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2.
「今日もありがとうね、シノちゃん。さすがにスリリングだったけど、楽しかったよ」
行為が終わると、男はすっきりしたような顔で笑って手を振った。数枚の一万円札は事前に受け取り済みだ。場所はこちらが指定したにも関わらず、屋外でアブノーマルプレイを楽しめるということで希望したより余分に渡してくれた。
「……」
私は返事の代わりに、ぺこりと頭を下げた。私は普段、うまく声を出して話すことができなかった。それが何故か、セックスしている時はたどたどしいながらも言葉が出るのだから不思議なものだ。
「シノちゃんも気をつけて帰ってね」
常連の男だった。いつも金額も弾んでくれるし、私の嫌がることはしない。きちんと避妊もするし、プライベートをしつこく聞いてくることもない。行為が終わればこうしてお礼を言ってすぐに帰っていく。妻子がいるらしいけれど、それ以上のことは私も聞かなかった。密会するために交換したメッセージアプリの名前は「yoshi」と表記されていたが、その名前で彼を呼んだことはなかった。
叩かれたおしりと地面についていた膝がひりひりと痛み、私はゆっくりと立ち上がってその辺に脱ぎ捨ててあった下着をスカートの下に身につけた。
あの中年の男性はいい人だろうか。
私は帰路に着くさなか、男の小さくなっていく後ろ姿を思い出しながら自問した。
彼は女遊びに困らないほど金を稼ぎ、相手を思いやった抱き方ができ、リクエストとあればこんな薄汚い屋外の高架下でスパンキングにも興じてくれる。一方で、ありたいていに言えばこれは売春であり、買春。援助交際。マイルドに表現すればパパ活。奥さんや子どもに知られれば軽蔑されるだろう。
それでも私からすれば、優しい行為ひとつで金銭をくれるいい人に違いない。もう少し気持ちよく感じることができればもっと良いけれど、いつも前戯をしっかりしてくれるから痛くないだけで十分だ。
始める前は赤みを帯びていた空が、もうすっかり暗闇に飲み込まれる直前だった。閑散とした雰囲気に不安を覚えて踏み切りを渡り、駅前のロータリーに出ると、こちらは案の定人でごった返していた。ひと足早いイルミネーションがチカチカとカラフルに明滅していて、裏通りのもの寂しさとは対照的だった。
人肌恋しい季節だ。肩を寄せ合って微笑みを交わす男女もいれば、屋根のある場所で蹲って、できるだけ体力を温存しようとする浮浪者の姿もある。この世は何もかもが表と裏、光と影の対比だ。
スマートフォンがメッセージの着信を知らせる。立ち止まって確認すると、相手はお母さんだった。
《今月の振込は?》
内容はそれだけだった。
《ごめんなさい、明日します》
淡々と、こちらも無駄のない返信をする。今月は何か振込を急かされるようなイベントがあっただろうか? 逡巡して、そう言えば年の離れた弟の誕生日が今月であることを思い出して合点がいく。
いつもより多めに入れなくては。そのためにはもう少しバイトを増やそうか。そんなことを考えながらスマホをバッグにしまい、歩き出す。
「あれ、紫乃?」
ふいに高い声に呼び止められ、私は振り返った。そこに立っていたのは、大学で同じ経済学部に在籍している女子学生で、私の友人。
「やっぱり紫乃だ!」
園村英恵はデニムのパンツに秋物のセーターという一見してよくあるシンプルなファッションに身を包んでいた。しかしよく見ると、羽織られたカーディガンの柔らかで光沢のある質感は、私の身に付けているファストブランドのそれとは違うと一目で分かる。
それに持っているバッグも、足元のパンプスも、多くの学生が必死にバイトしても到底手の届かないハイブランドのものだと私は知っていた。一ヶ月に一回カットするという明るいショートヘアは英恵のトレードマークで、彼女をより華やかに見せるのに一役買っていた。
「偶然だね。私は今ゼミ帰り。紫乃は?」
《私はバイト帰り》
私はスマホを取り出し、英恵にそうメッセージを投げた。声が出ないので、会話が必要な時にはこうやってやり取りをしている。英恵も当然のようにスマホを取り出して私の返事を待つ。私の答えに、英恵は少し考えるような素振りで首を傾げた。
「あー……。バイトって、例のおじさんの?」
《うん。なんと、時給十万だったのですよ?》
安物のクラッチバッグをぽんと叩いておどけたように宣うと、英恵は呆れた顔で私にハグをした。
「あーもう……! このバカ紫乃っ。毎回事件に巻き込まれないかって、私これでも心配してるんだからね?」
《ありがと、ちゃんと分かってるよー》
自分より背の高い英恵に抱きつかれ、私はから足を踏みつつそれを受け止める。
「ね、このあと予定ある? ないなら夕飯、一緒にどう?」
お願い、と英恵は顔の前で手を合わせる。
「……」
「バイト」のあとは正直疲れていて一人になりたい気持ちが強い。それでも数少ない友人の可愛い仕草に、私はつい首を縦に振った。
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