おもいでたまご

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 そうだった。あの時妻は、笑ったのだ。デートの誘いひとつするのにテンパった幸助に、柔らかい微笑みを浮かべて了承してくれた。  私も今日、誘うつもりだったのと言って。  付き合ってもいない者とデートをするような人ではない。幸助は幼馴染と想いを通わすことが出来たのだと、有頂天になった。  デートが終わる頃、幼馴染は唐突にたまごの話をし出した。 『宇宙から落ちてきたんだって』 『なんとかって機械がトラブルで故障したらしいの』 『本当にいたのね、私おしゃべりしちゃった』 『安全なところに移動してくれたお礼にって、言われたの』 『記憶を預かるって、不思議よねぇ』 『ねえ、どうせ離れ離れになるなら、私は今日のことを仕舞っておきたい』 『大事な……大事な記憶だから』  デートした翌日、幼馴染は父親の転勤に伴い町を去った。嘘を吐いてごめんなさい、という言葉を残して。  既にたまごに記憶を取られていた幸助は、何のことか分からなかった。ただ、最後まで告白出来なかったことを悔い、どうか次に会えた時にはチャンスが欲しい、と思ったものだ。  そして十数年後に再会し、幸助は大人の女性になった幼馴染の手を取ることに成功した。 「そうか……お前はずっとわしのことが好きだったんだな」  知らず頬が緩む。片手で口を覆い、幸助は笑みを深めた。  幸助の時代は、電話をするにも一苦労で、遠距離恋愛は形にすらならないものだった。遠い距離はそのまま心の距離を表す。引っ越しが決まっていた彼女と幸助では、恋人になれるはずがない。  けれどそれでも、彼女は幸助とデートがしたいと思ってくれたのだ。 「可愛いなぁ、お前は」  無性に会いたくなって、寂しくなった。  もういないと分かっているから、泣きたくなる。  幸助は目尻を拭い、手元の編み物をぼんやりと見つめた。 「何が可愛いの?」  孫が幸助の視界にひょっこりと現れる。その手にはひんやりとした冷気をまとう棒アイスが、二本握られていた。  おじいちゃんいきなりフリーズしちゃったから、アイス取りに行ってたと話す孫に、目を細める。 「ん? わしの孫が可愛いって言ったんじゃよ」 「えー? 絶対そんなんじゃなかったでしょ」  拗ねたように唇を尖らせながら、孫は棒アイスを手渡してくる。  それに礼を言いながら受け取って袋を開け、冷たさに頭が痛くならないよう、まずは小さく噛んだ。  甘く冷たい欠片が、口の中で溶けて喉を通っていく。  心地よい冷房をつけているのでそこまで体は熱くなく、老体に優しくない冷たさにぶるりと震える。しかしそれこそが涼しい部屋で食べるアイスの醍醐味なのだと、孫に教えてもらった。  熱い太陽の下で食べるアイスとはまた違った美味しさがある。  そうやってしばしアイスを食べながら、ぽつぽつと孫にたまごへ触れた時の話をした。 「マジかぁ、不思議なたまごだったんだねぇ」  アイスと幸助の話に集中していた孫が、そう言いながら顔を上げる。 「……あれっ!? たまごは!?」  孫の視線を辿って、ローテーブルの上に目を向ける。  そこにあったはずの金色のたまごは姿を消していて、最初から何もなかったかのようになっている。  幸助は、役目を終えたから消えたのだなと思った。  金色のたまごの正体も役目なんかも何も分からないのに、不思議なことだ。 「え、おじいちゃんが逃がしちゃったの?」 「知らんよ。というか逃がすとは何じゃ」 「えー、あっせめて写真撮れば良かった。ママに見せたかったなぁ」  心底残念そうに呟く孫を見つめ、幸助は口を開く。 「明美よ。無くしたくない思い出があったら、どうする?」 「えぇ?」  孫は少し首を傾けて、それから答えた。初めから答えが決まっているかのように、淀みなく。 「大事に仕舞っときたいかな。鍵をかけてさ、誰にも触れないようなところに保管しときたい。ずーっと未来なら出来ると思うけど、まだ難しいだろうなぁ」 「……そうか」  妻と似ている、と思った。  幸助の胸に、穏やかであたたかい感情が広がっていく。妻の面影が、ここにある。 「結局黄金のたまごは何だったんだろうね」  孫が未練たらしくローテーブルを見つめる。万一たまごが割れないようにとクッション代わりに置かれていた真っ白なタオルだけが、物悲しくそこにある。  そういえば妻が『宇宙から落ちてきた』とか言っていたことはまだ伝えていなかった。  それを告げようとする前に、孫の方が一瞬早く口を開いた。 「天から降ってきたなら、流れ星か何かかなって思った」  幸助はぱちりと目を瞬かせた。  流れ星。そんなロマンティックな発想はなかった。記憶と思い出を探っても妻がそんなことを言った覚えがないので、彼女も流れ星だとは思いもしなかっただろう。  孫はわくわくとした様子でたまごがあった場所から目を離し、幸助を見上げた。 「おじいちゃんは、流れ星にお願いするとしたら何にする?」  私は新しい漫画が欲しいなあ、と言う孫は、もう黄金のたまごのことを忘れたかのようだ。飽きっぽい孫らしいと言えばらしいが、あまりの興味の移りように思わず苦笑する。  少し考えて、幸助は答える。 「そうだな……まずはこのマフラーを完成させるか」 「ええ? それは願い事じゃなくて決意じゃない?」  孫がクスクスと笑う。幸助がそれに反論する前に、玄関のチャイムが鳴った。次いで娘の声がしてきたから、帰ってきたのだろう。 「あっ! おかえりなさーい!」  孫は喜色満面でパタパタと玄関に駆けていった。それを見送ってから、幸助は手元の編み物へと目を向ける。未完成のマフラーは、妻が幸助に贈ってくれるはずのものだった。  もし、願いが叶うなら。  あの世というところがあるのなら。  このマフラーを巻いて妻と会い、そしてあの初デートのおもいでを語り合いたい。  幸助は微笑んだ。それは、妻がいなくなってから初めて浮かべる、穏やかで優しい、最愛のものに向ける笑みだった。 (完)
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