1話

1/1
前へ
/5ページ
次へ

1話

 あの子がいなくなった。  教室の前の席に座っていた、小柄でショートカットの女子。教師も生徒も気付いていない。一緒のときを過ごしたのに。  彼女のことを覚えているのは僕だけだ。  失って初めて、かけがえのない時間だったと実感する。  もっと大切にできたんじゃないだろうか。僕は一介の高校生でしかないけれど、自分なりにやれることがあったのでは。  でも過去には戻れない。  いつものように授業を受けながら、ふと窓の向こうに広がる青空を眺めた。  もうすぐ、夏がやってくる――。 * * *  僕が彼女と出会ったのは、半年前の秋の夜だ。  テストの結果が思わしくなく、現実逃避をしようとコンビニで雑誌をあれこれ立ち読みした。十時になって、さすがに帰らないとマズイと店を出た。  途中で大きい公園を通っていく。街灯が辺りを照らすものの、誰もいないとすこし心細い。歩くペースを速めようとした、そのとき。  頭上の木がバサバサッと音を立て、目を向けると、女子が落ちてくるのが見えた。まさかの事態に、どう行動すればいいのか分からず、折り重なって地面に倒れた。  下敷きになった僕は肘と尻に痛みを感じたが、相手がビックリするぐらい軽くて、大した被害はなかった。  衝撃でズレたメガネを掛けなおし、ふたたび彼女を見て絶句する。その同い年ぐらいの女子の背中に、茶色がかった翼が生えていた。  共に上半身を起こしたあと、僕はすぐさま距離を取る。彼女は泣きそうな顔で右の翼を気にした。  僕はこわごわ声を絞り出す。 「き、君は何者? まさか物の怪とかそういうたぐいの……」  彼女はこちらを見て、力なく首を左右に振った。 「わたしは鳥。南に飛んでいく途中だったの」 「なんで人の姿してるの?」 「あなたが見えたから、こっちのほうがいいと思って」 「僕に話でも?」  相手はさらに表情を曇らせ、弱々しくつぶやいた。 「わたし、死んじゃうよう……。どうしたらいいの?」 「ええっ、いきなりそんなこと言われても」 「こんなところに落ちたら、弱っていっちゃう。怖いよう。帰りたい……」  彼女がしきりに不安がっているので、僕はすこし警戒心をといた。 「落ち着いて。状況が分からないから、説明してほしい。僕になにができるか不明だけど」 「うん。わたしの名前、ちより、っていうの。あなたは?」 「僕は浅見(ひろ)」 「ヒロ。よかった、やさしいニンゲンで」  僕は自分がやさしいかどうか首をひねりたい心境だったが、すくなくとも、彼女を置き去りにしてサッサと帰宅するニンゲンではなかった。  ケータイで家に連絡を入れ、もうすこし遅くなると告げる。  それから並んでベンチに座り、尋ねた。 「君は、病気にでもかかったの?」 「ううん。右の翼に怪我をしたの。嵐のとき電信柱に当たって。はじめは違和感があるぐらいだったけど、飛んでるうちに痛みが大きくなって、群れから脱落しちゃったの」  ためしに怪我の箇所を見たけれど、出血しているわけではないので、僕の目では判別できなかった。  聞きづらいが、確認する。 「みんなは待ってくれないの?」 「うん。わたしの怪我が治るのを待ったら、寒くなってもっと脱落しちゃうから」 「君たちは渡り鳥?」  ちよりは小さくうなずいた。僕は提案する。 「怪我を治して、群れを追いかけるっていうのは?」 「このあたりの冬は、わたしには寒すぎるの。その季節に、長い距離を一羽で飛んでいけるか分からない……」  おそらく、渡り鳥にとって相当に過酷な状況だろう。かといって、「じゃあ、どうしようもないね」と突き放すこともできない。 「あったかい場所にいたら弱らずにすむ?」 「たぶん……」 「それで冬をやり過ごして、春になったら群れを探すのは? ああでも、一羽で行動するのは危険か」  僕は眉をしかめたが、相手はパッと表情を明るくした。 「春には、みんな、このあたりを通る!」 「そうか、年に二回、行き来するのか」 「群れに帰れる!」 「希望が見えてよかったね」 「ありがとう。怖いのなくなった」  彼女がニッコリ笑ったので、僕もホッとした。次いで、ちよりはじっと見つめてきた。 「お願いがあるの。わたしの怪我を治してくれる?」 「動物病院に連れて行けばいいのかな」 「ううん、ヒロが翼に手を当てれば、ちょっとずつよくなるよ」 「えっ、僕にそんな力が?」  すると、彼女はキョトンとした。 「誰でも『癒やしの気』を持ってるよ。ニンゲンは忘れちゃったんだね。手を当てたり、抱きしめたりすることで、悪い部分を回復させて、相手を元気にするの」  僕は両手を広げてみる。実感はないけれど、力があるなら手助けしたい。ちよりが重ねて頼んできた。 「ヒロに治してほしい」 「分かった。君を元気にするよ」  彼女の治療ができて、あたたかくて、鳥が天敵に襲われない場所。ちよりを家に連れて帰ることにした。ニンゲンの姿だとマズイので、鳥に戻ってもらう。  彼女は手のひらサイズで、ずんぐりむっくりした姿だった。スズメに似ている。手に乗せようとして、僕はためらった。 「群れに帰るのに、ニンゲンの匂いがしたら、よくないんじゃないかな」 「匂いが移らないように気をつける」  それならば、と手を広げると、ちよりはチョコチョコ足を動かして乗り、座り込んだ。  僕はベンチから立ち上がって、彼女を不安定に揺らさないよう気をつけながら、帰り道を辿った。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加