挨拶

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 知人のQさんは、いわゆる”視える人”である。幼い頃から、不思議なもの、普通の人には目に見えないものがよく見える体質だったらしい。その能力は、大人になった今でも失われることなく、いわゆる霊体とか幽霊と呼ばれるものを鮮明に見ることが出来るのだ。  そして、Qさんが”視る力”のある人だという情報は静かな噂を呼び、霊的な問題について人から相談されるようにもなった。大々的に宣伝をうっているわけではないのだが、口コミベースで彼のことを聞きつけた人から、相談にのってほしいというアプローチを受けることも、よくあるのだ。そういう場合、彼としては、基本的に門前払いはしないで、まずはお話をお聞きしましょう、というスタンスをとる。お望みの結果が出るか保証は出来かねますが、まずはお話しは伺います、というわけだ。そして自分に出来る限りのアドバイスを行い、場合によっては自らの伝手でより強力な能力を持った人を紹介したり、とにかく相談者の持ち込む問題の解決に向けて、自分に出来る限りのことを無報酬で行うのである。  当然、Qさんご自身の心霊体験だけでなく、様々な人からの体験談も、次々に彼のところに集まってくるわけで、実話怪談の収集を行っている私にとっては、まさに大きな鉱脈のような、貴重な存在なのである。  何より有難いことに、長い付き合いのせいもあって、たまに相談の場面にこの私も同席させてもらえることがあるのだ。勿論相談者の同意がある場合に限るのだが、私の立場は助手のような秘書のような、要は記録係としてQさんの横で神妙な顔をしながら粛々とメモを取る、という役割をもらっているわけである。  先日も、一件同席を許してもらった件があった。  その相談者の方は、ここではYさんとするが、前に一度Qさんが相談に乗った方の紹介で、彼のことを知ったらしい。まだ三十前の独身の男性で、金融機関にお勤めという、見た目にも物静かで堅実そうな印象の人物だが、そのYさん曰く、人生の節目節目で、必ずと言っていいほど、少しばかり妙な体験をすると言うのである。 「妙な体験と言いますと、具体的にはどういう体験をされるのですか?」  Qさんの問いに対して、最初Yさんは少々戸惑ったような表情を浮かべました。 「いや、その、なんといいますか、あらたまって聞かれますと、大したお話しでもない様に思えてしまうんですが……」 「お話しがどう受け取られるかは、まったく気にされることはありません。とにかく、何も考えずに、今、気になっておられることを、お気軽にありのままお話しください。みなさん、そうされてます」  Qさんが笑顔で促すと、Yさんも漸く決心が固まったようで、話を始めた。 「ひとことで言いますと、人生の節目の場面で、今まで会ったことの無い人に、声をかけられるんです」 「会ったことの無い人、つまり、見知らぬ人が声をかけてくる、ということでしょうか」 「はい、そのとおりです。入学式とか卒業式とか、色々な節目の場面ってありますよね。そういう状況で、見知らぬ人から丁寧にご挨拶をされることが、割とよくあるんです」 「なるほど。でも、そういう状況は、割とあるんじゃないでしょうか。例えば、キャッチセールスとか、何かの勧誘だとか」  Qさんの言葉に相手は首を横に振った。 「いえ、変な勧誘とかじゃないんです。ごく一瞬の話で、ほんの一言二言、”お久しぶりです”とか”その節はお世話になりました”みたいな、ごく短い言葉をかけられるだけです。だから、実害というほどのことは無いのですが、どうも気になってしまいます。どこかでお会いしたのに私が綺麗に忘れているのだとしたら、相手に対してはとても失礼な話ですからね。でも、どんなに考えてみても、どうしても思い出せないのです」 「なるほど。その人の特徴と言うか、要はどんな感じの人なんですか?」 「声をかけてくる人は、特定の人物ではなく、毎回年齢も性別もばらばらの複数の人間なんです。会った記憶が無い人から声をかけられる、それも人生の節目という比較的重要な場面で丁寧に頭を下げられる。そういうことが何人もの異なる人たちから行われるとなると、これはもう、自分の記憶力に何か重大な欠陥でもあるのではないか。今後の私の社会生活の中で、何か大変な失敗をしでかすかもしれない……そう思うと、気になってしまって、不安でたまらなくなるんです」  いわゆる心霊体験というような話を期待していたこちらとしては、少々拍子抜けするような話だったが、誰の話でも真摯に受け止めるQさんとしては、いつもどおり最後まで話を聞くことにした。 「まず最初にそれを経験したのは、小学校の卒業式の時でした。母親も出席の上、無事に式典も終わり、母親同士が立ち話に花を咲かせていた時間だったのですが、式典中ずっとトイレを我慢していたので、急いでトイレに走りました。用を足して、トイレの出口から出て、廊下を歩いていると、向こうの方から、学生服姿のひとりの若者が近づいてきたのです。  高校生くらいでしょうか、いかにもトラディショナルな感じの、黒い詰襟の学生服に身を包んだその人は、とても真面目そうな印象を与えています。当時の自分から見れば当然、年上のお兄さんといった印象だったのですが、まっすぐに私の方に向かってくると、私の目を一瞬見つめた後、丁寧にお辞儀をしました。 『今日は、どうもご無沙汰しております』  いかにも律儀な物腰でご挨拶をしてくれたのですが、私はその人の顔には、全く見覚えがありませんでした。きょとんとしていると 『その節は大変にお世話になりました。有難うございました』  そう言って、もう一度私の目を見つめた後、丁寧にお辞儀をして、そのまま私と反対の方に、廊下を歩いていきました。  私はと言えば、見知らぬお兄さんに、妙に丁寧な口調でご挨拶をされたという出来事が、どうにも薄気味が悪く、急いで廊下を走って昇降口を出ると、母親のもとに向かいました。母親は、相変わらずママ友とおしゃべりに興じていたため、何となく、その他所のお母さんの前で変な話をするのもためらわれ、結局そのまま黙っていました。そして、その時はそのままその出来事は何となく忘れてしまいました。  その次は、高校の卒業式の時でした。  式典も滞りなく終わって、同級生とおしゃべりをしながら、校門の所でなんとなくうだうだと屯(たむろ)していたのですが、ふと気づくと、一人の女性がこちらを見つめているのに気づきました。  清潔感のある和袴姿の若い女性で、自分より少しばかり年上のようにも見えました。清楚で聡明そうな雰囲気も漂わせた袴姿の女性のことを、私は、どこかの大学の卒業式に出席していた女子大生かと思いました。なにしろ卒業式のシーズンでしたからね。  その人は、ゆっくりとした足取りで近づいてくると、私に向かって、 『どうもご無沙汰いたしております。その節は大変、お世話になりました』  と、深々と頭を下げました。  私が面食らっていると、その人は私の目をまっすぐ見つめて、もう一度丁寧にお辞儀をすると、踵を返してまたもとの方角へ歩き出しました。  思わず、『あの……』とか間抜けな声を出してしまいましたが、そこから後を追いかけたものかどうか、私が一瞬戸惑ううちに、仲間がワイワイと集まってきました。そして、誘われるまま、私もみんなと一緒にカラオケに流れていったのです。  その次は、今の会社の入社式の場面でした。本社の上層階に、大きな式典会場が有りまして、新入社員はそこに一同に集められました。その後は、社長訓示、新入社員代表の決意表明等々、まあ、どこの会社でもやるようなごく普通の式典が行われたわけです。これも、恙なく一通りの式次第も終了し、その後は宴会場に移動して、経営陣クラスと新入社員で、立食パーティー形式の懇親会が行われました。  その場で、突然隣から声をかけられたのです。 『どうも、お久しぶりです』  振り向くと、一人の青年が立っていて、私に向かって丁寧にお辞儀をしました。今時珍しい、三つ揃いのスーツをきちんと着こなした、爽やかな青年。いかにも好感の持てる若きビジネスマンという感じの方でした。  こちらもわけがわからず、慌てて頭を下げました。 『また、お会い出来て嬉しいです。その節は大変にお世話になりました。今後ともどうぞよろしくお願いします』  そう言って、私の目をまっすぐ見つめると、また丁寧にお辞儀をして、歩き出しました。  そもそも社会人経験も全くなく、仕事上で知り合った人もまだ皆無です。どこかの部署の先輩社員だろうか?前と同じように、『あの……』とか言っているうちに、隣に人事担当役員がやってきて『どう?まだ緊張してる?……』とか、話しかけてきたのでそのままになってしまいました」  話の間中、Qさんは、Yさんの顔を正面から見据えて、真剣な面持ちを崩さなかった。それは、Yさんの話を真剣に聞いていたのは勿論だが、同時に彼のことを霊視しているのが、私にもよくわかった。  聴き終えたQさんは、暫くの間難しい顔をして何やら考えこんでいた。やがて、最後にもう一度Yさんの目を見つめると、意を決したように一言「わかりました」と言って、話を始めた。 「今、Yさんから直にお話を伺って、私が出した結論をお話し致します。  まず、これはお聞きになったことがあるかもしれませんが、いわゆる幽霊と呼ばれる方々と、生きている人間は、事実上全く見分けがつかないという事実があります。生きてる人だと思って、話をしたり、一緒に行動したりしたのに、後で聞いたら既にその時その人は亡くなられていた、なんて話をよく聞くでしょう?」 「はあ……」  少々唐突感のある話の切り出しに、Yさんは一瞬戸惑ったような顔をした。 「つまり、生きてる人間だと思っても、既に亡くなられた方である、というケースはよくあるのです。そして……」  一息いれたQさんは、一瞬Yさんの目を見ると、話しを続けた。 「あなたに人生の節目節目で声をかけてこられた方たち……その方たちは、とっくにお亡くなりになった人たちなんです」 「……」  突拍子も無いQさんの言葉にYさんは絶句している。 「俄かには信じられないかもしれませんが、それは事実なんです。皆さん、今から百年以上前、明治から大正の頃にお生まれになった方たちで、もうずっと前に鬼籍に入っておられます」 「そうか……確かに言われてみれば、皆さん割と古めかしい服装だったように思います。袴姿の女性も、あれは卒業式のためのものではなく、当時の女学生のいつもの服装だったんですね」  現実離れした話も素直に受け入れ、自分なりに咀嚼しようとしているYさんの姿勢を、私は少しばかり意外に思い、同時になんとなく頼もしい感じもした。 「そのとおりです。そして、それらの方たちが、何故、あなたに向かってご挨拶をしてきたか、ということですが、結論から言うと、彼らはあなたではなくて、”あなたの後ろに立っていた方”に挨拶をされていたんですよ」 「後ろに立っていた方?」 「そうです。その時、あなたの真後ろに、もうお一方、霊体になった方が立っておられたのです。その人は、明治の頃に活躍されていたあなたのご先祖様で、あなたのことをずっと見守ってくれているんですよ。そして、あなたの人生の節目節目で、あなたの成長を喜び、その晴れ姿を見るために、こちらの世界にお見えになるんです。ほんの一瞬ですがね」 「そうだったんですか。ご先祖様が……」  次々に明らかになっていく話の展開に戸惑いながらも、Yさんは何とか理解しようと努めているようだった。 「そのご先祖様は、かなり徳の高い方で、ご商売である程度の財を築いた後は、地元で教育や社会事業等にも積極的に取り組んでおられました。奨学金制度を立ち上げたり、今で言うベンチャーキャピタルみたいな基金を設立したり、若い方々にチャンスを与えることに、とても熱心でいらっしゃいました。おかげで地元では、多くの方から慕われ、尊敬を集めておられたのです。  そして、今まで人生の節目節目であなたに声をかけてきた人たちは、ご先祖様との再会を喜び、ご挨拶をしていたんですよ」 「なるほど。私のご先祖様だったわけですか。そうか、考えてみれば、あの方たちは、”その節はお世話になりました”とか、”お久しぶりです”とは言っていたけど、”おめでとうございます”と言った人は誰一人としていなかった。本来ああいう場面では、まずは”おめでとう”という筈ですよね……なるほど、そういう事情があったからなんですね」  Yさんは感心したように何度も頷いた。 「そうです。ですから、まず、あなたとしてはこの現象を恐れる必要は無いのだということをご理解ください。徳の高い、色んな人に善行を施された立派なご先祖様に守られている証拠だということです」 「わかりました。何だかとてもすっきりした気分です」  Qさんの話を聞いたYさんは晴れやかな笑顔で帰っていった。  Yさんを送り出した後も、Qさんは難しい顔で何やら考え込んでいた。 「どうしました?Yさん、喜んでらっしゃいましたよね?良かったじゃないですか?」  晴れない顔のQさんに私が声をかけると、 「それがですね……」  何やら悩んでいる様子のQさんを促すと、こんな話を始めた。 「実を言いますとね、ご挨拶をされていた方々は、確かにYさんの後ろの方にご挨拶をされていました。それは嘘ではありません。そして、彼らはその方にお世話になったというのも事実です。ただ、そのお世話というのが少々事情がありましてね……  Yさんの前に現れた方々、年齢も性別もばらばらのようですが、実は一つ共通点があるのです。それは、彼らはみな、ある一人の犯罪者に殺された、という事実なんです。あの方々は、みな、とある人間による強盗殺人事件の被害者なのです。女性の方は、暴行までされていました。  そして、あの”後ろの方”は、生前に警察関係のお仕事をされていたんです。その強盗殺人犯を検挙したのはあの方です。犯人はめでたく死刑になりました。だから、被害者の方々は、みなあの方にお礼を言っていたのですよ。  そして、もっと重要なことですが、実はあの方はYさんのご先祖様ではないのです。彼とは何の血縁も無い、赤の他人なのです」  Qさんとは長い付き合いの私も、さすがにこれにはびっくりした。なんでわざわざ嘘をついたのだろう。私が驚いた顔をすると、Qさんは、わかっていますとばかりに軽く頷きながら先を続けた。 「ええ、確かに申し訳ないですが、Yさんには嘘をつきました。実はYさん固有の特殊事情があったため、あの場では全てをお話しすることは無理だと判断し、とっさにでっち上げたお話をしてしまいました」 「Yさん固有の特殊事情?」 「はい」  一旦言葉を切ったQさんは、驚くべき言葉を口にした。 「実は、Yさんはその強盗殺人犯の生まれ変わりなんです」 「えっ?」  私の口から、素っ頓狂な声が飛び出てしまった。 「そうなんです。強盗殺人犯はYさんに転生しました。そして、あの後ろの方がYさんの人生の節目でこちらに顔を出していたのは、監視目的だったのです。Yさんというより彼に転生した犯罪者が、また凶悪な事件をおこさないか、その兆候はないか、折に触れ見張っていたということです」 「まさか……」  あまりにも意外な話に、私は言葉を失っていた。そうか、確かYさんによれば、挨拶をしてきた方たちは、後ろの人に丁寧にお辞儀をしていたが、その前にYさんの目をじっと見つめていた、とも言っていた。あれは、自分の目の前にいるYさんがまさに前世で自分を殺した犯人だったからか…… 「勿論、犯罪者の生まれ変わりだからといって、Yさんが直ちに犯罪を犯すとは言えません。とりあえず、今のところは、まっとうに社会生活を行っておられるようですしね。今度は実直に生きていくのかもしれないし、それとも、どこかで前世の業が目を覚まし、また同じことを繰り返すのか、それは私にもわかりません。いずれにしても、あの”後ろの方”は、かつて自分が検挙した犯罪者が転生したYさんが今後どういう人生を送っていくのか、今後も定期的に監視の目を光らせていくのでしょうね」 「Yさんは今後どうなっていくんでしょうか?」 「さあ、こればかりは私にも何とも言えませんね」  それはそうだろうな。いかにQさんといえども、今後Yさんがどのような人生を送っていくのかまでは見通せないのだろう。 「わかりました。どうも有難うございました。じゃ、これ、私の方で”文字起こし”させてもらいますね」  帰り際に私がそう言うと、Qさんは「はい」とだけ答え、少し悲し気な顔をしてみせた。  ”文字起こし”は、私とQさんとの間で決めた符牒で、要は私が今の話をしかるべきところに報告しますよ、という意味なのだ。しかるべきところとは、勿論、私の上司である公安部のC課長のことである。  そもそも私が実話怪談の収集を行っているのは、作家だからではない。これが公安警察官としての、私の仕事の一部なのだ。  もともと公安部の中には、従来から、市井の様々な噂話を収集し、監視するという役割を持ったセクションが存在していた。政府というものは、いつだって、大衆の噂に神経をとがらせている。どこかで聞いたような他愛も無い怪談、奇談、都市伝説の類にも、大衆の心理、不満、欲求といったものが反映されているものなのだ。そういった巷にはびこる話を収集し、分析し、管理しようとする部署が、公安部の中の非公然組織として、もうかなり前から活動を続けているのである。かくいう私もその一員というわけだ。  当初は噂話の収集、分析、管理が仕事だったが、長年運営していくにつれ、そういう霊的な事象や存在自体を、現世の治安に対する現実的な脅威として大真面目に考え、分析し、管理しようというスタンスも確立されてきた。前世で凶悪な犯罪者だった者が、今この世の中に転生して、ごく普通の市民の顔をして生活しているなんて話を課長が聞いたら、顔色を変えるかもしれないな。そして、公安部としてもYさんを監視下に置くよう動くのだろう。可哀想にYさんは、今後”後ろの人”と公安部の二重の監視下に置かれることになるわけだ。  まあ、いずれにせよ、私の知ったことではない。安心、安全な社会を維持していくためには、それも致し方ないのだろう。 [了]
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