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海斗はふと目が覚めると、そこは消毒液の香りのする明るい部屋だった。
「大丈夫かな? 今は点滴しているけど、ここどこだかわかりますか?」
「い、わみね、せんせぃ?」
彼は、陸斗の主治医の岩峰医師だった。いったい自分はなぜここで寝ているのか、全く前後の記憶がなかった。
「そう、ここは陸斗君の入院している病院だよ。まだ呂律回らないね、海斗君はアルファに襲われてここに運ばれてきた」
「アルファ……に。おそ、われた?」
「西条さんという方が、君のうなじの噛み跡を見て、慌ててうちのバース科に連れてきたんだよ」
「うなじ? あっ!」
海斗は急に記憶がはっきりとしてきた。そうだった、司に助けられ、頭が酷く痛くて意識が途絶えた。司は海斗のうなじを見て、あの男に噛まれたと思ったのかもしれないと海斗は瞬時に悟った。
「あっ、これは」
「この噛み跡は、こないだの恋人……だよね?」
「は、い」
岩峰医師には何か全てを知られているかのような、逃げられない確信があるかのようだった。岩峰は、海斗の脈を測りながら話を続けた。
「君はベータだったと陸斗君から聞いていたんだけど、合っている? あっ、声出しづらかったら無理しないで」
そう言って、海斗に水を渡してくれた。それを飲んで落ち着くと、海斗は答えた。
「大丈夫です。僕はベータですよ」
「そうだよね、まだ頭痛ある? 吐き気は?」
「さっきよりは落ち着いたけど、まだ多少は」
「そうか。この点滴に痛み止めと吐き気止めが入っているけど、あまり効いてないみたいだね」
そうなのだ。気を失うほどの頭痛は消えても、まだ全然スッキリしないし、海斗の体は、正直だるくて仕方ない。
その時、バタバタと海斗の耳に大きな足音が聞こえると、病室のドアが勢いよく開いた。
「海斗‼」
「る、類!」
類が入ってくると、岩峰の前だと言うのに思いっきり強く抱きしめられた。海斗は涙が溢れて止まらなかった。
「類、類、ぼくっ」
「もう大丈夫だ、怖い思いさせてごめん、俺がついていてやれなくて、ごめん‼」
「ふっ、わぁ――ん! 類っ、ひっ、ひっ、僕、僕、怖かった、ああ――ん‼」
「海斗、もう大丈夫。もう大丈夫だからな」
ひとしきり海斗は涙を出し切った。爽に襲われている時は、類に何も知られずに死にたいとまで考えていたのだが、今は彼のぬくもりを感じて、そんな浅はかな自分にまた泣けてきた。それを見守っていた岩峰が言葉を発した。
「類君だったかな? そのまま海斗君に唾液をあげて、じゃなかった。濃厚なキスをしてあげて」
「はっ!?」
「あっ、ごめん。二人のラブシーンを見たいわけじゃなくて、海斗君は今、君のフェロモンが必要なんだ。治療の一環だからね、とにかく一度キスしたら、海斗君の病状を言うから、ほら早くっ」
「わかりました」
そして、医者の前だと言うのに、いつもみたいなキスをしてきた。でも海斗は今、類不足だったし、爽との感触を早く消したかったから、キスが欲しくてたまらなかった。
「ん、んんん」
「カイ、海斗っ、っふ」
「ふはっ、類っ、ちゅっ、んん」
唾液を交える濃厚なキスは多分、数分続いた。その間も海斗の涙は止まらず、類は涙も全て受け入れてくれた。そしてキスを終えると、待っていましたと言わんばかりに岩峰が言葉を発した。
「若いって凄いな、そこまで長くなくても良かったのに」
岩峰は愉快そうな声でそう言った。だけど海斗は恥ずかしさよりも、類が欲しかった。類を離すことなく、岩峰の言葉を聞いていた。
「海斗君、君が気を失っている間に、君の血液を調べたんだ」
「?」
「君はオメガだよ」
「「えっ‼」」
海斗も類も、大声を上げてしまった。
「ごめん、詳しくはオメガ要素の方がベータより強くなっている後天的なオメガってとこかな。まだオメガというには乏しいくらいの要素だけど、この先、類君といることで確実にオメガになる日が来ると思う」
「どういうことですか?」
類が岩峰に聞いた。
「まずは海斗君のうなじ、それ番の証拠。そんなにはっきり跡として残るのは番契約だけ。そして今の海斗君は、アルファに襲われた後の症状が出ている、つまり番のいるオメガ特有の症状だった。番契約をしたオメガは番以外の体液が体に入ると、拒絶反応を起こすんだ。多分だけど、キスされたのかな?」
「……はい」
それを聞いた類が辛い顔をしたが、岩峰はそんな類のことはお構いなしに話を続けた。
「あとお尻も見せてもらったけど、最後までされてないから安心して。ちなみに性交渉の場合もっと酷い症状出るからね。ただ唾液だと思うけどアルファの成分が検出されたから、消毒すると赤みが引いて、口内も消毒したら少し症状が改善された。だから番以外の体液に対するアレルギー反応だと思う」
「海斗、し……尻を舐められたのか!? 尻は何された?」
「そこに反応!? 海斗君、されたこと言える? 辛かったら無理に言わなくてもいいよ」
岩峰の言葉に、類が反応して、そして岩峰も類の言葉に反応していた。海斗は、すべてを類に知られるのは怖かった。もうビッチは卒業したが、なんとなく類には他の男とのことを知られたくなかった。
「海斗、言って。何があっても、たとえあいつに凌辱されていたとしても、俺の海斗を愛する気持ちは何も変わらない」
「類……」
「大丈夫だよ、海斗」
たしかに、愛を誓い合った類ならば、そう思って海斗はぼそっと話し出した。
「僕っ、無理やりキスされて、お尻に指入れられた。その時に指を唾液で濡らしていたけど僕の体は類以外を、拒絶して、ただただ痛くて、たいして入らないうちに司が助けに来てくれたの……ごめんなさい」
「海斗が謝ることじゃない、無事で良かった」
類が海斗を優しく抱きしめた。この温もりをまた感じられることができる喜びに、海斗は胸が熱くなった。類と触れるたびに先ほどまでの行為が浄化されていくかのような気分になった。
「なるほど。じゃあ、今度は類君に質問。君、海斗君相手にラット起こしたことある?」
「ありますが……定期的に何回か」
「そうか、その時、ノットは? ノットわかる? ペニスが外れないようにアルファ特有のフタができることね。それで普段入らない場所まで到達したことは?」
「……ありますが」
岩峰はいったい何を聞いているのだろうか。海斗はベータのくせにアルファにラットを起こさせて、さらにはあんなとこまで到達したことを悟られていた。さすがバース専門医、海斗が何回か潮吹きしたのもバレているのだろうか。
「多分、もともと海斗君はオメガ要素があったんだと思うけど、今まではベータ要素の方が強くて、初めてのバース検査はベータだったんだと思う。類君と結ばれて海斗君の体が類君へと開いた。そして類君の海斗君を想う気持ちが極限まできたんだろう。ビッチングと言ってね、これはあまり知られていないし、危険な行為だからそもそも推奨していないし、成功例はあまりに少ないんだ。強すぎるアルファの思いが、相手を番にするためにオメガに変えてしまう事例がある。今回はそれで海斗君がオメガへ変わろうとしている。きっと海斗君も本能で、彼の子供が欲しいとかそういう気持ちもあったんだと思うけど、これは誰もが起こることじゃないんだ」
「へっ?」
「このままベータでいたいなら、二人は別れるべきだ。この先、類君といたら君は確実にオメガになると思う」
――今なんて言った? 別れる……類と? そんなこと絶対に嫌だ!
海斗が泣きそうにしていたら、類が答えた。
「別れません。俺は海斗のバースなんて本来なんだっていいと思っています」
「即答! まあそうだろうね。でも決めるのは君じゃない。これから先オメガになって発情期を経験するのも、仕事に影響が出るのも、そして番のフェロモンによって乱されるのも、経験するのは全て海斗君だ」
類が悔しそうな顔をした。海斗はもう類にそんな顔をさせないと誓ったのに、また自分のことで類が苦悩する。海斗の答えなんて決まっているのに、きっと岩峰もわかっているはずだ。
「海斗、ごめん。確かに番がいてもオメガは発情期がある。俺が変わってやれることではない。だけど、それでも俺は海斗と離れるなんて嫌だ。海斗が辛くないように、海斗を一番に考えるし発情期も離さない。お願いだ、別れるなんて言わないで……」
「僕、そんなに信用ない?」
「え」
海斗にとって答えなんかそもそも一つしかない。それでも海斗にすがる類がたまらなく愛おしい。
「僕の方こそ、類がいない生活なんて考えられない。類がそうさせたんだよ? 責任とってよ、旦那様? 新婚だよ、別れ話するに早すぎるでしょ」
「海斗‼ ううん、早過ぎというか、今後そんな話をする日は来ない。愛している海斗」
「僕も愛している。じゃあ、別れ話はこの一回で終わりだよ? 絶対別れてあげないんだから」
「うん」
そんな二人の答えをわかっていたのか、岩峰は終始穏やかな表情で二人のことを見ていた。
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