つるつる、ゆでたまご

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つるつる、ゆでたまご

 夜十一時。夜食をあさりにキッチンへ行く。  家族はもう寝てるから、足音を立てないよう慎重に歩く。  できるだけ、家族が取って置いてそうなのはやめて、湿気る一歩手前のせんべいとか、誰も手をつけてないもらいもののチョコなんかを探し当てる。  発掘作業かな、と思った自分に笑った。なんて意味のない作業なんだろうな。でも、続ける。発掘にたとえたなら、見つかったものは出土品か。その出土菓子を手にしたら、インスタントのコーヒーも忘れずに作る。ペットボトルのジュースを毎日飲むより断然安い。  ちょっとでも家計の負担にならないように。毎日こんなことばっかり気にしてる。  俺が実のあることのできないやつだから。「無」だから。  もう何か月も中学に行ってない不登校で、ひきこもりだから。  自分の現状に対する不安は、暗くなるにつれ、夜行性の虫みたいにゾロゾロ湧いてくる。  どうしよう、もう夜じゃん。朝になったら、学校行かなきゃじゃん。行けないけど、行かなきゃじゃん。行けないけど。自分の中で無駄な問答を繰り返してしまう。  夜食は、その不安を紛らわせてくれる。あとは動画配信を見る。特になにが面白いってわけじゃないけど、時間つぶしにはなる。  昼間が一番気楽な時間だ。家に誰もいないから、家族の雰囲気を感じ取ってビクビクすることがない。  気分が上向きなうちにと、勉強をしようとするけど、五分で集中力が途切れてしまう。そのせいで、六月だっていうのに教科書は新品同様だ。がんばって折目をつけて使ってるぜ感を出そうとしてみる。そんなことする間に、本当に勉強すりゃいいのに……と自分でも思う。  教科書を見てると、母さんの慌てた声を思いだす。 「え、今日も行かないって、なんで? これ以上勉強遅れたら……。高校はどうするの?」  心配するところそこなのかって思った。頭にガーッと血がのぼったあと、すうっと冷めた。  学校に行けない原因なんて、俺にだってわからない。なのに両親も担任も、「ナンデ」をまず言わないと会話できないのかよ、ってツッコミたくなるくらい何度も尋ねてきたけど、答えられなかった。  寝るのが遅くて朝起きられないから? そう思って朝方生活を試してみたけど、やっぱり行けない無理だわ、って気持ちのままだった。  考えて考えて出てきたのは、「自分が、つるつる滑ってるから」  ギャグが滑ってるって意味じゃない。いやまあ、滑ったこともあるけど、そうじゃなくて。  たとえば友だちと話してるとき、俺の言葉って、つるーってすべって誰の心にも刺さってない気がした。存在自体がつるつるなんじゃないかと思った。誰もつかんでくれない。俺もつかまれに行けない。  クラスの奴とゲラゲラ笑って話している途中、トイレに行くからと場を抜ける。帰ってきたら、俺がいなくても同じように盛り上がってる。なんだ、俺っていてもいなくてもいいんじゃん。気づいた瞬間、どっと疲れた。  それからは学校から帰ってすぐベッドに入り、夕飯の時間まで寝てしまう日が続いた。とにかく疲れていた。学校で「笑って話す」ことも俺にとっては疲れることだったんだなって実感した。  実感した次の日、俺は学校に行けなくなった。  この間、ゆでたまごむいてたとき、手を滑らせて床に落っことしたんだ。そのたまごが何故か俺とダブった。  誰かがつかみそこねて床に落ちたのに、放置されたままのゆでたまご。俺って、それじゃね? って思ったんだ。  こんなこと親や担任には言えるわけない。「バカなこと言ってないで学校行きなさい」って笑われるに決まってる。  両親は最近、俺のことを怒らなくなった。俺に話しかけるときも笑ってくれてる。学校へ行け、とも言わなくなった。  だけどときどき……笑顔にヒビが入って、パリンと割れちゃうんじゃないかってヒヤヒヤする。親の本当の表情が出てくるんじゃないかって。  それは怒った顔? がっかりした顔? さげすむ顔? わからない。  ちょっと知りたいような、一生見たくないような。  ヒビが入るっていうと、殻を割る前のたまごみたいだ。じゃあ、誰もつかんでくれないって文句は言えない。俺だって、親の中身が見たくないって思ってるんだから。  今日も、なにもしない一日だった。自分の中になんにもない。だから俺は「つるつる」なんだろうか。情熱がないから摩擦もなくて、誰の心からも滑り続けているんだろうか。 「うわー、わざとらしい」  用意された朝食の横にあったチラシを見て、思わず口に出してしまった。  居場所カフェ「さざめき」へようこそ、と書かれたチラシだ。わざわざ目に付くように置いてある。  居場所は学校だけじゃない、というキャッチコピーがあり、その下には不登校経験者が営むカフェです。夕方からは支援を必要とする生徒さんたちの学習をする場にもなります。不登校、ひきこもりの方、ご家族の方、そうじゃない方もお気軽にお越しください……という紹介文が書いてあった。  もっと外に出たら? って母さんの声が聞こえた気がした。俺だって散歩くらいしてるんだけどな。行くのは人通りの少ない夜だけどさ。  まあ、カフェなんて縁のない場所だし、行かないよなあ……。と思ったものの、チラシから目を離せないでいた。 『お話ししに来ませんか? 初回はドリンク飲み放題、お菓子食べ放題です』とくにこの部分。  小遣いはもらっているけど、学校に行ってない手前、なんとなくお金を使いにくくて、間食は余りもので間に合わせてたから、不覚にも、うまそうだな、いいなと思ってしまった。  うまいものがタダで食えて、しかも、俺が外に出たってことで、母さんの機嫌が良くなる可能性もある。いいことずくめだ。知ってる人と会うのは憂鬱になるけど、初対面の人とちょっと話すくらいなら、そんなに疲れなさそうだ。  じゃあ行ってみようか。  せっかくの決心がしぼむ前に、俺は急いで身支度をした。  明るいうちに外に出るのは久しぶりだ。玄関で無意味に靴をトントンと踏みならし、深く呼吸をしてからドアを開けた。  カフェ「さざめき」はすぐに見つかった。商店街のど真ん中、わかりやすい場所だ。  ドアのガラス越しに中が見える。カウンターに背の高い男の人が背中を丸めてなにか作っていた。近くで女の人がテーブルを拭いている。  あれ、他には人がいない。本当に店やってるのかな。開店中らしいけど……。  入り口前で悩んでいると、男の人がこっちへやって来て、ドアを細く開け、顔をのぞかせた。 「お客さんだよね? どうぞどうぞ、いらっしゃい!」  男の人の声や態度は強引な気もするんだけど、でも圧はそれほど感じないような……。不思議だなあと思いながら、すすめられるまま店に足を踏み入れていた。  女の人もニコニコして「いらっしゃいませ」と言ってくれる。これまでの人生で、こんなに誰かに歓迎されたことってあったっけ? キョドりながらおすすめされたテーブル席につく。 「コーヒー飲める? ジュースもあるよ」 「あ、どっちでも大丈夫です」 「じゃあコーヒーいれるね」  男の人は感じよく尋ねてくれた。この親切さは自然だ。ただ、笑顔がやり過ぎかな、とちょっと思った。あとで疲れるんじゃないかなって心配するくらい。この人がチラシに書いてあった不登校の経験者だとしたら、理由は俺と同じように「疲れたから」なんだろうか。  男の人がコーヒーを用意してくれている間、女の人は「お客さん来てくれると張り切っちゃうなー」と楽しそうにテーブルを拭いたふきんを洗っている。  カウンターの向こうから手がにゅっと現れた。驚くヒマもなく、その手はなにかが入った透明な袋をカウンターに置き、さっと消える。ただ、黒い髪の頭がほんのちょっと見えている。 「あ、クッキー出してもいいの? ありがとう、まどかちゃん」  その頭に向かって女の人が話しかける。頭がちょっと動いた気がした。 「え、あの」  そのあと、スライド移動するように頭はゆっくり動き、カウンターの端に着くと、ぱたばたと足音を立てて奥の部屋に去ってしまった。俺のいる場所からはその人の姿は見えずじまい。  今のはなんだったんだ。どうしてそこまで不自然に隠れるんだ。俺がいるから? やべー奴来てるなって思われた? 「食べてみて。クッキー、おいしいよ」  女の人がお皿に並べたクッキーを俺の前に置き、斜め前に座った。男の人はカウンター席に座り、こっちに身を乗り出すようにして、「どうぞどうぞ」とさらにすすめてくれる。 「あの、さっきの人が逃げちゃったのって俺のせいですか。俺、いない方が……」 「違う違う、まどかちゃんは誰が来ても同じ感じだよ。慣れていない人だとね」 「じゃあ、あの人も、学校には……」 「うん、お休み中。カフェの手伝いしてくれてるんだ。このクッキーもまどかちゃんが作ったんだよ。慣れたらたくさん話してくれるよ」  なるほど。クッキーをかじってみる。ほろほろとした舌ざわりとともに、バターの味が広がる。洋菓子店で売ってる商品みたいだ。と思った。 「おいしい。すごいですね。プロみたいなお菓子作ぅてて」 「まどかちゃんはね、お菓子作りが本当に好きで、作ってると幸せな気持ちになるんだって」  まどかって人は、さっきの様子を見るに人と話すこと苦手ってレベルじゃないくらい大変らしい。それを乗り越えて、誰かに食べてもらうためのお菓子を作っている。  すごいな。俺なんて、家族が余らせたお菓子をあさるくらいしかできないのに。 「俺は……なにしたいか……わからないかも」  思わずつぶやいて、しまったと思った。大人にこんなこと言ったら、否定のあとに説教を飛ばしてくると思ったから。  だけどふたりは、なるほどといった風にうなずいて、特に否定はしなかった。ちょっと時間を置いてから、男の人が口を開く。 「なにがしたいか、とか夢とか希望とかって、自分で気づくの難しいよね。聞いたらすぐに答えを返すのが当たり前、みたいに思ってる人もいるけど……」  あ、それ、担任と母親だ。 「自分の周りの目が強すぎるのかもねえ。だから自分の目線がわかんなくなっちゃう」 「……目線?」  意味がよく飲み込めなくて、俺は聞き返した。 「これ僕の話ね。親は学校に行って欲しいだろうな、いい高校に進学して欲しいだろうな……って気持ちに自分の存在が押しつぶされてるような気がしてさ、自分の中の自分の存在がどんどん小さくなっちゃった。自分は駄目な奴だから、もう考えるのやめたーって」 「あ、ああー……」  納得したようなそうじゃないような。それほど、自分の考えが親に影響されてるんだろうか。ちょっと怖い気がする。 「どうやったら、自分のしたいことわかるんだろう」  自分自身さえ、「つるつる」だったんだと言いながら気づいた。全然つかめない。 「すぐにわからなくてもいいんだよ。苦し紛れに答えを出さなくてもいいんだよ。とりあえず、今の自分が楽しいとか嬉しいって思うことを考えてみるとかどう?」  男の人の言ったことにうなずきながら、女の人も口を開く。 「同じチョコレートでも、自分にはこのブランドが一番合ってる、とか探してみたりね。なんていうか、変な姿勢で座ってて疲れてたのが、ずっと座ってても疲れない姿勢を見つけて楽になった、みたいな……」 「ええー……楽って、俺、ただでさえ一日中寝てるのに……」  俺の頼りない声を聞いて、ふたりは笑った。  だって、そんなことしてていいの? 学校もサボって、なんにもしてなくて、家じゃ針のムシロって感じなのに、自分が楽しいとか嬉しいとか、してもいいのか? 「一日寝ちゃうのは、きっとエネルギーが切れてるからだよ。まずはそんな自分を、悪いと思わないで受け入れてほしいなあ」  そう言いながら、男の人は俺にコーヒーとクッキーのおかわりを差し出してくれた。コーヒーはさっきのブレンドと違ってカフェオレだった。クッキーも、さっきのいろいろな味がミックスされたものと違って、チョコレートのクッキーだ。 「きっと、ミルク多めが好きかと思って。クッキーもチョコのをおいしそうに食べてたから」 「え、そんなのわかるんですか」 「見てたらなんとなく」  こんな短時間でわかるものなんだ。自分では無意識だったのに。この人たちは、俺の表面じゃなくて中身まで……ゆでたまごの黄身まで、見ようとしてくれてるのかな。  だとしたら、なんか、落ち着かない。そわそわして、でも……もうちょっと話していたい。そんな気がした。 「じゃあ、俺はカフェオレとチョコクッキーが好き、ってことなんだ……」 「さっそく見つかった!」 「その調子!」  口々に言うふたりに、思わず「あはは」と声が出た。久しぶりに笑顔になれた気がした。 「あの、ここって、ずっと開店してるんですか」 「土日祝日以外は、いつもやってる。気軽に来てね」 「はい」俺は大きくうなずいた。  店を出るとき、振り返ると、ふたりが見送ってくれていた。それからカウンターの奥に、頭がちょこんと飛び出している。  クッキーおいしかったよ、と心で思いながら、俺はちょっと頭を下げて、帰り道を歩き出した。  この店に来たのは完全にお菓子目当てだったのに、気がついたら他のものをもらっていた気がする。  なんだろう、ツルハシ? 自分の心の内側を掘れるようなやつ。  俺の中身は「無」だと思ってたけど、本当の自分は親や先生、クラスの人間の目に覆い隠されてただけで、探せばちゃんと見つかるのかもしれない。それなら、掘ってみたい。  冷蔵庫の中身を発掘するのはやめて、自分の好きな物を掘ろう。帰りにうまそうなお菓子を探して、買って帰ろう。今度カフェに来るときには、チョコクッキー以外に好きなお菓子が見つかるだろうか。  いつか、誰かに「ゆでたまごの中身」を見てもらえるように  いつか、周りの人の「ひび割れたカラ」の向こう側をちゃんと見られるように。
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