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孵った気持ちは
「なんだこれ」
仇敵である高門の困惑したような声が耳に届き、俺は暗がりで「作戦は成功したようだ」とほくそ笑んだ。
制服のブレザーに包まれるように、俺の机の上で鎮座ましましているたまご。
それを見下ろし、疑問符を浮かべて立ち尽くす高門の背後に、すっと進み出る影がある。
「牧ちゃんだよ……」
「……牧?」
「高門が酷いことばっかり言うから、たまごになっちゃったんじゃないか……!」
親友の五代の、背後に稲妻でも見えそうな熱の入った名演を、二人から直線にして1.5メートルほど離れた、狭い掃除用具入れの中で見守る。
窮屈だし臭いし衛生的ともいえないが、奴、高門への逆襲のためならばどうということもない。
クラスメイトで、なんの因果か隣の席の高門とは、入学式で口論になって以来犬猿の仲だ。
高門は俺には何かと突っかかってくる嫌な奴のくせに、成績優秀なうえ、ちょっとばかり顔がいいので女子からの人気も高いらしい。
…みんなは、高門のひん曲がってよじれて途中で枯れてる腐った性根を知らないんだ。
先日もちょっと読めない漢字があった程度で、小学生の頃に習う字だ、もっとも自分は就学前に読めたなどと鼻で笑われた。
挙句の果てに言い放ったのが。
『赤ん坊からやり直したらどうだ?』
憤慨した俺は、発言の責任を取ってもらうことにした。
赤ちゃんは(当たり前だが)調達できなかったので、お弁当のゆで卵で代用…というわけである。
たまごになった…なんて、高門が本当に信じると思っているわけではない。
俺が本気で怒っていることが伝わればそれでいいのだ。
しばらく黙って考えていた高門は、感慨深げに呟いた。
「あいつ……卵生のイキモノだったのか」
違うそんなことを伝えたかったわけじゃない。
脳内でジタバタ暴れていると、高門はたまごを指差しながら、傍らの五代に聞く。
「これ、あっためれば孵ると思うか?」
五代はうーんと難しい顔で思案してから、真剣な表情で答えた。
「あるいは……」
五代ー!
何をもっともらしく頷いてるんだよマイフレンド!
そんなわけないだろどういう会話なんだと脳内でゴロンゴロン悶えていると、ふいに、高門がたまごに手を伸ばした。
「俺のせいだっていうのなら、俺が育て直すのも悪くないかな」
言いながら、するりと丸みを撫でた長い指が目に灼きついて。
やけに優しい声だったからか、なんだか恥ずかしくて顔が熱くなった。
一体どんな表情なのかとロッカーの戸の細い穴から目を凝らすと、
…何故かこちらを見ている奴と、ばっちり目が合う。
「牧、もうすぐチャイム鳴るから、そろそろ出てきた方がいいぞ」
掃除用具しまっとかないと怒られるだろ、と苦笑する声には、もう先程の甘さは一ミリグラムも残っていない。
全部わかって言ってたのかこの野郎。
これだから、俺はこいつのことが嫌いなんだ。
作戦は失敗?……いや違う、別に俺は奴に何かしてやろうとか思っていたわけじゃなく、そう、昼休みを、ちょっと狭い暗い場所で一人で過ごしたかっただけだ。
俺は堂々たる態度で掃除用具入れを出ると、ごく当たり前のような動作で掃除用具をしまい、口をむずむずさせている高門を無視して、食べ忘れていた弁当の残り、……机の上のゆで卵をおもむろに剥いて、先程わき上がった謎の感情ごと胃の中に納めたのだった。
終
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