わたしはしがない悪役令嬢(バツ2)ですが、何の因果か、皇帝陛下(ジジイ)に見初められてしまいました

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わたしはしがない悪役令嬢(バツ2)ですが、何の因果か、皇帝陛下(ジジイ)に見初められてしまいました

*****  皇帝陛下はそれなりにお年だ。その年まで皇帝陛下は結婚しなかった。いやいやいや、結婚しなかったのはなんで? そんなふうに思うのだけれど、理由は数多、たとえば迎え入れようとした女性が理想と違ったからとか、この女とはずっとはやってはいけないとか、いろいろあったのだとは思う。相手の女性から断られたケースもあるのかもしれない。もしそうなら異常事態ではあるものの、わたしは皇帝を責めるつもりはない。皇族の結婚。一大……えっと、事業だ。無理だと思ったならやめたらいいし、やめないと苦労をすることになると思う。みながみな幸せでありたいなら、みながみな現実を直視するべきだ。真理だろう。 *****  わたしは侯爵家のニンゲンだ。上にはいくらでも偉い連中がいるけれど、わたしは毅然さを失わない。上っ面だけの貴族の位なんてくそったれだと思っている。情けない奴が偉そうに威張り振る舞うのだから当然だ。わたしは自身が貴族であれど貴族が嫌いだ。たとえば街で肉や魚や野菜を売っている若者のほうがずっと偉く尊いと考える。  皇帝陛下から召喚命令が寄越された。  これで何度目か。わたしはため息をついた。べつにいいのだ、セックスの相手がご老体の皇帝陛下だって。ただなぁ、あいつはほんとうに冴えないからなぁ、どうしようかなぁ……。 *****  玉座の上の皇帝陛下の前、赤絨毯、階段の下においてわたしは深々と(こうべ)を垂れてみせた。 「ご機嫌麗しゅうございます、皇帝陛下」 「堅苦しい礼儀はいい。とにかく抱かせてくれ」 「……は?」 「だだっ、抱かせてくれと言ったんだ」  わたしはすっくと立ち上がり、腰にそれぞれ両手をやり、「馬鹿か」と聞こえるように言った。 「ばば、馬鹿だとぅ?!」 「ええ、陛下は馬鹿ですよ。六十にもなって阿呆な若造のようなことをおっしゃるのですから。馬鹿は平伏しろ。皇帝陛下が相手でなければ、わたしはその一言でやっつけていることでしょう」 「ぐっ、ぐぬぬぬぬっ、無礼だぞ、ニーナ、ニーナ嬢!」 「そうお思いならとっとと殺してください。ニーナめは鮮やかに命の花を散らせましょう」  泣きそうな顔をした、御年六十歳の皇帝陛下。 「わかった。ニーナ、私が悪かった。どうか優しくしてくれないか……?」 「はいはい、六十のおっちゃん」 「おおぉっ、おっちゃんだとぅ?!」 「だっておっちゃんでありませんか。あるいはおじいちゃんではありませんか」 「ぐぐっ、それはそうだが」 「言っておきます、皇帝陛下。わたしはあなたに娶られることについて否定的ではないんですよ」 「へっ、そうなのか?」 「そう言いました」 「だ、だったら仲良くしようではないか」  仲良くしよう。  なんとまあ、子どもっぽいセリフを吐く皇帝陛下か、死ねばいいのに。 「しかし、ご存じですか、皇帝陛下。わたしはバツ2なんですよ?」 「バツ2。二度、離婚しているということだな。安心しろ。私はそんなことは気にしない」 「その上から目線がめちゃくちゃ気に障ります」 「そそっ、そんなっ。どうか嫌わないでおくれ、ニーナ!」 「だいじょうぶです、皇帝陛下。わたしは意地悪を言う少々不出来な令嬢だというだけですから」 「あえて(あく)を演じる理由はないと思うのだが……」 「いいえ。わたしはこの先の人生においても悪を貫いてやります。自分に正直でありたいですから」 「ま、まあ、そうしたいのであれば多くは言わんが……」  なんだか腹が立ってきた。言葉の端々に気に入らないくらいの弱気さが窺えるからだ。そりゃ皇帝陛下を前にしても「婚約や結婚はお断りだ」という女性も現れることだろう。ファーストレディと呼べる地位なのにそれを断るとは。それだけ当人に問題があることの証左である。 「皇帝陛下」 「な、なんだ、ニーナ」 「ほら、そのへんですよ。いちいちどもるのがカッコ悪いです」 「だ、だが、私は気の小さなニンゲンで――」 「それは知っています。なんとかしてくださいという話です」 「わわ、わかった。善処しよう」  わたしは深くうなずいた。すると皇帝陛下は女子(おなご)のように、ぽっと頬を赤らめて――。 「一目惚れなんだ、ニーナ。どうかわかってくれないか?」 「わたしはもう大年増なんですが?」 「いいんだ、年齢なんて。ニーナ、そなたはとても美しい」  ぎこちない笑顔を浮かべながらこちらのことを褒めてくれる皇帝陛下は、きっと悪い男ではないのだろう。しかし、わたしは打算的だ。 「だったらこちらの言い分を受け容れてください」 「というと?」 「ウチの家を公爵家にしてください。嫌ですか、ダメですか? 不可能ですか、無理ですか?」 「いいい、いや、ニーナ、それはわたしの一存では決められないことであってだな――」 「知ってます。言ってみただけです」 「ニーナ、あまりからかわないでおくれ」 「うるさいです。黙ってください」 「おぉ、ニーナ……」  皇帝陛下は俯き、両手で顔を覆ってしくしく泣き出してしまったのである。 *****  いい奴だとか言われるのが嫌だから、わたしはつっけんどんな令嬢をやっている。だって、気持ち悪いではないか。「イイヒトだ」と表現されるニンゲンの多くは偽善者なのだと思う。わたしは二度の離婚を経て、その旨、思い知った。二人ともセックスがへたくそだった。一人はわたしに暴力まで振るった。どちらの男も貴族の家にあり、うちよりも位が上だったからわたしはできるだけ我慢した。でもどうしても嫌になったから先方の家にも自らの家にも説明して、不自由な結婚生活から解放してもらった。そんなわたしはあまりよくできた女ではないのかもしれない。この国では、否、この世界では、夫に尽くすことが至極美しいとされているのだから。  ――自宅。寝間着のまま、あくびをしながら階段を下りた。「おはよー」と間延びした声を発したものの誰からも返事がない。いつも「おはようございます!」と元気良く返してくれる給仕長の女性は玄関にいるようで客の対応をしているようで――客には見覚えがある。皇帝陛下の側仕えの青年だ。高貴な着衣、態度、振る舞いからだろう、給仕長はひどく恐縮しているように見える。怯えることはない。むしろ偉そうな格好で出向いてくる青年に問題がある。そう思い、すぐに給仕長に近づき、「いいわ。わたしがお相手して差し上げますから」と優雅に言い、青年と向き合った。 「用事はなんですか? 朝っぱらからなんですか?」 「陛下がお会いになりたいと言っている」 「二時間後くらいでいいですか?」 「いや。すぐに来てくれ」  わたしは嘆息した。 「皇族は確かに偉いのかもしれません。ですけど、わたしは彼らのそういった横柄なところが大嫌いです。興味もありません」 「……わかった。二時間後でいい。とにかく来てくれ」 「遅刻するかもしれませんけれど?」 「許容する。ただ、ニーナ嬢、言っておくぞ」 「なんですか?」 「あまり調子に乗るな」  側仕えの青年は気持ち良く身を翻し、立ち去った。  あまり調子に乗るな?  どの口が言うのか。  ただあの青年は美しかったな。  惚れてやってもいいくらいだ。 *****  わたしは今日も家の者らに窓の桟の埃がとか廊下の隅に汚れがなどと嫌味を言ってから外に出た。わたしはとことんまで嫌な奴でいようとしているのに、給仕のニンゲンらは「はいはい」と簡単に受け流しているように見えなくもない。わたしは軽んじられているのだろうか。そんなこと、じつはどうでもよかったりするのだけれど。  皇帝陛下の城に向かった。約束を守るなんてわたしは偉いではないか。わたしは単に嫌なニンゲンでしかないのだなと思う。今日はしょうもない普段着で訪ねてやろうかとも思ったのだけれど、きちんと正装に着替えてやった。わたしだってそこまで礼儀知らずではないのだ――きっと。  皇帝陛下の私室に招かれた。わたしは襲われてしまうのだろうか。ベッドの上に押し倒されてしまうのだろうか。否、断じて否、皇帝陛下がもしそんな行動に出るのであれば、わたしはぶん殴ってでも逃れることだろう。まだなんの契りもかわしていないのだ。三十路間近のわたしにだって意地というものがある。  しかし、皇帝陛下はただ二人きりで話をしたかっただけであるようだ。  テーブルを挟んで、椅子に座って向き合った。 「おぉ、ニーナ、今日も会ってくれてありがとう」 「うぜー、六十のジジイがなにを」 「えっ、えっ?!」 「いえ、なんでもありませんわ、おほほほほ」  ならよかった。  そう言って、皇帝陛下は笑った。 「ニーナ、私の話を聞いてもらってもいいかい?」 「ええ、かまいません。わたしにだって耳は付いていますから」 「ぐっ、なんだかきつい言い方に聞こえるぞ?」 「お気になさらず。さあ、お話しくださいませ」  皇帝陛下はティーカップを手にし、紅茶を一口飲んだ。いい紅茶だ。香りでわかる。 「婚約破棄された過去はある。ただ、こちらから断ったこともあるんだよ」 「それはそうでしょうね。結婚というのは人生における一大行事です。誰も失敗したくはないでしょう」 「やはりきみは最高だ、ニーナ。私の気持ちをわかってくれるのだね」 「いえ。まるっきり一般論です。誤解なさらないでくださいませ」 「ぐっ、ぐぬぬっ。さすがだ、ニーナ。その率直さ、美しくもある」  わたしは「さっさと本題に移っていただけますか?」と正直に言った。すると皇帝陛下は、ほんとうにもう六十であるにもかかわらず、顔を真っ赤にした。 「ニーナ、本気なんだ、私の子を生んでくれないか?」 「生んで差し上げたらなにかいいこと、ありますか?」 「えぇ、えぇぇーっ」 「皇帝陛下という地位があれば寄ってくる女性はいくらでもいるでしょう? その点に紛れはないはずです。多くの女は地位と金が大好きですから」 「それは、そうかもしれないが……」 「どうしてもわたしが欲しいと?」 「欲しい。欲しいぞ」  欲しいという言葉はなんだか卑猥だなと思ったのだが、まあそれは良いとして――。 「条件があります」 「じょ、条件?」 「西部で戦が起きているでしょう? 小競り合いを越えた戦争です」 「それがどうかしたか?」 「わたしの親類が西にいて、いまも戦場に駆り出されています。どうにかしていただけないでしょうか」 「だ、だから、そういうことは私の一存では――」 「ですけど、西部の件は旧来からの懸案事項であるはずです」 「そのとおりではあるが……」  わたしはにこっと笑って席を立った。 「わたしのことがほんとうに好きであるならば、陛下の権力のすべてを使って、成果を見せてくださいませ。うまくいった暁には、わたしは喜んで陛下に抱かれましょう」  皇帝陛下は右手を顎にやり、難しい顔をしてから、「わかった」と述べた。だから、皇帝陛下のわたしへの想いの強さを知るに至った。無愛想、あるいは無機質なニンゲン。わたしはそうあろうとしているのに、わたしを愛する男はいる、目の前に。 「だが、ニーナ、覚えていてほしい」 「なにを、で、ございますか?」 「私にはなにもできないと思う。なにかできてはいけないのだと思う」  その考えは正しいよ、皇帝陛下。  わたしは無理を吹っかけたにすぎないんだ。  そう、思いを巡らすきっかけを、持ってほしかったにすぎない。 *****  西部の件は良い方に転んだらしい。戦争が終結し、先方の国とのあいだに不可侵の条約が結ばれたようだ。それは国の将軍、政治家、ほかにも例えば戦場で奔走した兵らの努力と尽力があっての賜物だろう。皇帝陛下の功績なんて「公には」なにもないはずだ。  この頃になると、わたしは自ら決まった時刻に城に赴くようになっていた。べつに皇帝のジジイを見たかったわけではない。ただ、なんでだろう、どうしてだろう――わたしはやけに寛容になってしまったのだろうか。  赤絨毯。階段を上がったところにある玉座には例によって皇帝陛下が座っている。階段の下において、わたしは今日も深々と(こうべ)を垂れた。顔を上げると、皇帝陛下はにこりと、ジジイにふさわしい柔和な笑みを浮かべてみせた。 「将軍と首相からそれぞれ報告を受けた。すべてうまく回ったようだ」  皇帝陛下は子どもみたいにはしゃぐようにして、顔をほころばせた。 「陛下、わたしの兄も、ようやく愛する家に戻ることができたようです。好戦的なニンゲンというわけではありません。ただ、生真面目なニンゲンではあります。国のために、戦いたかったのでしょう」 「愛する家というのは、奥方が待つ……?」 「はい。兄の奥方様は喜びのあまり泣きじゃくったそうです。それはとてもいい報せでした」  皇帝陛下は顔を俯けた。 「そうか……。罪深いな、私は」 「陛下が罪深いわけではありません。傲慢なこの帝国が罪深いのです。だから抵抗が生じ、死者が生まれる。陛下、申し上げますが、あなたの国家がそうなのですよ? 戦争なんてないほうがいいに決まっています。ですよね?」 「それはそうだ」皇帝陛下は苦笑を浮かべた――ように見えた。「私の無力が悪を生むことは少なくない。ニーナ、私にだって、それくらいはわかっているんだよ」  皇帝陛下の言葉にも態度にも嘘は見えず、だからわたしは一つ頷いてみせた。 「これからも兵を出すおつもりですか?」 「必要に応じて、みながそう決めることだろう」  わたしは、ふっと笑った。 「窮屈なお立場だと思います。皇帝陛下。それくらい、わたしにもわかるのです。立派ですわ、あなたは」  皇帝陛下はこの上なく優しい顔を見せてくれた。 「ニーナよ、気遣い、痛み入る」  わたしは片膝をつき、頭を下げた。 「皇帝陛下、わたしがあなたの子を生みましょう。できればわたしは女子(おなご)が欲しゅうございます」 「そうなのか?」 「はい。将来の女王陛下を孕みとうございます」 「きみはほんとうに素敵だ、ニーナ」 「ジジイに褒められても、じつはうれしくありません」 「そ、そうなのか?」 「冗談ですよ」  わたしはくすくすと笑った。 *****  皇帝陛下と寝食をともにするようになってから、一年も経たないうちに身籠ったことがわかった。皇帝陛下のジジイは飛び跳ねんばかりに喜んだ。六十のくそったれのくせにわたしが妊娠した旨を国民に向け大いに発表したくらいだ。でも――わたしは「ま、いっか」と思った。女性関係においてはいっさいなにもがうまくゆかず、だから皇帝陛下はそれなりに苦しんでいたはずなのだ。情けなく思えただろう。肩身だって狭かったことだろう。だったらまあ、わたしとの結婚がメチャクチャ嬉しいとか、それを大っぴらにするくらいは許してやろうではないか。  ――そのうち、わたしには子が生まれた。女の子だ。ほんとうに女の子でよかったのだろうか。男の子のほうがよかったのではないか。そもそも我が国に女王が存在した歴史はないのだ。でも――まあ、よかったんじゃないかな。なにせわたしの子だ、わたしたちの女の子だ。きっと立派に一生を生きてくれる。期待している、正直。  皇帝陛下は赤ん坊の女の子を抱き、抱き上げるたび、しくしく泣く。「なんてかわいいんだろう、なんてかわいいんだろう」と言って泣く。ジジイのくせに情けないなぁ。だけどそこまで言ってくれるんだったら、生んでやった甲斐があったっていうものだけれど。  今夜も皇帝陛下はわたしのことをベッドに誘おうとする。「ニーナ、二人目が欲しいんだ!」などと恥ずかしがる素振りも見せない。「調子に乗るな」と頭を引っぱたいてやる。とはいえ、わたしは皇帝陛下を愛している。きっとずっと、愛し続ける。バツが一つ増えたらそれはそれで笑えるけど――なんてね。
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