こわれもの

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 人の心、その形を何に例えよう。  よくあるハート型?それとも丸か。はたまた、鍵の付いた箱のようなモノか。  イメージは人によって色々だが、高橋千鶴子にとって、それは、タマゴだ。    物心ついた頃から、掌に人の心を感じ取る事が出来た。  最初はジワッとした温かみ。  それは父母と話す時、幼稚園のお友達と話す時、先生と話す時。  誰かの心がコチラに向いている時、掌で触れる事が出来た。  そっと指を握り込むと、その温もりには形がある事が分かった。  全容を探るよう、温もりに沿って指をあてがっていくと、タマゴによく似た楕円形だった。  そのタマゴは、千鶴子に相手の心の在り様を教えてくれた。  喜び、怒り、悲しみ、焦り、嫉妬、恐れ、不安……。  相手の喜怒哀楽が、タマゴから伝わって来るのだ。  タマゴを握っている間、殻の中でたゆたう感情の波のような物が流れ込んで来る。  自分の心の半分を明け渡して、相手の心を受け入れるような感覚に近かった。    そのため、相手のウソも簡単に見抜く事ができた。  いくら巧みに表情で、声色で取り繕っても、千鶴子にとっては薄ら寒い猿芝居だ。 「ちーちゃんの髪飾り、とっても可愛いわ。似合ってる」 「全然太ってなんかないよ、スラッとしてて羨ましい」  学生時代なんかは、女子同士の心にもない言葉のやり取りにウンザリしていた。  タマゴを握り、何も感じないならまだいい。ただのお世辞、世間話だ。しかし、真逆の感情を感じ取った時などは、胸がキュッとなった。  いちいち相手の心を感じ取っていたら、こっちが参ってしまう。次第に千鶴子は、ここぞという場面を除いて、極力、タマゴの力を使わないようにした。健康的に生きる処世術として。  処世術と言えば、このタマゴにはもう一つ使いようがあった。  先程までがインプットなら、こちらはアウトプット。  このタマゴは、人の心を感じるのと同時に、心を刺激してその感情を増幅させる事が出来た。    タマゴを握りながら相手の心に同調する。  すると、徐々に掌のタマゴが熱を帯びてくるのだ。  まさに、ボイルされる生タマゴのように。  千鶴子はタマゴの胎動と熱を感じながら、喜び、怒り、悲しみに寄り添う。  比例するように、相手の感情は加速度的に高まって行く。  すると、ある所で、殻の中でたゆたっていた感情の波が、カチッと固まるのだ、ゆでタマゴのように。  そして、千鶴子はそのタマゴを力強く握りしめる。  一瞬の抵抗感のあと、すぐさま爽快な感触が、掌一杯に広がる。  タマゴは跡形もなく砕け散る――。  その後、相手はどうなるのか。  なにも心を壊したわけではない。  人間、急に冷めたり、我に返る事がある。  タマゴが砕けた後は、だいたい皆そんな感じだ。  さっきまで有頂天だった人間が、急に冷静になる。  さっきまで恨みつらみを並び立てていた人間が、急に憑き物が落ちたような顔になる。  さっきまで大粒の涙を流して俯いていた人間が、急に朗らかに前を向く。  時にコミカルな情景を生むこの力を、千鶴子は私用ではなく、仕事に活かす事にした。  本棚に囲まれた十畳程のオフィス。  木目を基調とした清潔感に溢れる空間。  その中央後ろ、見るからにフカフカなソファに千鶴子は座っている。  向いのソファには、自信なさげな表情の中年男性が、膝の上で拳を握りしめている。    この部屋で、これまでいくつのタマゴを砕いてきただろうか。  殻で床が埋まってしまうくらいだろうか。 「――分かりました。焦らずに解決していきましょうね」  千鶴子が新宿のオフィスビルのワンフロアにメンタルクリニックを構えてから、十年が経っていた。
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