喋りはこんな風に終わってしまった。彼女には子供が居るから保育園のお迎えの時間になったんだ。楽しい時間だった。
「昔のことを思い出しちゃったなー」
私には待っている人なんて居ないから彼女と別れても街を歩く。暇つぶしにしかならない。でも、その時にさっきのタマゴの思い出が浮かんでいた。
悪い思い出じゃないのだから。なんとなく心がほんわりとなる。
古くなった商店街は閑散とした雰囲気漂っていた。
「懐かしい」
通るならと新しい事が待つのか。悪くない。タマゴの想いを抱いていても痛くならない。
街は次第に雨になった。でもこんな天気だって私は好きなほう。ちょっと寒いけれど傘で彩りを与えて歩いてみる。
彼への思いと一緒に。
「だるい」
次の日私は風邪をひいてしまったみたいだった。
あんな雨を楽しみながら歩いたのが良くなかったのかもしれない。もしかしたらまだタマゴに閉じ込めている彼への想いが悪いのかも。
そんなことを考えても身体は良くなる筈もなく、スマホで病院を探した。
私が居なかった間に家の近くに病院ができていることを知って、取り合えずそこに向かう。
「ファミリークリニック?」
内科とだけ検索したのだったが、その病院は良く見ると小児科が主らしい。一度病院の前でどうしようかと悩んでしまったが、症状の重さに負けて他を探す気にはならなかった。
院内はこどもの声が響いている。普段ならどちらかと言うと子供好きな私は気にならないがちょっと今は辛い。段々と視界までぼんやりとする気分になっていた。
親友と昨日話したからなのか、タマゴの彼が浮かぶ気がする。なんとなく彼があの頃に描いていた絵まで思い出せる。そう思ったときにふと壁に有った風景画が気になった。
この近くの風景を写しているものだったのはすぐに解った。でもそんなことよりその絵を観ていると徐々に心が和らぐような気がする。病院にはうってつけなのかもしれない。
「なんだか、この絵。好きだな」
誰にも聞かれないように呟くと、私の名前が呼ばれた。さっきよりも重力が重い気がする。病気はどんどん悪くなってるんだろう。
「ちゃんと風邪をひいてますね。昨日は雨でひえましたからね」
さっくりと診察を終わらせるとお医者さんは朗らかに語っていた。
「ちょっと雨に当たったんで」
言い訳はできない。昨日の私はバカだったんだ。
話で良い気分になって、タマゴの彼を想ってしまった。それで雨も楽しくなったんだ。全ては自分の責任。
「そうなんですか。お気をつけて。今日は温まって休んでくださいね」
「はい。すいません」
優しくも淡々と診察するお医者さんに自分のアホさを詫びてしまう。意味はないのに。
「それで、なんですが」
一度お医者さんが言葉を切って私のほうを眺めていた。
私からはもう真っ直ぐに前を向くのもしんどい。だから、自分の手元を眺めていた。
「僕のことを覚えてる?」
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