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いつもより二〇〇円高いスペシャルブレンドも、貧乏舌の俺にとってはいつものレギュラーとの味の差など全くわからない。違いの分かる男、そんなどこかで聞いたことのあるような言葉が頭に浮かんで失笑する。
まあ、最後にちょっとした贅沢をしたと思えばいいか。
『先日起きました旅行会社社内での上司死傷事件ですが、逮捕された神田肇さんは社内では大人しくまじめな社員だったということですが、事件当日の朝礼のあとに急に叫び声をあげて机の上にあったカッターナイフで上司である大塚留雄さんの首を切り裂いたということが分かりました』
店内のテレビから流れてくるニュースに耳をとめる。
ふん、上司をカッターナイフで切り殺したのか。俺にはそんな度胸は心のどこ探しても見つからない。そんなことができるのなら、俺は今こんなところにはいないだろうな。
◆◇◆◇
「三番線を通過列車が通ります。危ないので、黄色い線の内側にお下がりください」
ラッシュアワーが落ち着き、人もまばらなホームに流れるアナウンスを聞いて、俺はゆっくりと黄色い線の外側に足を踏み出した。
"これでやっと解放される"
警笛を鳴らしながら近づいてくる銀色の車両が、今の俺には天国に連れて行ってくれる天使のようにも見える。
そして俺は銀色に輝く天使に導かれるように最後の一歩を踏み出した……はずだった。
俺の目の前をものすごい速さで通り過ぎていくのは、銀色に輝く天使などではなく、冷たそうな鉄の塊だった。どうやら、俺は誰かに後ろに引っ張られたようだ。
「危なかったですね」
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