三話

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三話

 住宅街にある小さな公園へ向かった。敷地内には誰もいない。オレはそばの一軒家を指差した。 「布施の家なんだ。去年おなじクラスだった。運がよければ会えるかと思ったんだけど」 「彼と?」 「いや、そこで飼ってる――」  チリンと鈴の音が鳴って、茶色の毛に黒の縞模様が入った猫が姿を現した。こちらの足元までやってくると、ゴロンと寝転がってお腹を見せる。オレはしゃがみ込んで撫でた。 「オレのこと覚えてたか」  猫が甘えた声を上げる。オレはその体を抱えて彼女のほうへ向けた。 「こいつ人見知りしないんだ」  泉野が興味ぶかそうに覗き込む。すると猫も彼女をじっと見た。 「目、合ってる?」 「うん」 「さわれる?」  泉野が、ちょこんと出ている足に触れた。猫が機嫌よさそうに鳴く。彼女はさらに頭も撫でた。 「毛並みがキレイ。大人しい子だね」 「ほかの犬や猫でも接することができるかも」 「だとしたら、『人間の世界』から弾き出されたのかな」 「けど、オレには見えてる」  彼女は首を左右に振った。 「私は、いてもいなくても同じなんだよ」 「そんなことない。お父さんだって、戻ってほしいと思ってる」 「じゃあ、どうして見えないの?」 「それは……」 「ずっとこのまま、ユーレイみたいにフワフワして。それって、みんなの目に見えてるときと変わらないね」  オレは言葉を失う。泉野が声を震わせた。 「もういいよ。どうしようもないの」 「そんな……」 「状況を受け入れれば、那須くんに面倒をかけずにすむし」 「面倒じゃないって!」  叫びに驚いて猫が逃げ出した。オレは彼女の両肩をつかんだ。 「さわれるし、声だって聞ける。だから諦めるなよ」  泉野がこちらを見上げる。その瞳が潤んだ。 「どうしてこうなったか、なんとなく理解できる。でも、ひとつだけ分からない。那須くんに見えること」  オレは言葉に詰まる。彼女に間近から見つめられて、喉のあたりで感情がグチャグチャに絡まる。 「お、オレに見えるのは――」  とっさに口走った。 「たまたま、じゃないかな」 「……そう」  彼女は力なく視線を落とした。 「那須くん()()()見えた、なんて、あるはずないね」  泉野の目からポロッと涙が落ちた。 「私、バカだなぁ」  次の瞬間、彼女がフッと消えた。つかんだ肩の感触もなくなり、オレの手は行き場を失った。 「泉野?」  辺りに彼女はいない。名前を呼びながら探し回ったけれど、見つからなかった。  それまで気付いていなかった。  オレにまで見えなくなったら、という可能性を。 * * *  翌日、休み時間のたびに隣のクラスへ行ったけれど、泉野を見つけることはできなかった。資料室の前に足を運んだが、誰もいない。  公園で泣かせてしまった。そのあと彼女が消えた。オレが違う行動を取っていたら、こんなことにならなかったのか?  職員室を訪ねると、隣のクラスの担任がいよいよ厳しい表情になる。 「父親に最終通告をして、警察に相談する」 「ちょ、ちょっと待ってください」  その判断は正しい。だがオレは食い下がった。 「心当たりがあるんです。せめて今日だけ猶予をください!」  返事を待たずに職員室を飛び出した。  こうして関わることは、彼女にとって迷惑かもしれない。でも、オレの中で泉野は存在している。いまの状況を受け入れることなんてできない。  学校を出たあと、布施を訪ねて猫を借り、彼女の家へ向かった。  酒屋に行くと、憔悴した父親がフラフラ働いていた。オレに気付いて詰め寄ってくる。 「すみれを見なかったか? あの子がいたから、がんばってこれたんだ。顔が見たい、声が聞きたい。戻ってきてくれ……」  涙を流してうずくまる。  彼女は、いました。でも、いまは見えません。なんて言えるはずがない。  泉野はどこに行ったのだろう。ほんとうに消えてしまったと思いたくない。  いてもいなくてもいい存在じゃない。オレにとってもお父さんにとっても必要だ。  天井を仰ぐ。  ああ、オレはバカだ。なんで伝えなかったんだろう。  彼女と会話できたのに。どうして、その状況が続くとうぬぼれたんだろう。  べつの言葉を口にしたかった。でも告げる勇気がなかった。愛想を尽かされても仕方ない。  ただお願いだ。お父さんとって誰も代わりになれない。それだけは届いてくれ。
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