1人が本棚に入れています
本棚に追加
三話
住宅街にある小さな公園へ向かった。敷地内には誰もいない。オレはそばの一軒家を指差した。
「布施の家なんだ。去年おなじクラスだった。運がよければ会えるかと思ったんだけど」
「彼と?」
「いや、そこで飼ってる――」
チリンと鈴の音が鳴って、茶色の毛に黒の縞模様が入った猫が姿を現した。こちらの足元までやってくると、ゴロンと寝転がってお腹を見せる。オレはしゃがみ込んで撫でた。
「オレのこと覚えてたか」
猫が甘えた声を上げる。オレはその体を抱えて彼女のほうへ向けた。
「こいつ人見知りしないんだ」
泉野が興味ぶかそうに覗き込む。すると猫も彼女をじっと見た。
「目、合ってる?」
「うん」
「さわれる?」
泉野が、ちょこんと出ている足に触れた。猫が機嫌よさそうに鳴く。彼女はさらに頭も撫でた。
「毛並みがキレイ。大人しい子だね」
「ほかの犬や猫でも接することができるかも」
「だとしたら、『人間の世界』から弾き出されたのかな」
「けど、オレには見えてる」
彼女は首を左右に振った。
「私は、いてもいなくても同じなんだよ」
「そんなことない。お父さんだって、戻ってほしいと思ってる」
「じゃあ、どうして見えないの?」
「それは……」
「ずっとこのまま、ユーレイみたいにフワフワして。それって、みんなの目に見えてるときと変わらないね」
オレは言葉を失う。泉野が声を震わせた。
「もういいよ。どうしようもないの」
「そんな……」
「状況を受け入れれば、那須くんに面倒をかけずにすむし」
「面倒じゃないって!」
叫びに驚いて猫が逃げ出した。オレは彼女の両肩をつかんだ。
「さわれるし、声だって聞ける。だから諦めるなよ」
泉野がこちらを見上げる。その瞳が潤んだ。
「どうしてこうなったか、なんとなく理解できる。でも、ひとつだけ分からない。那須くんに見えること」
オレは言葉に詰まる。彼女に間近から見つめられて、喉のあたりで感情がグチャグチャに絡まる。
「お、オレに見えるのは――」
とっさに口走った。
「たまたま、じゃないかな」
「……そう」
彼女は力なく視線を落とした。
「那須くんだから見えた、なんて、あるはずないね」
泉野の目からポロッと涙が落ちた。
「私、バカだなぁ」
次の瞬間、彼女がフッと消えた。つかんだ肩の感触もなくなり、オレの手は行き場を失った。
「泉野?」
辺りに彼女はいない。名前を呼びながら探し回ったけれど、見つからなかった。
それまで気付いていなかった。
オレにまで見えなくなったら、という可能性を。
* * *
翌日、休み時間のたびに隣のクラスへ行ったけれど、泉野を見つけることはできなかった。資料室の前に足を運んだが、誰もいない。
公園で泣かせてしまった。そのあと彼女が消えた。オレが違う行動を取っていたら、こんなことにならなかったのか?
職員室を訪ねると、隣のクラスの担任がいよいよ厳しい表情になる。
「父親に最終通告をして、警察に相談する」
「ちょ、ちょっと待ってください」
その判断は正しい。だがオレは食い下がった。
「心当たりがあるんです。せめて今日だけ猶予をください!」
返事を待たずに職員室を飛び出した。
こうして関わることは、彼女にとって迷惑かもしれない。でも、オレの中で泉野は存在している。いまの状況を受け入れることなんてできない。
学校を出たあと、布施を訪ねて猫を借り、彼女の家へ向かった。
酒屋に行くと、憔悴した父親がフラフラ働いていた。オレに気付いて詰め寄ってくる。
「すみれを見なかったか? あの子がいたから、がんばってこれたんだ。顔が見たい、声が聞きたい。戻ってきてくれ……」
涙を流してうずくまる。
彼女は、いました。でも、いまは見えません。なんて言えるはずがない。
泉野はどこに行ったのだろう。ほんとうに消えてしまったと思いたくない。
いてもいなくてもいい存在じゃない。オレにとってもお父さんにとっても必要だ。
天井を仰ぐ。
ああ、オレはバカだ。なんで伝えなかったんだろう。
彼女と会話できたのに。どうして、その状況が続くとうぬぼれたんだろう。
べつの言葉を口にしたかった。でも告げる勇気がなかった。愛想を尽かされても仕方ない。
ただお願いだ。お父さんとって誰も代わりになれない。それだけは届いてくれ。
最初のコメントを投稿しよう!