檻の塔

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檻の塔

 石造りの城の北西、堅牢な城壁の角に高い塔が建っている。  てっぺんには白い毒花が咲き、近付く者の命を奪う。さらに周囲へ災厄をもたらす――という言い伝えがある。 「災いの花が現れたのは、神の御言葉(みことば)。摘み取ってはならない。悲劇を招きたくなければ、至高の存在を敬い、定めに従うべし」  司祭が、おののきながらそう語った。  青年将軍イグナーツは「くだらない迷信を」と一笑に付した。  彼は戦いに勝利し、この城一帯を傘下に収めたのである。支配していた貴族は早々と逃げ出し、生き残った騎士や戦士は降参、一般民も抵抗する気はないようだ。  これからの統治は、イグナーツの兄であるミロシュ王が行っていく。そちらは任せ、青年将軍はくだんの塔へやってきた。  従者の少年が、気味悪そうに外観を見上げる。イグナーツは軽い口調でからかった。 「ここで待っていても構わないぞ」 「おそばを離れては務めが果たせません。(あるじ)が行かれるのであれば、ついて参ります」  使命感に燃える答えに、青年将軍は肩をすくめた。  イグナーツは古びた錠前へ鍵を差し込んだ。頑丈な鉄扉から入ると、暗い塔内はかすかにカビの臭いがした。  カンテラの灯りを頼りに螺旋階段を上る。いまは昼過ぎだが、円柱形の建物は何年ぶんもの闇を蓄えているようだ。  長い階段がようやく尽きると、粗末な木戸が立ちふさがる。こちらの錠前は新しい。べつの鍵を使って、キキィッと耳障りに響く戸を開いた。  現れた小部屋はきちんと手入れがされてあり、窓に鉄柵がはめてあることを除けば、貴人の室だ。  壁際のベッドに若い女性が腰掛けていた。まぶしい金髪に白い肌、品を感じさせる整った顔立ちだ。さらに真っ白なドレスを身にまとっている。  貴族でありながら『白い毒花』と忌み嫌われ、この塔に幽閉された令嬢である。  彼女は侵略者である青年将軍をじっと見つめた。 「お待ち申し上げておりました」  そして、にっこり微笑んだ。 「貴方さまが、わたくしの命を終わらせてくださるのですね?」  まるで、待ちわびていたかのように。  イグナーツは塔の鉄扉を抜けて螺旋階段を上り、木戸を開いて部屋に入った。そして、数冊の書物と紺の毛糸玉をテーブルに置く。  そばの椅子で編み棒を動かしていた令嬢オフェリアは、初めて気が付いたように顔を上げた。 「注文より本が少ないようですが」 「ひとまず揃った物をな。残りは次回だ」 「読みたい順序がございますのに」  眉をしかめて毛糸玉を手にした。 「色合いが違いますわ」 「俺には同じに見えるが」 「貴方さまに頼んだのが間違いでした」  それをテーブルに戻し、編み物から棒を抜き取って糸をほどき始めた。  彼は尋ねた。 「なぜほどく」 「色が違うと、予定の物は出来あがりません。意匠を変えるしかないでしょう」 「つまり――」  イグナーツはふっと笑った。 「持ってきた物をきちんと使ってくれるわけだ」  不機嫌な表情をしていた彼女はぐっと言葉に詰まり、ごまかすように視線を逸らした。 「そうせざるをえないからです」 「前に持ってきた本もずいぶん読み進んだな」 「退屈しのぎにすぎませんわ」  オフェリアが冷ややかに突き放した。  イグナーツは椅子の背に手を置き、間近から相手を見下ろす。 「なぁ。何度も言うが、俺のもとに来ないか」  すると彼女は敵意に満ちた目を向けた。 「何度もお答えしますが、『まっぴらごめん』ですわ」 「好きなだけ本を選ぶことができるぞ。毛糸もお前の意に沿った物を」 「引き換えに、貴方さまのそばで虜囚になれと」  ばかばかしい、と言わんばかりにため息をつく。 「わたくしはこの部屋から出られません。放っておいてくだされば良いものを」 「本当に出られないと考えているのか。お前には足があって歩き回ることができる。『塔に閉じ込めておけばいい』など、ただの迷信だ。そんなくだらないものに一生を縛られて、腹立たしいのだろう?」  オフェリアの瞳に動揺が走り、彼女は顔を背けた。 「この部屋と、窓から見渡せる景色が、わたくしの世界です。旧体制を変えようとなさるのは勝者の自由ですけれど、貴方さまの提案に従うつもりはありません。度し難いとお思いなら、どうぞご随意に。明日をも知れぬ身です、惜しくなど」 「――本心か?」  彼女が視線を落として黙り込んだ。  イグナーツはやれやれと苦笑した。 「追いつめたいわけではない。言葉が過ぎたな。出直すとしよう」  そして前傾姿勢を起こし、室内を見渡した。 「今回たりなかったぶんは次で揃えよう。新たな注文を書き出しておいてくれ」 「……またいらっしゃるおつもりですか」 「もちろん。『淋しい』とすがってくれれば、喜んで寝泊りしてやるぞ」  軽い口調で言うと、オフェリアはたちまち顔を真っ赤にした。 「いい加減にして下さい。節操がないにもほどがあります」 「おや、嫌われてしまったか。今日は退散しよう」  彼女は顔をしかめたが、もうなにも言わなかった。  イグナーツは「ではな」と部屋を後にした。  塔から出て鉄扉の鍵を閉めると、待っていた少年が歩み寄る。 「……なにか問題でもございましたか」 「施錠する瞬間が忌々しい」  少年は気遣う口調で言った。 「仕方ありません。旧領主の令嬢を()()()()です」 「戦いに勝利したとて、俺は無力だ。か弱い娘ひとり、鎖から解き放ってやることも叶わない」 「『忌み日』は国内共通ゆえ……」  その日に生まれたがために、オフェリアは疎まれ、隔離されたのである。  イグナーツは自嘲の笑みを浮かべてから、表情を正した。 「鍛錬場へ行く」 「はっ」  城へ向かう途中、ふと塔を振り返った。はるか高みに窓がある。  彼女はそこから、どのような気持ちで周囲の景色を眺めるのだろう。
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