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〈3〉
「お前、白石と付き合ってんだって?」
トイレで鉢合わせした黒田が、開口一番そう尋ねてきた。
あれから二週間。
飲み会の時の話は、あっという間に広まった。数えきれない男性社員に同じことを質問されて、僕はとうとう面倒になり否定するのをやめた。
「あ。付き合って、るってか…」
「で、どうよ」
黒田は僕と肩を組むようにして、にやにやと尋ねてくる。
「どうって、何が」
「とぼけんなよ。もうヤったんだろ」
少し小声で黒田が囁く。
ヤってはない
何かあったと言えば
あの時 頬にキスされただけだ
自分でさえも梨奈との関係が曖昧なことに戸惑っていたから、答えに窮した僕は黙り込んでしまった。
「お前、まさか…」
信じられないという顔で、黒田は僕を見ている。
「あんないい女目の前にして何やってんの。そんなのすぐに飽きられるぞ」
「…彼女はそんな子じゃないよ」
「なーにカッコつけてんだか。さっさとモノにしろよ」
「お先」
僕は急いで手を洗うと、その場から逃げるように部屋へ戻った。
1人になるとほっとした。
相変わらず梨奈とは先輩後輩…、よりは距離が縮まった気がするけど、僕の感覚が正しければ、友達以上恋人未満ってところだ。
連絡先の交換すらしていない。
会話は仕事のやり取りがほとんどだし、食事に行くような雰囲気でもない。
友達でも、もう少し何かあるかも。
ただ…
週明けに出勤した梨奈の指先が、やけに地味だなと思った。初めはわからなかったが、書類を持ってきた時にやっと気づいた。
「どうしたの、それ」
「あ」
梨奈は恥ずかしそうに微笑んだ。
「ジェルネイルにしてもらったんです。水にも強いって言うから」
「へえ」
何が違うのか僕にはわからないが、桜色のつやつやした指先は、今までのものよりも彼女に合っているような気がした。
「綺麗だな」
「ありがとうございます」
梨奈はふふっと笑った。
「従姉に料理も教えてもらおうと思って。目玉焼きも作れないなんて、あまりに酷いでしょ。かさばるネイルもそれには向いてないし」
「まあ、ネイルはなくても生きていけるけど、料理は必要だよな」
彼女の実家はお金持ちだし家業を継ぐみたいだから、料理のスキルが必要なのかはわからないけど。
梨奈はすっと僕に顔を近づけてきた。
「先輩に、作ってあげたいなって思って」
小声で囁いて微笑むと、くるっと背中を向けて自分の席へ戻っていった。
そんなこと言うと
また期待するだろーが!
僕は周りを見渡して人気がないのを確認すると、コーヒーを飲み干して大きく息をついた。
梨奈はあの夜、酔った同僚に口説かれる羽目になって、僕に助けを求めたのだ。いつも気丈な彼女の手が震えていたのを、今も覚えている。
単なるその場の男避けで終わりでもよかった。
お互いそのつもりだと思ってたから。
でも、彼女の無邪気な数々の爆弾発言。
僕への気持ちが溢れてるのが、嫌でも伝わってくる。
彼女の本心を確かめずにはいられなかった。
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