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4話
寒い日が続いているが、南方で梅が開花したと聞いて、僕は嫌な気持ちになった。けれど平気な顔をしてみせる。
「今日は休みだから川原に行こう。エサもきっと見つかるよ」
冬場はエサが少ないようだ。食べることができれば、ちよりは嬉しそうにする。
そもそも、鳥かごの中にいるのは不自然なのだ。時間があるときはできるだけ、外で過ごさせてやりたい。
鳥の彼女が、水辺をチョコチョコ歩く。僕は草むらに腰を下ろして、ふう、とため息をついた。
あとどれくらい一緒にいられるだろう。春は確実に歩み寄っている。
鳥かごに閉じ込めて、出られないようにすればいい。そんな暗い考えに囚われるも、自分にはできないと分かっていた。
そのとき、彼女が僕をどんな目で見る? 泣いて泣いて衰弱してしまったら? 僕は一生、自分を許せない。
群れに戻って、季節ごとに列島を渡っていくのが、彼女らしい生き方だ。この冬はイレギュラー。
そんなことは最初から分かっていた……はずなのに。
いまさら、心がついていかない。
足元へ視線を落とす。彼女に笑顔でいてほしいと願いながら、板挟みになった僕は心配をかけている。
でも、どうしようもないんだ……。
そのとき。
悲鳴のような鳥の声に、僕はハッと顔を上げた。川原に目を向けるが、ちよりの姿が見当たらない。立ち上がって叫ぶ。
「ちより、どこに行った!? ちより!」
駆け出すと、バシャバシャッと水音がした。いつの間にか現れた猫が川のほうを窺い、水中で鳥が羽ばたく。
ちよりが溺れたのでは、とギクリとする。
急いで猫を追い払った。そして川に手を伸ばす。それが届く前に、ちよりはニンゲンに変化して、泣きながらこちらの胸元に飛び込んだ。
「殺されるかと思ったよう……!」
「噛まれたり引っかかれたりしてない?」
「だ、だいじょうぶ。襲われる前に川に逃げたから。怖かった……」
「ごめん、僕がちゃんと見ていれば」
「油断してたわたしが悪いの。外だから、気をつけないとだめだったのに」
びしょ濡れのちよりが震えている。
怯えているのは天敵のせいだろうが、このままだと具合を悪くするかもしれない。気温はまだ低い。
「鳥に戻れる? 僕のダウンの下に入って。すぐ家に帰ろう」
「う、うん、そうだね。寒い……」
ふたたび鳥になった彼女を、呼吸できるよう服で包み、鳥かごを拾って自転車で走った。
帰宅するやいなやタオルをひっつかみ、部屋でちよりを丁寧に拭いた。暖房を高い温度で稼働させる。
僕自身は汗をかいたが、彼女の湿った翼や体をタオルで何度も撫でた。
ちよりはつぶらな目でこちらを見上げ、一度だけ澄んだ声で鳴いた。
「あったかくなったよ。怪我してないけど、お願いしていい?」
「なに?」
「ギュッてして」
両腕で包み込めばいいのかな、と考えていると、こちらの手から下りたちよりがニンゲンの姿になった。
僕は思わずためらったが、彼女がふわりと舞い降りるように、こちらの体に寄り添う。
「ぼ、僕、汗をかいて……」
ちよりはうなずいて、しがみついてきた。
「ヒロ、『もう怖くないよ』って言って……」
弱々しい声に、僕は彼女をしっかり抱きしめた。
「もう怖くないよ、ちより。ここは家の中で、僕がそばにいる。だから安心して」
「ヒロの体、あったかい。ヒロの言葉、やさしい。ずうっとこうしていられたらいいのに」
ちよりがこちらを見上げて、懸命に言った。
「ヒロも鳥になって。夏には涼しいところに、冬にはあったかいところに。一緒がいいよう」
「ちより……。叶うなら、僕もそうしたいけれど」
「わたし、ニンゲンの姿になれても、ほんとうのニンゲンじゃない……。せめて寒いのが平気だったら、そばにいられたのに」
僕の胸に顔を埋めて、体を震わせる。僕はふたたび彼女を抱きしめた。
「そばにいるよ、いま」
「ヒロ……」
しゃくり上げる相手の頭をゆっくり撫でる。ちよりは、小さくかぶりを振った。
「心が痛いのは、治しちゃやだ」
彼女の手が、こちらの背中に添えられる。それによって癒やされる気がした。
泣き疲れて眠ったちよりを、ベッドに運んで布団をかぶせた。
つぶった目の端に残る涙を拭うと、彼女の哀しそうな表情が和らぐ。
ニンゲンのそばにいることは、彼女にとってよくないことだ。また天敵に襲われたとき、群れに戻ったあとなら、ちよりは自力で生き延びなければならない。
僕が鳥だったら、身を挺してでも守ってみせるのに。
一日でも長くそばにいたい。でも、ちよりは早く群れに戻ったほうがいい。
春が来れば、また鳥たちが渡ってくる。そこに彼女を帰そう。
僕は迷いを振り払った。
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