お別れ

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2022年6月23日  今日はまさに記念すべき日だった。考古学者としての30年のキャリアの中でも、最も重要な日だったと言えるだろう。いまだに興奮が収まらない。公式発表用の正式レポートは別途作成するのだが、この感動と興奮が冷めやらぬうちに、自分の気持ちを自由に書き留めておきたい。それには、やはりこの日記に書くのが一番いいだろう。  以前からこのT山古墳の存在自体が、考古学上の大きな謎とされていた。寸法としては20メートル四方と、さほど大きなものではないのだが、調査がすすむにつれ、いくつかユニークな特徴が出てきたために、一部ではおおきな関心を呼ぶことになった。  まず、玄室への入り口が非常にわかりづらい。入り口自体、とても小さく狭く作られており、しかも極めて緻密な方法でなされた石積みで塞がれていたため、外壁部分との境目が非常に見つけづらくなっていた。外部からの侵入を防ぐ目的なのだろうが、それにしても、ここまで徹底的なやり方をしているものは、あまり見たことは無い。結局、最新式のテクノロジーのおかげで何とか、入り口を発見し、塞いでいた石を慎重に取り除けた後、入り口が現れた。そこから玄室と思われる空間に向けて、急角度で下っていく石段が続いているのだが、これがまたとてつもなく長い。もともと急角度な上に、いくつかの踊り場を経ながら、延々と続いているらしい。つまり、この通路の行きつく先は、地下の物凄く深い場所にあるものと思われた。結局、作業の安全性が十分に確認できるまで、本格的な発掘調査は見合わせようということになり、まずは事前の徹底的な調査のために、二年ほど時間が費やされた。  その後、慎重に通路を掘り進める作業が続けられ、ついに今日、地下深く隠されていた玄室が、我々21世紀の人間の前に姿を現すことになったのだ。白状すると、私自身、地下数十メートルの空間に恐る恐る降っていく間は、生きた心地もしなかった。いつ落盤で生き埋めになるか、暗くて狭い掘りたての通路を這い進む間の心細さと言ったら、まさに恐怖で発狂しそうな思いだった。  だが、最後に辿り着いた玄室の中を見た時の感動が、そんな恐怖も不安も瞬時に吹き飛ばしてしまった。フラッシュライトのぎらつく灯りの中に照らし出された玄室は、予想以上に狭いもので、床の中央部には小ぶりの石棺がたった一つ設えられていた。墳墓が作られる以上は、ある程度の有力者の筈なのだが、いかにも狭くて殺風景な玄室に、これまた小さく質素な石棺がぽつねんと置かれているのは、妙な違和感があった。もっとも、石棺が小さかったからこそ、その蓋を開けるのも楽だったわけだが。  一緒に入室した助手の菰田君と二人がかりで、平坦な石の蓋をずらしていく。すぐに石棺の中が露わになった。だが、そこをライトで照らしだした時、私がまず感じたのは、妙に拍子抜けしたような失望感だった。多分菰田君も同様だったろう。  棺の中には何も無かった。いや、正確には小さな物体がたった一つあったのだが、我々が期待していたような人間の遺体、ミイラ化したものにせよ化石化した骨にせよ、とにかくそんなものは何も無かったのだ。そして、棺の端の方に、卵型の物体が一つ転がっていた。  大きさは鶏卵より二回りくらい小さなもので、形状はいわゆる卵の形より、やや球形に近いように見えた。色は白色というか、やや象牙色という感じで、ライトの反射を受けて眩しく照り輝いている。実際、千数百年の間、地中に埋まっていたとは思えないほど、生き生きとした光を反射している様は、変な言い方だが、それが今まさに生命力を放っているような印象を受けた。勿論、それが実際に何か生物の卵であることはあり得ないだろう。何か象牙か、はたまた大理石のような貴重な石を磨き上げた作った、卵型の副葬品といったところか。それにしても副葬品なら、これがたった一つだけというのも違和感があるし、そもそも棺の中に遺体がかけらも無いのもおかしい。  二人で首をかしげていると、菰田君が玄室の隅の方の暗がりに、もう一つの物体を発見した。これは、いくらか見覚えのあるもので、竹に文字を並べた竹簡のようなものに見えた。だが、これもはっきりと竹簡と言えないのは、そこに書かれた文字が、初めて見るものだったからだ。大陸から渡ってきた、我々が見知った竹簡なら、当然漢字が並んでいるわけだが、そこに書かれた文字は、私も菰田君も、生まれて初めて見るもので、全くノーアイディアとしか言いようが無かった。  ともかく、詳しいことは後でゆっくり調査することにして、卵と竹簡を回収した我々は、玄室の内部の写真を撮影し、一旦引き上げることにした。外部への報告は簡単に「石棺と、竹簡があった。竹簡の文字は劣化もあって、判読しにくいので解読には若干時間を要する。埋葬方法もシンプルなので、身分は不明。こちらも、もう少し時間を要する」という程度のものにした。  それにしても、何も入っていない石棺、正体不明の卵様の物体、訳の分からない文字の並んだ竹簡……我々はとんでも無いものを発見してしまったのかもしれない。今後の徹底的な調査によって、人類史を根底から書き換えてしまうような真実が次々に明らかになるかもしれないのだ。そう思うと、興奮のあまり眠れない思いだが、今日のところはここまでとしよう。 2022年6月25日  竹簡の解読作業は、かなり時間がかかりそうだ。なにしろ私も菰田君も全く見たことがない文字なのだ。外部の力を借りるしかないが、あまり大っぴらに作業を進めることも出来ない。古代文字の解読が出来て、かつ極秘裏に協力してくれるような人を探し出して依頼しなければならない。菰田君にその手配を頼むことにする。  一方、例の卵型の物体は、不思議な輝きを持っている。今こうして目の前で眺めているのだが、いつまで見ていても飽きない。勿論、研究室に保管しておくべきものだが、自宅でも調査研究を進めるということで大目に見てもらおう。と言っても、単に眺めていることしか出来ないのだが。 2022年7月2日  菰田君より、竹簡の解読に協力してくれる人が見つかったとの連絡あり。どこまで正確に判読できるかは、自身が無いが、一通りトライはしてくれるとのこと。まずは良かった。まずは一歩でもいいから前に進みたい。不明なところが多いとしても、まったく手つかずの状態に比べれば全然違う。  卵の方は、相変わらず、変化は無い。掘り出した時の状態を保っている。そもそもこれは、本当に何かの生物の卵なのか、それとも人工物なのか、あるいは自然に生成された石かなにかなのか、こちらはそれこそ手つかずだ。だが、千数百年、割れもせず、腐りもせず、あそこにあったのだから、多分このままでも大丈夫な気がする。 2022年9月13日  大変な事実が判明してしまった。もっとも、あまりにも突拍子が無い話なので、私自身は、まだ半信半疑なのだが。  今日、菰田君経由で、協力者から例の竹簡の要約と称するものが届いた。考古学上の知識だけでは無理で、AI技術も総動員してやっと半分くらいの意味は分かったらしいのだが、要はこういうことが書かれていたらしい。 「自分は遠い異国からこの国に流れ着いた聖職者である。この国に、人を喰らう化け物がいる。それは、昼間は寝ていて、夜になると起きだして人間を襲い、跡形も無く、喰ってしまう。恐怖に怯える人々を見かねて、自分が化け物を卵の中に閉じ込めたので、人々の恐怖は永遠に無くなった」  あらかた、そのような意味だそうだ。  いくらおおざっぱな解読にしても、この卵が人間を喰らう化け物を封印したものだったなんて、あまりにも荒唐無稽な話ではないか。そもそもこの美しい物体から、そんな禍々しいオーラはまったく感じられない。まあ、仮にそうだとしても、既に封印されているのなら、悪さは出来ないだろう。現に、もう3か月の間、ずっとここに置いてあって、私自身毎晩眺めていても、何も変なことは起きていないのだ。菰田君には、焦らないからもう少しじっくり時間をかけて解読を進めてもらうよう頼めと言っておいた。 令和五年四月二十日  今、成田空港で出発を待ちながらこの記録を書いている。国外の研究機関に、急遽転職がかなったのは、本当に幸運だったと思う。同時に、今こうして日本を離れることにあたり、自分の中に蟠る罪の意識は抑えようも無く、せめてもの罪滅ぼしにこれを書いている。  岩沢博士の日記が去年の9月13日をもって、途絶えているのは、勿論、その日以降、博士もその家族と共に、行方不明になってしまったからに他ならない。これは謎の失踪事件として、一時期マスコミをにぎわせたものだが、結局未解決のまま時間だけが経過している。家族も一緒に行方不明になったものだから、警察に捜査願いを出す人も失踪してしまったので、ことが公になるのはかなり遅くなってからだった。実際、最初にそれを知ったのはこの私なのだから。連絡が取れなくなったので何かあったのではないかと駆け付けたところ、玄関も施錠されぬまま、博士とその家族は跡形もなく消え失せていたというわけだ。これにより、世間が知る前に博士の日記を回収出来たのも、これまた幸運だった。  だが、決定的だったのは、やはりあの事件、これも既に周知の事実だが、半年ほど前に博士の住んでいたY町の一区画の住人が、一夜にして行方不明になったというあの事件だ。区画の人口は二百人ほどだったが、その全員が老若男女問わず、一晩で失踪してしまったというあの事件である。マスコミも捜査機関も、政府関係者も、声だけは大きく騒いでいるが、勿論、誰もこの事件に明確な説明を付けられる者はいない。当然と言えば当然かもしれないが。  唯一説明らしい説明がつけられるとすれば、それは例の竹簡の内容であろう。実は博士の直近の日記に記された内容から、あの後もう少し精確な解読が得られたのである。内容は次のとおりである。  「自分は遠い異国からこの国に流れ着いた聖職者である。この国に、人を喰らう化け物がいる。それは、昼間は寝ていて、夜になると起きだして人間を襲い、跡形も無く、喰ってしまう。恐怖に怯える人々を見かねて、とりあえず自分が昼間のうちに、化け物の卵を閉じ込めさせたが、これで人々の恐怖は永遠に無くなったとは言えない」  なんのことはない、単なる応急処置に過ぎなかったのだ。  そして、もう一つ、博士の失踪が公になってしばらくしてからも、自分は関係者として、自宅を訪問し資料の整理を行ったり、それを大学の研究室に移動したり、出入りすることがあった。  ある晩、遅くなってから、博士宅を辞去した際、その近所を歩いていた私は、あたりに妙な振動音が鳴るのを聞いたのだ。それは、地中の深い所で、何か丸いものがゴロゴロ転がるような音、そして、自分の歩いている道路の下の方から、何か重いものが動くような振動を感じた。  それを感じた時に、自分の中に膨らみ始めた妄想が、どうしようもなく、怖ろしくなってきたのだ。あの卵は、人間を喰らいながら、どんどん大きくなっている。博士の家族、そして次にはあの区画の人間を全部……地下に潜り込んで、次のチャンスをじっくり待ち続けている。次にはそこのY市一体を喰らいつくす時を待ち続け、もっと大きくなったら、今度はあそこの県の人たちを一瞬で食いつくし、さらに大きくなっていく。そしてある夜、この日本の国民全員が、一瞬にして巨大な鬼の口の中に放り込まれる……。  搭乗手続きが始まったようだ。さて、日本にお別れを言おうか。 [了]
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