Brood, Beaten, Bye-bye

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Brood, Beaten, Bye-bye

その後、私は目隠しをされ、糸目が運転する車に乗り込んだ。 「到着しましたよ」 糸目の声で目覚めた。また眠ってしまっていたらしい。 目隠しを外される。夕闇と、見慣れたロータリーが飛び込んできた。雨は、降った形跡さえない。 今日一番、信じられない。もう一度、この景色を見るとは思わなかった。 「ラクになれませんでしたね。残念ですか?」 「まあ、何も変わってないし……」 飴色の陽が照らすホームから、電車がちょうど出ていく。 明日からまた、会社か。 そう考えても、今朝みたいな衝動は吹き出さない。出勤しないためなら何でもする、みたいな。 「けどなんか、私ごときが飛び込もうとしてすみませんって感じです。パワハラもセクハラもモラハラも受けてないのに」 「十分、異常な顔つきですので謝る必要はありません。クリティカルな要因だけが、心を病ませるわけではないので。点滴穿石と言うでしょう」 悔しい。慰められた気になるのが。 いつの間にか痛みが和らいでいた腹を押さえ、奥歯を噛み締めた。今泣くのは癪すぎる。 はたと、思い出したように糸目が車内を覗く。「荷物をお返しします」と言われて、手ぶらだったと気づいた。 「勝手ながら、スマートフォンに、我々への直通番号を登録しました」 どうやってロックを解除したのか、なんて突っ込める相手じゃない。 黙って、新規登録欄を確認する。見慣れない番号が一件、登録名は「孵化研」。 ――ほっとしてしまった。絶対に言わないが。 あの施設では、これまでも、恐らくこれからも、命の選択が繰り返される。どちらの「かえる」に身を委ねる例が多いのだろう。 倫理観に照らして考えてはいけないが、救われた人はゼロではないはず。色々な意味で。 「もし、もう一つの『かえる』を選びたくなったらご連絡を。お迎えに上がりますよ。正直、あなたの選択が予想外でして」 「私も、なんで土壇場で死にたくないと思ったのか、わかりません」 「そんなものです。自分のことが全てわかっていたら、あんな顔でホームに立つまで追い詰められないでしょう」 気味の悪い微笑みを最後に、糸目は踵を返して運転席へ乗り込んだ。黒いバンはさっさと、ロータリーを出ていく。 呆気ない別れだ。そんなものか。 スマホ画面を見ると、17時半だった。 そういえば、朝から何も食べていない。たまには外食するか。 バッグにしまおうとした瞬間、チャットの受信音が鳴る。 直上の先輩からだ。画面には名前と、「体調どうだ」の一言だけ表示される。詳細を開く。 "廣原がダウンするってよっぽどだって、みんなで心配してる。部長が、明日も休んだら、ってさ。いずれにせよ、余裕ある時に連絡くれるか" ずいぶん寛容だ。私に辞められると困るからか。 有休、取ってしまおう。溜まりすぎて消えているから。 チャットの返信欄に、「具合がまだ悪いので、明日も休ませてください」と打ち込む。 送信ボタンを押す一秒前、それは届いた。追伸。 "代わりに出社したら、超絶激務でビビった。そういや辛がってたよな。こんな無茶ぶりに耐えないで、さっさと転職すりゃよかったのに(笑) まあ冗談はさておき、持ち回りでの出社を部長に提案しといた。早速、検討するってさ。お礼はコーヒー1杯でいいぞ。 なんでもしょい込んで、一人で仕事回してる気になってんなよー" 「一日休む」だけで、あっさり解決した。何もかもが。 朗報だと、喜ぶべきこと。それはわかる。他人事みたいに。 でも今の私にとって、これは、毒だ。これまでの我慢が報われたとは思えない。転職すればよかった、本当に。なぜか考えもつかなかったけど。 視界が歪む。 どうして。気遣ってもらえてよかったじゃないか。もう、一人で仕事を回している気にならなくていい。 夕闇を仰ぐ。白い月が、ひとつだけ孵らなかった"卵"を彷彿とさせた。あのおじさん、どこへ還っていったのだろう。 場所はどうでもいいのか、「ラク」になれるなら。 「やっぱり、かえるかぁ」
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