〈1〉

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 僕は今かなり浮かれている。 嬉しいけど同時に困ってもいる。 なぜなら、狭いシングルベッドの隣には、白石梨奈が眠っているからだ。 『あたし、葉山先輩がいい』 彼女は迷わずにそう言った。 呆気にとられた周りに構わず、僕の手を取った。その手が少し震えているのに気づいて、僕は彼女を放って置けなくなった。すでに終電は出てしまっていたので、仕方なく家まで連れ帰ってきたのだ。 『何で、僕なの』 『だって、先輩は優しいから』 梨奈は少しはにかんだ笑顔で、僕の頬にキスをした。 『な、何だよ』 『助けてくれて、ありがとう』 誓ってもいい。 僕は手を出すつもりはなかった。 なのに僕が床で寝てると、梨奈はクッションを隔てて隣で寝ると言って聞かず、僕は根負けしてベッドで背中合わせになった。 おかげで明け方まで眠れなかった。  昨夜(ゆうべ)、会社の飲み会で盛り上がったメンバーで、二次会に行った。珍しく梨奈も参加していたから、男どもは皆気合いが入っていた。 酔った勢いで、誰が彼女を落とせるか賭けようという話が出た。僕は自分にそんな魅力も度胸もないことは重々承知しているので、聞こえないふりでその話をやり過ごしていた。 他の奴らは彼女の整った顔や、すらっと伸びた脚や見た目にすっかり盛り上がっていた。確かに梨奈は、破壊力抜群のプロポーションだ。 僕もそれは非常に魅力的だと思ってる。 でも、一番()かれるのは… 『あたしは好きでこのカッコしてるんです。誰かのためになんかじゃない』 きっぱりと正面から自分の意見を言える彼女が、とても(まぶ)しかった。  いつもひらひらのミニスカートをなびかせ、男たちのため息を誘う。週替わりのネイルアートに縁取られた指先は、細くてしなやかだ。そして、またそれらがよく似合っている。 一昔前なら、何をしに会社に来てるんだと首を(ひね)りたくなるようなファッションだ。 案の定、その格好は他の女性社員のやっかみの的となっている。男に()びるためのだの、合コンで男と遊びまくっているだのと噂も立つくらいだ。 当然、「そっち」の経験も豊富だろうと。  しかし、だ。 見た目をいい意味で裏切って、彼女はとても有能な人材だった。 与えられたものをただこなすのではなく、効率よく何を求められているのかも瞬時に把握する。 僕の同期の黒田なんか、3年目の彼女の足元にも及ばない。僕だって先輩の立場が怪しくなるくらいだ。 『先輩。ここのグラフって、こっちの方が見やすくないですか』 『…確かに』 『じゃあ、コレで行きますねー』 彼女は残業せずに帰ってしまうことも多い。僕も初めはそれが気に入らなかった。 確かに「遊んでる」と噂される原因にもなっているのだが、ある時そのことを彼女と話す機会があった。 『昨日は帰っちゃってすみませんでした。その代わり、家で仕上げてきました』 手渡された資料は完璧だった。僕は素直に感心してしまった。 『へえ、やるなあ。残業サボって遊んでるとばっかり思ってた』 『あたし、将来は親の会社を継がなきゃいけないんですよ。だからCFPとか宅建とかの資格も取らなきゃだし、やること結構あるから暇じゃないんです』 そんなのは初耳だ。 意外としっかりしてるし真面目だし、おまけに結構お嬢様ってこと? 僕は彼女にちょっと興味が湧いてきて、わざと意地悪く聞いた。 『でも、ネイルサロンに行く暇はあるのか』 『従姉(いとこ)がネイリストなんで、家まで来てくれるんです。モデルやってよって言われるけど、要はあたしで遊んでるんですよ。服も好みが合うから(もら)うことも多いし』 心なしか、梨奈は少しムキになってそう答えた。 『ふーん。そうなんだ』 それにしても跡継ぎだなんて。 梨奈だったらその気になれば、玉の輿だって夢じゃないだろうに。 『仕事なんて婿(むこ)にやらせればいいじゃん』 『無理無理。うちの両親、すっごい厳しいから。眼鏡に(かな)わないとムリですよ』 『厳しいって言うけど、そういう格好とかネイルとか何も言わないの』 『仕事はちゃんとこなしてるんだから、文句なんか言わせない』 梨奈はそう言って得意気に笑った。
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