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○ 「巽、今日も仕事、ごくろうさま! 会いに来たよ」  外は大雨。それなのに、空蝉双遇はちっとも濡れていない。雨さえ彼の行く手を邪魔しないかの如くだ。さびれたラブホテルの玄関に佇む双遇に、南條巽(なんじょうたつみ)は困った顔をした。オーバーサイズの水色のジャンパーの裾をちょっと引っ張り、ゴム手袋を嵌めた手は止めず、床にモップ掛けを続ける。 「双遇様、終わったら連絡するって言ってたのに。だめですよ、内海(うつみ)さんを困らせたら」  内海さんとは、双遇の秘書だ。彼のスケジュール管理を一手に担っている。分刻みのスケジュールが当たり前の双遇は、こういうちょっとした思いつきで内海を泣かせる。  それなのに、双遇は自信満々だ。 「内海は大丈夫だよ、巽。許可をもらっている」 「ほんとですか? とにかく、もうすぐ掃除が終わるから、双遇様はそれまで待って――」 「じゃあ、そこのソファに座ってるよ。終わったら言ってくれ。巽ががんばって仕事してるところ、見ておかないとね」  そう言ってがらんとしたロビーの隅の、ガムテープで補修された黒いソファに腰を下ろす美丈夫。巽は慌ててしまい、仕事に集中できなくなった。防犯カメラがこっちを見ているのを意識して、また黒崎(くろさき)さん、困ってるだろうなと思う。ホテルのオーナーのことだ。 「邪魔しないでくださいね」とつぶやいて、巽はなんとか掃除に戻った。  巽は現在、ラブホテルで清掃のアルバイトをしながら、空蝉製薬の治験に協力している。ヒートの、抑制薬開発の治験だ。ヒートは約三か月に一度の周期で起こるため、治験はその期間がメインとなる。ただ、それ以外の間にも協力者は細かなデータの提出を求められ、協力に応じて莫大な金が支払われるのだ。
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