矢光の昔話

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

矢光の昔話

 矢光セイヤの昔話はラジオのトークコーナーで始まり、途中からバラエティ番組のコーナーへと格上げされた。子供や子供のお母さんファンが付き、子供番組のレギュラーまで獲得した。矢光セイヤの昔話は短編集としても出版されて、お決まりの選べるポストカードというオマケを付けると複数買いするファンまで出た。 『アイドルが写真のオマケで部数水増し』 『本人が書いてるの?怪しくない?』 『ゴーストじゃん、どうせ』  ネットてはいい感じにアンチが燃えていた。それを庇うファンが熱心に購入する。でも、ゴースト騒ぎは面白くない。矢光は新たな企画を思い付いた。生放送のネット配信でリアルタイムに視聴者が出したお題で昔話を作り、ゴースト疑惑を一蹴する。マネージャーの若竹さんに提案して、ネット配信のタイミングはいつがいいか、練って貰う。 「社長のオッケー出た。売上の初速に勢いつけたいからすぐやろうって。SNSでライブ配信来週の頭にやるよ」 そして、配信の日…。出たお題は「鯉」、5月の端午の節句が近いからだろう。配信画面を前にメモを取り、アドリブで昔話を始める。 「あるところに三匹の兄弟の鯉がいました。まだまだ三兄弟は小さいのに、お父さんとお母さんの仲が悪く、二人ともどこかにいなくなってしまいました。兄弟は三人で暮らしています。お母さんのお母さん、兄弟のおばあちゃんが、小さい三兄弟にご飯をせっせと運んでくれます。でも、おばあちゃんは体力が弱くっていて思うように泳げません。三兄弟は、兄、妹、弟。一番上の兄が家族に言いました。 『池を出るんだ、そして空に昇ろう。空に昇る鯉は珍しいから、村の人間達が仏様か神様かと、お供え物をしてくれる。そうすれば食べていくのに困らないよ』 一番上の兄の呼び掛けに妹と弟は乗り気。でも、おばあちゃんは心配しています。 『空になんか昇ったら、息が出来なくて死んじゃうだろう。私達は魚だよ?』 一番上の兄は胸鰭を小さく振って笑います。 『空はきっと水で出来てるんだ。だから5月になるとあんなに沢山の鯉が空を泳いでる。僕達も空に昇れば人間がご飯をくれるはずだよ』 すぐ下の妹がわくわくしながら言います。 『空を泳いだら、あのキラキラと回る髪飾りも貰えるの?私、あれがほしい』 妹は人間が旗のように並べる鯉のてっぺんには、風車のような飾りがついているのを楽しみにしています。その下の弟は怖がりで臆病なので、心配そうに尋ねます。 『空に昇ったら、鷹や鷲に食べられない?』 一番上の兄は池のほとりの農家を見上げて答えます。 『あの風車みたいのと、色とりどりの吹き流しを鷲や鷹が怖がるんだ。田んぼのかかしみたいに。だから大丈夫。いつもおばあちゃんにご飯を運んで貰ったら、おばあちゃんの寿命が縮まっちゃう。三人で空に昇り、空を泳ごう』 一番上の兄の意見に下の二人は頷きました。おばあちゃんの鯉は、涙を浮かべていました。 『なんていい子達なんだ、きっと神様仏様が助けてくれるよ。元気で達者でね。いつもこの池から見守ってるからね』 こうして三兄弟の鯉は空へと向かって旅に出ました。貧しく日々の暮らしにも事欠く、あばら家に住む農家の男の子は立派な鯉のぼりを買って貰えません。不貞腐れていればお父さんに殴られます。だからいつも笑ってやり過ごしていました。ある朝目が覚めると、立派な青、赤、水色の鯉のぼりが庭に突然現れました。大喜びの男の子。キラキラと回る飾りと、虹のような吹き流しもついています。首が痛くなるほどずっと鯉のぼりを眺めていた男の子。 しかし、ここの家のお父さんとお母さんは食べる物も着るものも足りずに困り果てていたので、鯉のぼりを売る算段をして、裕福な商人に鯉のぼりを買い取って貰って、お米や味噌を買いました。 『僕の鯉のぼりなのに…』 機嫌が悪くなると殴るお父さんが怖いので、男の子は商人の家に飾り直された鯉のぼりを寂しそうに眺めて泣いています。すると、三匹の鯉のぼりは、空を泳いで男の子の住むあばら家の上まで来てくれました。 『商人の家の人に見つからないように時々遊びに来るから、泣かないで』 三匹の鯉のぼりは、男の子とすごく仲の良い友達になりました。男の子は空を泳ぐ鯉のぼりが大好き。毎日毎日、田畑の世話を手伝う合間に、空と地面で鯉のぼりとじゃんけんをして遊びました。 しかし、ある日…。村は戦に巻き込まれてしまいました。鯉のぼりを買い取った裕福な商人の家からは米や小判が盗まれ、農家の蔵からはひえやあわまでお侍さんがぶんどっていく。家は焼かれ、何にもなくなった村。鯉のぼりの三兄弟も焼けてチリになり風に飛ばされてしまいました。命からがら生き延びた男の子は、お父さんとお母さんの亡骸を土に埋めて、とめどなく溢れる涙をゴシゴシと腕で拭って空を見上げてつぶやきます。 『あの空に消えた鯉のぼりを探しに行こう。もう村には助からないような動けない怪我人しかいない。子供の僕には助けられない。何でもいい、働きさえすればきっと生きていける。庄屋さんも死んじまった。田んぼも畑も侍が荒らして酷いもんだ。ここではない何処かで、また田んぼと畑を耕そう。どうせ僕は小作人の子。泥まみれで働くのは慣れっこだい』 男の子は生まれた村を捨てて、あの三兄弟の鯉のぼりを探す旅に出た。 『きっとあの鯉のぼり達は生きてるさ。空を泳いで逃げのびたんだ』 自分に言い聞かせるように、男の子は草鞋を力強く踏みしめて歩み始めた。このお話はここでおしまい」 配信の合間のコメントといいねが止まらない。 半分はセイヤ自身の自叙伝のような物語だ。両親は母方の祖母に僕と妹と弟を預けて出奔してしまった。 手元にカンペがないと分かるように腰から上を映し、イヤモニなども使っていない証拠として、ボブの髪は耳に掛ける。そして、配信場所を引きで映した二画面配信。目線も一点を見て、横から指示を出すマネージャーもいないことが分かるようにしてある。 『スゲー、本物かよ』 『ゴースト説言った奴は謝っとけ』 『即興でこれって上手すぎ』 アイドルファンだけでなく、一般ファンからの支持を得て、矢光セイヤの昔話の短編集はタレントが書いた本としては異例の売上を叩き出した。  痛すぎるリアコ勢の中には、矢光の思惑通り、少女から子供に戻って昔話の世界に浸るような純粋な層も現れた。しかし、猪突猛進のリアコ勢は止まらなかった。 『イケボ過ぎてもっと好きになった』 『隣で肩ぎゅってして昔話してほしい』 『文才に圧倒された、もっと溺愛したい』 エゴサした結果を見て、僕は溜め息をつく。それを見たマネージャーの若竹は含み笑いをして矢光の顔を覗き見する。 「だから言ったでしょ?リアコ勢は一筋縄じゃいかないって。新たなファンを開拓して、純粋に応援してくれるファンが増て良かったね」 「まあ、リアコ勢も上手くあしらいながらやりますよ。僕ならではのアイドル像の絵と色がこれで一つは出来た。矢光セイヤといえば、子供からも好かれる。昔話が得意な個性派アイドル。ブランディングの第一歩です」 若竹さんは満足そうに頷いて、一通のファンレターを差し出す。 「88歳、米寿のおばあちゃんからのファンレター。『子供の頃の純心な気持ちに戻りました。年寄りは子供に戻ると世間では言いますが、矢光さんの本は慣れ親しんだ童謡のような懐かしさがありました。ご活躍とご多幸をお祈りしております』、ファン層が一気に広がったよ」 達筆な行書でしたためられたファンレターは、上品で教養を感じる。 「ウザ過ぎるリアコ勢もこういう風になってくれたら楽なのに。アイドルってストレスフルでハードな仕事ですね、全くもう」 若竹さんは大きく頷いた。 「そうよ、理想を演じ切るのがアイドル。ライブをデートだと錯覚させて、『また会いたい』と思わせて夢を見せる。ファンが夢から覚めないように惹き付ける。矢光にはその魅力がある。先輩の矢弓木さんを追い越すんでしょ、愚痴言ってる場合じゃないよ」 「はーい。日々努力します。リアコ勢なんか子供に戻してやりますよ。恋や愛じゃなく、物語の癒しのカタルシスで惹き付ける、誰もやったことのないアイドル像を僕が作ります」 「うん、私もしっかりサポートする。ソロアイドルの元祖の矢弓木さんを越えよう、必ずね」 若竹さんは、アームレスリングでもするような、迫力のある握手をしてきた。僕も握り返した手に力を込めた。 (了)
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!