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おもいでたまご
幸助はずっと昔に似たようなことがあったなあと思い返していた。
「おじいちゃん、これどう見ても金色だよね」
孫の明美が興味津々といった様子で、ローテーブルに置いたたまごを覗き込む。幸助の手のひらにも収まらないくらいのたまごだが、孫が軽々と持っていた様子から、随分と軽そうに見えた。
つるりとした殻の表面に孫の顔を映し出しているのが、すぐそばのソファに座ったここからでも分かる。
大きいし、金色。どう見てもにわとりの子ではないことは明らかだ。
「何のたまごだろ」
「得体の知れないことは確かだ。さっさと元の場所に戻してこい」
「元の場所に戻したら、帰ってきたパパとママが踏んじゃうよ」
孫の返しに幸助はむっつりと黙る。
現在旅行中で今日一週間振りに帰ってくる娘夫婦たちの代わりに、幸助はこの孫の自宅に一時滞在している。
しかしだからと言って、孫のやり方に口を出せることはほとんどない。孫は現在中学生、ひとりで出来ることは多く、また自分で考えて行動出来るのだから。
たとえ孫の保護者代わりだとしても、甘やかしも厳しくもしない。
「……くれぐれも孵すなよ」
せいぜい言えることはこれぐらいだ。
「育てられるなら育てたいけど、私飽きっぽいからなあ」
自分のことをしっかり分かっている孫の返答に、幸助はとりあえず安堵して手元の編み物に目を落とす。
これは妻がやりかけていたものだ。完成までいかなかったものを、幸助が代わりに編んでいる。
「ま、この子が生き物かどうかも分からないけどねー」
つん、と孫がたまごをつついたのが、視界の端に映った。
その光景に幸助はデジャヴを感じて、目を細める。
「……純金かな」
「阿呆。それだったらお前が気付く前に拾われてるわ」
幸助はわくわくとした顔をする孫に、肩を竦めてため息を吐く。
大体、たまご型の純金など聞いたことがない。それが家の前にねずみ小僧よろしく置かれていただなんてうまい話も。
「だよねぇ、そんなに重くもないし。……じゃあ、これ何なんだろう」
会話が最初に戻った。
「だから、得体が知れないものだ」
「もう、夢がないなー。そこはこうさ、おじいちゃんの昔話が始まったり、地元の伝説を語ったりするもんじゃん」
「知らん」
そう言いつつ、幸助は記憶を探った。
さっきっから何かが引っかかる。あのたまごを見たことがある気がする。
ずっと昔に似たようなことがあった。けれど、思い出せそうであと一歩足りない。
今ではもう慣れた編み物を進める手が鈍くなり、知らず眉に皺が寄る。
「おじいちゃん?」
多分、ずっと昔、自分の勇気のなさを実感した時のことだ。あの頃に、何かいつもと違ったことが起きたような、そんな気がする。
幸助は目を瞑って記憶の引き出しをひっくり返す。けれど、まるで目当ての引き出しそのものが消えてしまったかのように、決定的な何かが見つからない。
確かあの頃は、幼馴染であった妻と一緒にいて、それから……どうしたんだったか。
「ねえおじいちゃん聞いてる!?」
はっとして目を開けた。頬を膨らませた孫が目の前にいて、目を瞬かせる。
「まったく、ボケるにはまだ早いよ?」
「……失礼なことを言うんじゃない」
言いながら、幸助は若干不安になる。孫の言う通り、老化による物忘れによって思い出せないのかもしれない。
「何度も呼びかけてたのに、無視するなんて酷いおじいちゃんだよねー」
たまごをつつきながら、孫が皮肉たっぷりに得体の知れないものへ語りかける。
こういう不貞腐れなところは妻そっくりだ、とため息を吐きたくなった幸助は、ふと頭の引っかかりがするりと解けた心地を覚える。
それが何かを考える前に、幸助の口が知らぬ間に開いた。
「記憶を運ぶたまご、だ」
幸助の口からそんな言葉がこぼれた。勝手に動いた自分の口を、幸助は抑える。
「えっ、おじいちゃん、マジで何か知ってるの?」
「いや……」
首を傾げると、孫は不思議そうに首を傾げながらたまごに目を戻した。
一体、今のは何だったのか。
もしや、本当の本当にボケたのか。しかし幸助はまだ頑張れる年齢だ。耄碌の可能性を否定したくて、幸助はどうして妙なことを言ってしまったのかを考える。
「え、マジでどうしたの? おじいちゃん」
「待て。今考えているから」
真剣に脳を動かしていると、やっと引っ張り出せた古い記憶。
「わしはこいつを見たことがある」
そう告げると、孫が驚いた声を上げた。
「うっそ!?」
「間違いない……わしと妻……おばあちゃんが、幼馴染であることは知っとるな?」
「う、うん。毎日のように惚気話聞いてたからね」
孫が視線を彷徨わせながら肯定する。
ここしばらく妻の話をすることは避けてきたので、いきなり始まったこの話に戸惑っているのだろう。
しかし今は記憶を追うことを優先して、孫の戸惑いに目を逸らす。
あれは、学ランにさえ袖を通したことがないくらい子供だった時の、ある年の夏だった。
「何をしていたかは忘れたが、妻と一緒にいた時だな。空からこの金色のたまごが落ちてきて、驚いたものだ」
幸助の記憶は段々鮮明になっていく。
「随分高いところから落ちて来たはずなのに、傷ひとつないそれに興味を持ってなあ。その場では何も分からんかったから、持ち帰ることになったが……」
当時目も当てられないくらいガサツなところがあった幸助には預けられないと、その頃からしっかり者であった幼馴染が苦言を呈したのだ。そしてそれに幸助も頷いたので、特にもめることもなく幼馴染の家でそのたまごを保管することになった。
幼心に、この大きくて黄金に光るたまごへの興味は、天元突破していた。たまごの中には何が眠っているのか、どんな秘密があるのか、どうして空から降ってきたのか。
毎日のようにそわそわしては、幼馴染の周りをうろちょろして何か分かったか聞いたものだ。家から持ってきて見せてくれ、と言っても幼馴染がまだ駄目なのと首を振るだけなことに、疑問を感じていた。
しかしそれから数週間もしないうちに苦い出来事が起きたので、有耶無耶になったまま幸助自身このたまごのことをすっかり忘れていた。
「だから、あいつが調べてみると言って、それきりだったな」
このたまごにまつわる話は、それだけだ。
何故あの時のたまごがここにあるのかも、結局何だったのかも、そしてこのたまごが本当にあのたまごと同一であるのかも、分からない。
唯一それを知っているであろうあいつは、もう死んでしまっているのだから。
「ねえおじいちゃん。もっとよく見てみてよ。他にも何か分かるかも」
「何かって……これ以上思い出せん。きっとあいつが持ち帰って二度と日の目を見ることがなかったのじゃろう。何故今頃、この家の前に現れたかは知らんがな」
幸助はそっけなく答える。知らないことは事実だし、もう知ることが出来ないのだと心に穴が開いたような気分に襲われたからだ。
代わりに孫への疑問を口に出す。
「大体何故そんなに知りたがるんじゃ」
「え、暇だから」
孫は真顔で答える。幸助は何も言えず、沈黙を返した。
「もー、せめておじいちゃんが言ってるたまごとこのたまごが、同一たまご物かどうかだけでも知りたいの。今のところそれ以外情報がないんだし」
「同一たまご物とは何じゃ……」
おそらく同一人物のたまご版を言っているのだろうが、造語が過ぎて呆れのため息が出る。
気が進まない幸助は、ため息を吐いた格好のまま、たまごが視界に入らないよう目を背けた。孫がねえねえと話しかけてくるが、聞こえないフリをして相手が諦めるのを待つ。
いつもなら幸助も孫の小さな頼み事くらい聞いてやるのだが、今回は出来れば聞きたくない。
何となく、何も思い出せなかったら嫌だと思ったのだ。
妻との思い出は、もう増えない。忘れていた記憶を思い出せただけでも嬉しいのに、これ以上を期待して何も出てこなかったら、せっかくの嬉しい気持ちが薄れてしまう。
渋る幸助を、孫がしつこく言いくるめようとしてくる。全然諦めようとしない。
結局、折れたのは幸助だった。
「軽く見てみるだけじゃぞ」
「やったぁ! さすがおじいちゃんっ!」
いそいそと孫がたまごを近づけてくる。
何故こんなに食い下がってくるのかと考えて、そういえば暇だからとか言ってたな、それならば仕方がないと無理やり自分を納得させる。暇が最大の退屈であることは、娯楽の少なかった幸助の子供時代を思い返せば共感出来るものだった。
ふぅ、と息を吐いて手を伸ばす。
幸助は孫に促されるがまま、たまごに触れた。
その途端、記憶が溢れ出す。
触れた指先から脳天まで、熱く鋭く柔らかな何かが走っていく。思い出していく。
「あぁ……」
どうして忘れていたのだろうか。大事な大事な、記憶だ。無くしたくないおもいでだった。
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