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トレーに紅茶を載せて立っていたのは、エマであった。現在は、エマ・デューラーと名乗っている。フランツの娘として、養子縁組をした。
「エマ、いつもありがとう。今日は、例の会合だったか」
「ええ。お父さんはもう、ゆっくり休まれては如何ですか? 自分の事だけ考えてください」
窓際に立ったエマが、紅茶のポットをテーブルに置く。
「私は、趣味のようなものだから良いんだよ。それより、君もそろそろ引退したらどうだい?」
現在、エマは60代も半ばである。すっかり白くなった髪に手をやり、窓から見える海岸線を見つめた。
「この辺りには中々、私のような独り身が住めるアパートがなくて」
ティーカップに注がれる紅茶の華やな香りが、部屋を包み込む。コポコポと静かに音を立てるポットを見ていた彼が、エマに視線を移した。
「そんな事を気にしていたのか、エマ。私が何故、この施設を選んだと思っているんだい?」
「分かりません。お父さんなら、自費で幾らでも介護を受けられたでしょうに」
ティーカップを受け取ったフランツは、立ち上る湯気に鼻腔を膨らませた。
「私は金の亡者だが、自分で使うことに興味がないんだ。この施設には、病院が併設されている。景色も良いし、何より戸建てなのが気に入ってね」
隣に腰掛けたエマは、ティーカップを手に取り『そんな事は知ってる』と肩をすくめた。
「君の部屋は、ここにあるって意味だよ。越しておいで、エマ」
ビックリした顔でフランツを見たエマは、涙で霞む目を窓の外に向けた。
「潮風に強い花を探してこなくちゃ。ずっと言いたかったんです。この庭は殺風景だって。それから……」
泣き出してしまったエマの頭を、フランツが撫でる。二人は紅茶を楽しみながら、子供達の20年に想いを馳せた。
窓の外を、鳥たちが羽ばたいてゆく。
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