デンジャラス・ヴィーガン

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デンジャラス・ヴィーガン

 僕が幼い頃通っていた保育園では毎年8月にキャンプが開催され、そこには園児のみならず卒園生の小中学生もボランティアとして参加することができる。  今年のキャンプ会場として選ばれたのは保育園からバスで40分ほどの場所にある高原で、テントを設営してキャンプを楽しみながら近くの牧場で動物たちと触れ合えることになっていた。 「本日は園長先生が急性胃腸炎でお休みのため地域のボランティアの方がテント設営や牧場見学を指導してくださいます。その方はスケジュールの都合で後から到着されますので、卒園生の君たちも礼儀正しくお相手をしてください」 「分かりました!」  朝8時半に保育園へと集合した僕たち卒園生にベテランの男性保育士さんはそう告げた。  僕は今年で中学2年生なのでここにいる卒園生では最年長であり、今日は園児たちにも他の卒園生にも恥ずかしくないよう働こうと思った。  数十名の園児と卒園生、保育士さんを乗せたバスが出発し、園児たちを退屈させないよう車内レクリエーションを開催しつつ高原まで到着すると僕は他の卒園生に指示を下しつつテントの設営を行っていた。  高原の外れにある駐車場に新たなバスが到着する音が聞こえてしばらくすると、テントに向かって背の低い年配の男性が歩いてきた。 「おーい君たち、元気しとるかね」 「げっ、地域のボランティアってヴィーガンかよ」  満面の笑みで手を振ってきた老人に、小学生のボランティアがうんざりした表情で呟いた。  その感想は僕も同様で、この老人はいわゆる完全菜食主義者(ヴィーガン)として地域では悪い意味で有名なのだった。 「君たちはもちろん園児たちも頑張って働いているじゃないか。わしも忙しい中ここまで来たかいがあるというものじゃ」 「そう言って頂けて光栄です。今日はよろしくお願いします」  この老人も悪意があってここに来た訳ではなさそうだと理解し、僕は笑顔を作りつつ答えた。  テントの設営が終わると僕らは保育士さんに案内されて近くの牧場まで歩き、酪農家のおじさんはこれから牧場見学をする園児たちを歓迎してくれた。  全員を大きな牛舎の前まで案内すると、おじさんは飼料をもしゃもしゃと食べている牛を園児たちに紹介しながら酪農に関する質問に答えていた。 「このうしさんは1にちにどのくらいのおみずをのむんですか?」 「そうだねえ、1リットルという言葉はまだ習ってないかも知れないけどちょうど牛乳パックを思い出してごらん。牛さんは1日に牛乳パックで言えば……」  まだひらがなとカタカナと簡単な足し算ぐらいしか習っていない園児たちに、おじさんは酪農について彼らにも分かるように教えていた。 「ここにいるうしさんはにゅうぎゅうっていいましたけど、ぎゅうにゅうをだせなくなったらどうなるんですか?」 「いい質問だね。乳牛は牛乳を搾るために飼育されているんだけど、年を取ったら十分に牛乳を出せなくなるんだ。かわいそうだけどそういう乳牛は人が食べるお肉になるんだよ」 「な、なんじゃと……!?」  中学生の僕からしても興味深い内容を教えてくれたおじさんの言葉に、(そば)で聞いていたヴィーガンはうめき声を上げた。 「おじいさん、どうかされましたか?」 「貴様、この牧場では牛乳を出せなくなった牛を解体して食肉にすると言ったな!? 牛乳を飲むことはまだ許せるが牛乳を搾るだけ搾って後は殺して食べるなど許せん! 今すぐ牛たちをここから解放するのじゃ!!」  心配して尋ねた酪農家のおじさんにヴィーガンは身体をわなわなと震えさせて言った。 「えっ……ええっ?」  ヴィーガンというのは本来は牛乳を含む乳製品を一切摂ってはならないので、この老人もある程度は譲歩していたらしい。  それはそれとして突然乳牛の解体を批判された酪農家のおじさんはヴィーガンの言葉に戸惑い、保育士さんの方に助けを求めて視線を投げかけていた。 「おじいさん、落ち着いてください。確かにヴィーガンの方からすれば許しがたいことでしょうが私たちはそういったお肉も食べて生きている訳で……」 「いいや、こんな残酷なことを園児に教えるのは教育機関として不適切じゃ! 聞きなさい君たち、ここで飼われている牛たちは生まれた時からこんな小屋に閉じ込められて、牛乳を出せなくなったら殺されてバラバラにされて人間に食べられるのじゃ! 人間は何と残酷なことをしておるのか!!」  必死で老人を説得しようとした保育士さんの言葉にヴィーガンは怒鳴り声で答えた。  あまりにも過激な表現で乳牛に対する人間の行いを批判するヴィーガンの言葉に園児たちは青ざめた表情になり、一部には泣き出している子供もいた。 「さあ、今すぐ乳牛たちを解放するのじゃ! そして自らの行いを反省せよ!」 「ちょっと待った!!」  怒声を連発するヴィーガンに後方から誰かが制止の声を上げた。 「我輩(わがはい)が見ておらんうちにずいぶん園児たちを泣かせてくれたな? 貴様の存在こそ子供たちにとって有害なのじゃい!」 「理事長!」  そこにいたのはこの保育園の理事長を務める老人で、牛舎の前までダッシュしてきたのか理事長は大声で言いながら肩で息をしていた。 「そこのヴィーガン、貴様の言うことはそもそもが矛盾しているのじゃい! 貴様らは肉食を批判しているが牛は草食動物じゃい。ライオンや虎を食べるのならばともかく、草しか食べない動物を食べることはよく考えれば肉食とは言えないのじゃい!!」 「む、むむむ……」  理事長の主張は一見正しそうでよく考えると微妙なのだが、その剣幕にヴィーガンはひるんだ。 「そうであれば牛乳を飲むのはもちろん乳牛を解体して食肉にするのもヴィーガニズムに反していないのじゃい! 貴様こそ今すぐ酪農家に謝れ!!」 「いや、その理屈はおかしい! 乳牛を殺して食べるのはどう考えても肉食じゃし牛乳だって本来は牛が子を育てるためのものじゃ! それを人間が飲むのは間違っている!!」 「ほほう、ならば貴様は牛が子を育てるためのものでなければ食べられるのじゃな? それにしては貴様らヴィーガンは牛の角を切ることも批判するではないか。都合のいい時だけ妙な理屈を持ち出すのはやめるのじゃい!!」  ヴィーガンの理屈の穴を突いた理事長に、老人はしばらく黙り込んだ。  そして静かに理事長を見据えると、老人は再び口を開いた。 「……ああ、そうじゃ。牛が生み出すものでも、牛が子を育てるためのものでなければ人間が食べても問題はない。わしがその手本を示してやる! 見ておれーっ!!」  ヴィーガンは一息に叫ぶとそのまま乳牛の後方に回り込み、牛の肛門から「生み出されて」いたものを素手でつかんだ。 「ちょっ、おじいさんそれは流石に!!」 「このわしがヴィーガニズムを体現してやる! こんなもの、こんなものーーっ!!」  握りしめたそれを口元に叩きつけるヴィーガンの姿を遠目に見ながら、僕はそのまま気を失った。  完
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