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手は届かない
十月には秋のイメージがあるのに、まだまだ暑い日が続いている。
それでも確実に移ろっていく季節と共に、夏樹にも変化が起きている。
晴人のバーターで、メンズファッション雑誌の撮影に初めて参加出来た。
本当にささやかではあったが、スタッフに知ってもらえることが大切なのだと晴人も前田も言っていた。
そうでなくとも全力で挑むつもりだったが、より一層集中することが出来た。
順調とはなかなか言い難いが、一歩を着実に進めたと思っている。
ただひとつ問題があるとすれば、柊吾のことだ。
関係は良好だが、夏樹の心の中は大嵐が吹き荒れているのだ。
『気まずくなりたくない』と言ってくれた通り、柊吾は変わらず何かと気にかけてくれている。
それを喜ぶべきだと思うのに、柊吾の変わらない笑顔に確かに安心するのに――
自分とあんなことをしたところで意にも介さないのだと思うと、虚しさに叫び出したくなる。
気づいてしまった、冷蔵庫の前でそっと拭った涙の意味を。
あの日は名前をつけられずにいた感情が、恋だったということを。
知ってしまった柊吾の熱を、キスの味を忘れるなんて出来ない。
ただの同居人、世話係、憧れの人――その関係にはもう戻れない。
自分の気持ちを理解してからというもの、柊吾との出逢いは改めて煌めいた。
だが今は、寂しさや苦しさがそれを凌駕している。
憧れだけでいられた時のほうがよっぽど、まっすぐに好いていられた気がする。
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