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あの時
きっとあの時のことなんだろう。
そう思いながらも、あの時を思い出したくなくて黙っていると、
「あの時あいつは、俺とお前の間を行っただろう?」
…思い出させるな
「…見ていない。」
「そうか」
いつも思い出話になんか乗らないくせに、なんだってんだ
「あいつが何をしてたのかは知らんが、振り返って歩き出した時、あいつは下を向いて歩いて来た。」
お前こんなに長く話せたのかよ!
「俺は、俺達の前で止まり、相談なり提案なりするものだと思っていた。」
ああ、俺もだよ!!
「ところがあいつは…」
「そのまま歩いて行きやがった!相談も何もせず!わけのわからない力で身動きの取れない俺達に何か一言かけるでもなくだ!皆あいつの名前を呼んでた!皆必死に動こうとしてた!なのにあいつは勝手に自分で決めて勝手に行ったんだ!」
強制的に閉めてた箱の蓋を開けられ、俺は一気に捲し立てた。
気づくと息が乱れていた。
くそっ
俺が息を整えていると、
「俺は見たんだ。あいつの顔を。」
と、話を続けようとしていた。
聞きたくない
何もわからないからこそ乗り越えられたものもあるだろう。
全てがあやふやで、あいつが消えたかどうかすら不透明で、だからこそ少しずつでも前に進めているのかもしれない。
けれど…
もしもあいつが俺達に見せたことのない顔をしていたとしたら…
もしも明らかなあいつの痕跡がいくつも見付かってしまったら……
他の誰かなら、あるいは俺の様子を見て話をやめたのかもしれない。
だが、この男にそんな奇跡的な配慮など存在しないことを俺は知っている。
はぁ。小さなため息と共に、
「…泣いて…いたのか?…」
と聞いてみる。
すると、ちらりと俺を見た後、
「ふっ…まさか。」
そう言って、珍しくも懐かしい不敵な笑みを浮かべた。
そしてまた前を向き、
「あいつはな、笑っていたんだ。」
そう、答えた。
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