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4.
『あ、ほら、あれよあれ。水森先輩』
その時彼は、グラウンドのコートでフットサルに興じていた。
『癒月そっち!』
『OK』
チームメイトの声に、的確な判断を下して目的地まで一気に走る。
彼の金色に近いふわふわしたくせっ毛が、動きに合わせて揺れている。目の前のゲームを真剣に攻略する鋭い眼差し。それでいて周りに気を配るような流し目が色気を醸している。背が高くて細いのにがっしりしていて、いかにもスポーツができそうな引き締まった身体。
彼は特定のサークルには所属していなかったが、フットサルサークルとバスケットボールサークルにはとくによく呼ばれているようだった。
格好良い。
ありたいていに言うと一目惚れだった。水森先輩見たさに、私もその二つのサークルの練習をよく観戦するようになった。
「意外だわ。紫乃が水森先輩、ねぇ」
《別に付き合いたいとかそんなんじゃないよ。あの人めちゃくちゃモテるだろうし、住む世界違う》
「いやぁ分かんないよ? あの人にむらがってるタイプの女子たちと紫乃、違うもん。案外即落ちかも」
《笑 まさか〜》
ただ、本当に一万円で何でも引き受けてくれるのだろうか、というのが私が彼に惹かれてやまない理由の一つ。もしそれが本当で、しかも秘密も守ってくれて、もし。
もし、私の望むコトをなんでもしてくれるんだとしたら。
彼は滅茶苦茶に、私を抱いてくれるのだろうか?
そう考えるだけで、私の中の好奇心が疼く。
「でもね、もし本当に水森先輩に興味があるとしても、やめておいた方がいいよ」
そう言って少し思案したあと、英恵は小さなバッグから一枚の名刺を取り出した。
《……なにこれ、なんて書いてあるの?》
深い赤色の地に店内のオレンジがかった照明を反射する金の細い文字。右端に同じ金のインクで薔薇のデザインが施されている。洒落た筆記体は雰囲気があるけれど、読めないのは名刺として致命的だ。
「ソット・ラ・ローザ。赤坂にある会員制のバーなんだけどね。私も一度、モデル仲間に連れられて行ったことがあって……。そこに彼、出入りしてるみたいなの」
水森先輩のルックスや華やかな交友関係を見るに、芸能人が出入りするようなバーに出入りしていることもなんら不思議ではない。
《それの何がダメなの?》
私は素直に疑問を投げかけた。英恵は柳眉を寄せて尖った顎に指をやり少し難しい顔になる。
「なんかさ、そこに来てた客の男がやたらと馴れ馴れしくてさ。私が嫌そうな顔してたらすぐ店員につまみ出されてたけど、なんていうか……店の風紀がものすごく悪い感じだったの」
不穏な空気を感じて、英恵は盛り上がる友人達を残してすぐに店を出てしまったそうだ。彼女はそう言った男女の「汚い部分」には過敏で、ある種の潔癖と言ってもいいほどだった。
「あそこはきっと、クスリとか売買してるような奴が出入りしてるんだと思う。そういうところの常連なんだよ、水森先輩は」
《へぇ〜笑》
彼は一見、にこにことしていて爽やかな好青年風だけれど、その実ミステリアスな雰囲気も纏っていて暗い噂が囁かれるのも頷ける。それに社交界というのは得てしてダーティなものだという気もするし、どんなに好感度の高いアイドルも、裏ではきっと色々凄いことをしているに違いない。
「とにかく、紫乃にはもっと愛して甘やかしてくれる存在が必要なの! あ、今度みんなで飲もうよ! モデルの男の子たち紹介するからさ〜」
《ええ〜どうしようかな〜》
私が返事をする前に、英恵はスマホを手に取りメンバーのピックアップを始めた。きっと英恵の人柄に相応しい、優しくて誠実な人間が集まるのだろう。そう思いながら、私はグラスの水にそっと口をつけた。
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