3人が本棚に入れています
本棚に追加
1話
あの子がいなくなった。
教室の前の席に座っていた、小柄でショートカットの女子。教師も生徒も気付いていない。一緒のときを過ごしたのに。
彼女のことを覚えているのは僕だけだ。
失って初めて、かけがえのない時間だったと実感する。
もっと大切にできたんじゃないだろうか。僕は一介の高校生でしかないけれど、自分なりにやれることがあったのでは。
でも過去には戻れない。
いつものように授業を受けながら、ふと窓の向こうに広がる青空を眺めた。
もうすぐ、夏がやってくる――。
* * *
僕が彼女と出会ったのは、半年前の秋の夜だ。
テストの結果が思わしくなく、現実逃避をしようとコンビニで雑誌をあれこれ立ち読みした。十時になって、さすがに帰らないとマズイと店を出た。
途中で大きい公園を通っていく。街灯が辺りを照らすものの、誰もいないとすこし心細い。歩くペースを速めようとした、そのとき。
頭上の木がバサバサッと音を立て、目を向けると、女子が落ちてくるのが見えた。まさかの事態に、どう行動すればいいのか分からず、折り重なって地面に倒れた。
下敷きになった僕は肘と尻に痛みを感じたが、相手がビックリするぐらい軽くて、大した被害はなかった。
衝撃でズレたメガネを掛けなおし、ふたたび彼女を見て絶句する。その同い年ぐらいの女子の背中に、茶色がかった翼が生えていた。
共に上半身を起こしたあと、僕はすぐさま距離を取る。彼女は泣きそうな顔で右の翼を気にした。
僕はこわごわ声を絞り出す。
「き、君は何者? まさか物の怪とかそういうたぐいの……」
彼女はこちらを見て、力なく首を左右に振った。
「わたしは鳥。南に飛んでいく途中だったの」
「なんで人の姿してるの?」
「あなたが見えたから、こっちのほうがいいと思って」
「僕に話でも?」
相手はさらに表情を曇らせ、弱々しくつぶやいた。
「わたし、死んじゃうよう……。どうしたらいいの?」
「ええっ、いきなりそんなこと言われても」
「こんなところに落ちたら、弱っていっちゃう。怖いよう。帰りたい……」
彼女がしきりに不安がっているので、僕はすこし警戒心をといた。
「落ち着いて。状況が分からないから、説明してほしい。僕になにができるか不明だけど」
「うん。わたしの名前、ちより、っていうの。あなたは?」
「僕は浅見尋」
「ヒロ。よかった、やさしいニンゲンで」
僕は自分がやさしいかどうか首をひねりたい心境だったが、すくなくとも、彼女を置き去りにしてサッサと帰宅するニンゲンではなかった。
ケータイで家に連絡を入れ、もうすこし遅くなると告げる。
それから並んでベンチに座り、尋ねた。
「君は、病気にでもかかったの?」
「ううん。右の翼に怪我をしたの。嵐のとき電信柱に当たって。はじめは違和感があるぐらいだったけど、飛んでるうちに痛みが大きくなって、群れから脱落しちゃったの」
ためしに怪我の箇所を見たけれど、出血しているわけではないので、僕の目では判別できなかった。
聞きづらいが、確認する。
「みんなは待ってくれないの?」
「うん。わたしの怪我が治るのを待ったら、寒くなってもっと脱落しちゃうから」
「君たちは渡り鳥?」
ちよりは小さくうなずいた。僕は提案する。
「怪我を治して、群れを追いかけるっていうのは?」
「このあたりの冬は、わたしには寒すぎるの。その季節に、長い距離を一羽で飛んでいけるか分からない……」
おそらく、渡り鳥にとって相当に過酷な状況だろう。かといって、「じゃあ、どうしようもないね」と突き放すこともできない。
「あったかい場所にいたら弱らずにすむ?」
「たぶん……」
「それで冬をやり過ごして、春になったら群れを探すのは? ああでも、一羽で行動するのは危険か」
僕は眉をしかめたが、相手はパッと表情を明るくした。
「春には、みんな、このあたりを通る!」
「そうか、年に二回、行き来するのか」
「群れに帰れる!」
「希望が見えてよかったね」
「ありがとう。怖いのなくなった」
彼女がニッコリ笑ったので、僕もホッとした。次いで、ちよりはじっと見つめてきた。
「お願いがあるの。わたしの怪我を治してくれる?」
「動物病院に連れて行けばいいのかな」
「ううん、ヒロが翼に手を当てれば、ちょっとずつよくなるよ」
「えっ、僕にそんな力が?」
すると、彼女はキョトンとした。
「誰でも『癒やしの気』を持ってるよ。ニンゲンは忘れちゃったんだね。手を当てたり、抱きしめたりすることで、悪い部分を回復させて、相手を元気にするの」
僕は両手を広げてみる。実感はないけれど、力があるなら手助けしたい。ちよりが重ねて頼んできた。
「ヒロに治してほしい」
「分かった。君を元気にするよ」
彼女の治療ができて、あたたかくて、鳥が天敵に襲われない場所。ちよりを家に連れて帰ることにした。ニンゲンの姿だとマズイので、鳥に戻ってもらう。
彼女は手のひらサイズで、ずんぐりむっくりした姿だった。スズメに似ている。手に乗せようとして、僕はためらった。
「群れに帰るのに、ニンゲンの匂いがしたら、よくないんじゃないかな」
「匂いが移らないように気をつける」
それならば、と手を広げると、ちよりはチョコチョコ足を動かして乗り、座り込んだ。
僕はベンチから立ち上がって、彼女を不安定に揺らさないよう気をつけながら、帰り道を辿った。
最初のコメントを投稿しよう!