ぼくと、ほしぞら

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 戦争が終わった。  あとにねん、終わるのがはやかったら、とうちゃんは、しぬことはなかったかもしれん。卵を溶きながら、裕史はいつも思うのであった。あのとき、卵も薬も、大阪中駆けずり回って探してもどっこもなかった。今日はねえちゃんの給料日。すきやきや。ねえちゃんは目の前でものすごい回転で卵を溶いている。ゆっくりそんな後悔についてかぞくではなしあったことは一度もなく、卵をみるたびに、とうちゃんのことを想って、とうちゃんが生きていれば、もっと、御本を読んで、もっとゆっくりして、もっと、もっと、かあちゃんも、やわらかく笑ったりできたのに。ねえちゃんも、こんなぎすぎすした、骨と皮ばっかりで目がぎょろっとしたおんなにならへんかったやろに。  それは、裕史のこころのなかだけでおもっていることで、目の前のかあちゃんにも、ねえちゃんにもひとこともいうことはなかった。ねえちゃんは、ものすごくはやく箸を動かし、始終はなしをしている。  わかっとるやろな、あんた。あんたは勉強をしておとうさんの遺言どおりに大学いかなあかんねんで。わかっとる。裕史は静かに答える。いや、ちっともわかっとらん。あんた、最近、文芸部の部長になって、石の声、っていう同人雑誌にどっぷりらしいやないの。ねえちゃん、なんで知っとるん。おかあちゃんが今日、学校に呼び出しくらったんや。かあちゃんの顔をみる。かあちゃんはうつむいて、知らん顔をみたいな顔をして、哲学書を読んだら、読むほど、思考が深いところにはいりこんでしまって、一向に勉学に身がはいっとらん。一年生のときは、東大もねらえたのに、今や成績は、地の底をはってる。こんなことやったらどっこもいく大学ないということです、ハイ、という。わかったか、裕史。ねえちゃんはなあ、大学行きたいという気持ちを抑えて、高校出て、銀行で働いとるんや。働いとっても、いっこも楽しない。金は目の前を動くけど、それを金と想ったら負けや。紙切れや、と想って淡々と働かなあかんねんでぇ。高卒で働いたら思想はもたれんのや。そやから、あんた、文芸部の部長の座は後輩のたなかさんに譲って、勉強しいや。ねえちゃんは、いつも命令調で、あって、自分の弱みをみせない。ねえちゃんは強気や。  ねえちゃん、ぼくのことはかまわんといて。  なにゆうとるねん。文藝にのめりこむのはやめえっていうのが、先生のおことばや。そのおことばをねえちゃんは伝えとるんや。  いやや。  なんでいやなん。遊ぶ金なんかないんやで。  ちっとも遊んでなんかおらへん。  遊んでるやないの。  ちっとも遊んでなんかおらん。  まあまあふたりとも、肉食べよし。  かあちゃんは、そういいつつ、自分が一番大きくてやわらかい肉を真っ先に食べてにこにこし、ねえちゃんもそれをみて、にこにこしている。
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